籠の中の乙女(2009)

原題は「Κυνόδοντας(犬歯=牙)

常に「性」と「暴力」というのが

ヨルゴス・ランティモスの作品テーマだと思うのですが

これは「哀れなるものたち」より、さらに”哀れなるものたち”の物語でした(笑)

プロパガンダ」を「家庭」という小さな世界に置き換えた傑作

その方法とは、子どもたちを「犬」のようにしつけること

(そういえばプーチンも犬好きで有名)

ただ両親は(人間と同じ)犬が飼い主に似ることを忘れている

愛情を持って正しく育てれば誠実な子に

暴力をもって育てれば無気力、飼い主を噛む可能性だってあるのです

「子どもたちを外の世界の汚らわしい影響から守るため」という名目で

3人の兄妹3人とも成人していて名前はない)

家の中に閉じ込めて教育してきた両親

テレビで見るのはホームビデオ

ラジオから流れるのは母親自作のカセットテープ

「電話とは塩入れのこと」「海とは革張りのソファーのこと」

「高速道路とは強い風のこと」 と延々とデタラメを聞かされています

さらに外の世界は恐ろしいと洗脳させるため

彼らにはもうひとり兄がいて、兄は家を出たせいで猫に食べられたと言います

猫は最も危険な動物で、外には車でしか出られないのだと

(サファリパークか 笑)

さらに子どもが外出できるようになるのは、左右の犬歯が抜けたとき

犬歯が生え変わった場合に限り、車も運転できるようになるといいます

(もちろん永久歯だから生まれ変わることはない)

それでも父親は、長男の性欲を解消させるため

クリスティーナという、父親の経営する工場の警備員をしている女性に

お金を渡し長男の相手をするよう連れてきます

長女と次女はクリスティーナに興味深々

長男とのセックスに満足できなかったクリスティーナは

この世間知らずの姉妹をからかうように刺激を与え

特に好奇心旺盛な長女に性的な関係を求め、代わりに映画のビデオを与えます

映画を見て今まで知らなかった外の世界に憧れるようになる長女

ビデオの存在を知った父親は長女を折檻した後

クリスティーナの家に行き、彼女をビデオデッキで死ぬほど殴りクビにします

だけど長女の好奇心は抑えられない

庭に迷い込んできた「恐ろしい」子猫を無残に殺してしまった長男に

(家族は時々犬になったつもりで猫を追いはらう練習をしている)

父親の話とは違い、猫が怖くないことを知る

それでもまだ「犬歯が抜けたら外に出られる」ことを信じている長女は

自らハンマーで犬歯を折り、父親の車のトランクに忍び込みます

その夜家族はワンワンと犬のふりをして長女を探しますが見つからない

翌朝父親は工場に向かうため、車を走らせたのでした

母親(どう見ても子どもを産める年齢ではない)が

「次は双子が欲しい」と言ったり

父親が「今度、お母さんは双子と犬を産みます」 と宣言するところをみると

この兄妹も、実はどこかから連れ去られて来た子

(拉致)というニュアンスがありますし

ここまで性的な描写も(軍事独裁政権下においての)

外的な娯楽がなにひとつなくなった時、人間に残るのは

「性」と「暴力」しかないという風に受け止められます

人間に最も必要なのは、自分で良し悪しを判断する能力であって

情報操作されることではない

それはたとえ民主主義の先進国においても

「旨すぎる話」に騙されていけないのです

 

 

【解説】allcinema より

第62回カンヌ国際映画祭“ある視点部門”でグランプリを獲得し、第83回アカデミー賞ではみごと外国語映画賞にノミネートされるなど世界中でセンセーションを巻き起こしたギリシャ発の不条理家族ドラマ。子どもたちを汚れや危険から守るべく歪んだ妄執に取り憑かれた父親によって、子どもたちが外界から完全に隔離された特殊な環境下で育てられている奇妙な家族の肖像とその崩壊を、過激な性描写を織り交ぜつつシュールなタッチで綴る。監督は本作で一躍世界的に注目を集めたギリシャの新鋭ヨルゴス・ランティモス
 ギリシャ郊外でプール付きの豪邸に暮らすとある裕福な家庭。3人の子どもたちは両親に大切に育てられ、生まれてから一度も外の世界に出たことがなかった。それは、世の中の汚らわしきものの影響から守るため。両親は外の世界がいかに恐ろしいかを様々な形で信じ込ませ、従順な子どもたちも清潔で安全な家の中で不満を感じることなくすくすくと成長していった。やがて年頃となった長男の性欲を処理するため、父親は金で雇った女性をあてがうことに。しかし外の世界からやって来た女性の出現に長女の好奇心が刺激され、両親が懸命に守ってきた無菌環境にはいつしか小さな綻びが生じはじめる。

