聖地には蜘蛛が巣を張る(2022)

ドラゴン・タトゥーの女」シリーズのような邦題ですが(笑)

原題は「عنکبوت مقدس」(聖なる蜘蛛)

 

イランの首都テヘランに次ぐ第2の都市で

多くのシーア派の信徒が訪れる聖廟都市(聖地)でもあるマシュハド

(「富者はマッカへ、貧者はマシュハドへ」 という諺があるらしい)

そこで2000年から2001年にかけて少なくとも16人の娼婦を殺害し

2002年に絞首刑で処刑されたサイード・ハナイ がモデル

男が自宅(巣)に女性(獲物)を誘い込み首を絞めて殺す手口や

モスクのある中心部から放射状に広がるマシュハドの

蜘蛛の巣のような街並から犯人は「蜘蛛」に例えられ

マスコミから「スパイダーキラー」と呼ばれたそうです

監督はイラン出身のデンマーク人アリ・アッバシ

「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」もですが

「よく撮ったな」というのが正直な感想

今まであった映画のアプローチとは違う

今最も注目すべき挑戦的かつ才能ある監督のひとりですね

「スパイダーキラー」の取材のため

マシュハド新聞の編集者シャリフィに呼ばれてテヘランからやって来た

(上司からのセクハラを告発したことで解雇された)ジャーナリスト、ラヒミ

シャリフィのもとには殺人犯から殺人があるたび

イマーム・レザの名で街を浄化している」という声明が届いていましたが

イマーム・レザとはイスラム十二イマーム派における第8イマーム

その知識、忍耐、勇気でイスラム教徒にとって模範となっている人物)

警察が積極的に犯人逮捕に動いている様子はありません

ラヒミは自ら殺人事件を捜査しようとしますが

被害者の親族や関係者は、娼婦との繋がりを理由に迫害されることを恐れ

真実を伝えようとしませんでした

わかったのは犯人は元軍人風の男で、バイクで女を拾い上げていくということ

そこでラヒミは犯人を誘い込むため、娼婦の姿をして街角に立つことにします

間もなくして犯人は簡単に姿を現します

見ている私たちは犯人が誰かすぐわかります

建設現場で働き、妻と3人の子どもたちを養う良き夫であり父親のサイード

規律正しく模範的な男が、イラクとの戦争で殉職できなかったことを理由に

イスラムの教えに「殉ずる」ため聖地から娼婦を除去することを決意

そんな彼がイマーム・レザの聖廟で涙を流すのは

殺人を正当化しながらも、やはり罪を請い許されたいという気持ちがあるのでしょう

一方の娼婦たちも昼間は普通の母親で、両親にとっては優しい

イランの女性の就業率はわかりませんが、学歴も資格もない

ましてや寡婦が仕事を見つけるのが難しいのを想像するのは容易い

やむを得ず「立ちんぼ」になるものの、1度の収入は少なく

一晩に3~4人の客をとらないと生活できない

そのうえ娼婦を見下している男たちから暴力的な行為まで受けてしまう

彼女たちが薬物に頼ってしまうのも仕方がないことがわかります

ポケットナイフとテープレコーダーを隠し持ち

イードのバイクに乗り込むラヒミ、後を車で追うシャリフィ

イードから自白を引き出したラヒミは

殺されそうになるも大声で助けを求めると、なんとか逃げ出し警察に向います

数日後サイードは警察に逮捕されますが、ここからが再び人間の怖さ

私が思い出したのは

2016年、知的障害者福祉施設の元職員だった植松聖が

入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせ死刑が確定した

「相模原障害者施設殺傷事件」

そこで植松死刑囚の一貫して主張し続けたというのが

「社会の負担となっている障害者を排除するため」という考え

そしてネット上では、今も彼のことを「植松様」と崇拝し

聖人だと評価する人たちが多くいるということです

しかも誰もが、そういう思想を全く否定できない現実

イードは有罪となり、100回の鞭打ちと死刑を宣告され

家族はショックを受けますが

イードの10代の息子アリは街の人々からサイードは英雄だと崇められ

母親からもも「父親は街を浄化した」と教えられ

(実際の犯行の動機も妻が売春婦と間違えられたのがきっかけ)

父親は犯罪者ではないのだと自信を取り戻します

イードを無罪にというデモが行われ

独房を訪れたサイードの弁護士と義父のハジは死刑判決を免れたこと

死刑当日には絞首刑を横切り、車に乗せられて家に帰れることを約束します

ところが(鞭打ちの刑は免れたものの)処刑室に迎えの車は来ておらず

イードパニックのまま絞首刑となってしまいます

(独房に無罪を告げに来た弁護士と義父の姿は幻だった?)

この事件はサイードが単なるシリアルキラーではなく

イランの宗教的、政治的な思惑までが絡み

結果、イランの道徳的腐敗を「浄化」しようとしたとサイードを称賛し

彼の犯罪正当化する保守派、宗教強硬派の訴えより

「法律」を重視した判決になった、ということでは

社会的弱者である女性の権利が

わずかな一歩ですが認められたということかも知れません

だけど、シャリフィに見送られテヘランに戻るバスに乗ったラヒミが

録画収集したビデオを確認すると、そこにはイードの息子アリのインタビュー

アリは父親が被害者を殺したことを誇らしげに語り

自分も父親の後を継げと言われているとこと

さらに幼い妹に娼婦を演じさせ、父親から教えてもらったという首の絞め方を

なんとカメラの前で再現して見せたのです

イードは死んでもサイードの思想は生き続ける

だけど寡婦となったサイードの妻が、あるいは幼い娘が

もしこの先生活に困り果て、娼婦としてしか生きられなくなったとき

誰が助けてくれるのでしょうか

 

犯罪とは被害者も、加害者もだけど

残された家族にこそ最も長く鋭く

そして永遠に抜けない刃が突き刺さるということを知って欲しい

 

 

【解説】映画.COMより

「ボーダー 二つの世界」の鬼才アリ・アッバシ監督が、イランに実在した殺人鬼サイード・ハナイによる娼婦連続殺人事件に着想を得て撮りあげたクライムサスペンス。
2000年代初頭。イランの聖地マシュハドで、娼婦を標的にした連続殺人事件が発生した。「スパイダー・キラー」と呼ばれる殺人者は「街を浄化する」という声明のもと犯行を繰り返し、住民たちは震撼するが、一部の人々はそんな犯人を英雄視する。真相を追う女性ジャーナリストのラヒミは、事件を覆い隠そうとする不穏な圧力にさらされながらも、危険を顧みず取材にのめり込んでいく。そして遂に犯人の正体にたどりついた彼女は、家族と暮らす平凡な男の心に潜んだ狂気を目の当たりにする。
ザーラ・アミール・エブラヒミがジャーナリストのラヒミを熱演し、2022年・第75回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞。

2022年製作/118分/R15+/デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス合作
原題または英題:Holy Spider
配給:ギャガ