 

ラ・カリファ(1970)

原題は「La califfa」(カリファ夫人)

エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」2本目

なぜ今まで日本未公開だったのか

しかもロミー人気が絶大なドイツでさえ

あまり知られていない映画ということ

ロミーのフィルモ・グラフィーのなかでも

最も大胆にヌードを披露していて

おそらくロミーありきの企画だったと思うのですが

ひとことでいえば駄作でした(笑)

テーマはゼネストか、恋愛か、反共産党か、

経営者間の軋轢なのか、はたまた息子の成長を願うものなのか

ひとつひとつのエピソードが大雑把でつぎはぎ

盛り上がりそうな場面で唐突にシーンが切り替わり

当然モリコーネの音楽もぶつ切り

余韻に浸れないったらありゃしない

(ワンコとスズメは可哀想だったけど)

モリコーネの曲はこの映画とは違ったところで

音楽ファンを魅了し有名になりますが

ロミーは監督の采配について

「映画が何なのかわかっていなかった!」と吐き捨て

自身の伝記本の中でも「最も嫌いな作品」と延べているそうです

ただロミーの美しさは本作でも際立っていました

お宝映像と言っていいと思います


1970年代初頭のイタリアのエミリア

ストライキによる暴動で、カリファと呼ばれる労働者階級の男が

機動隊と衝突し死んでしまいます

それを見ていた妻のアイリーン(ロミー・シュナイダー)は

夫の遺志とカリファという名を継ぎ、ストライキを率いるリーダーとなり

配送トラックを占領、女性たちを煽り電化製品を川に投げ捨てます

(もったいないと思うのは、私の心が汚れているからかしら)

その頃 セメント工場の経営者で実業家のドベルド(ウーゴ・トニャッツイ)は

ひとり息子が海外に放浪の旅をしたいと言い出し

妻のクレメンティーナを哀しませるのではないかと悩みます

カリファは別の倒産した工場から解雇された労働者たちと連帯し

(経営者はドベルドらに救いを求めたが報われず首吊り自殺してしまう)

ドベルドのセメント工場工場を占拠します

ドベルドはストライキを終わらせるため、労働者たちと話し合いに行くことにします

ドベルドはいわゆる「成り上がり」で、かっては自分も貧しい労働者でした

彼らと理解しあえると信じていたのです

そこでどう、ドベルドとカリファが惹かれ合ったのかはわかりませんが(笑)

ドベルドは突然カリファの部屋(社宅のようなもの)を訪ね

ベッドを共にしていた男が出て行くと、カリファを抱くのでした

そうしてふたりは情事を繰り返すようになり

(カリファがドベルドの父親と友人なのはなぜ? 笑)

ドベルドは労働者たちの共同経営、利益分配といった組合設立の要求を認め

(利益は見込めなくなるものの)倒産した工場を再開し労働者たちを再雇用します

しかしそのことは、ほかの工場の経営者たちから強い反感を受けるだけでなく

同じ労働者階級の中にも容認できないという極右の市民も多くいて

対立は深まるばかり

偉いのは奥さんですね(笑)

夫の不倫を知っても、彼の生きる気力を

やるべき道の方向を示してくれたと、カリファを責めることはありませんでした

息子の海外行きも許します

その間、ドベルド以外の経営者たちは重大な決断をします

カリファと会った帰り道、ドベルドは何者かに誘拐され

遺体は海辺に捨てられたのでした

あれもこれも詰め込もうとせず、単純に労働者と経営側の分断と

そこで起こった悲愛モノにしたほうが良かったんでしょうね

ロミーの言う通り、確かに監督は映画が何なのかわかっていなかった(笑)



【解説】映画.COMより

「ルートヴィヒ」「夕なぎ」などに出演しヨーロッパ映画界で人気を誇った女優ロミー・シュナイダーが、許されざる恋に落ちた女性を体当たりで演じた1970年製作の社会派メロドラマ。亡き夫の遺志を継いでストライキのリーダーとなった女性が、かつての仲間であった工場長の男性と対立しながらも次第にひかれ合っていく姿を、巨匠エンニオ・モリコーネの甘美なメロディに乗せて描き出す。「Mr.レディMr.マダム」シリーズのウーゴ・トニャッツィが工場長を演じ、イタリアの脚本家アルベルト・ベビラクアが長編初メガホンをとった。モリコーネによるテーマ曲は数ある彼の作品の中でも特に人気が高いことで知られるが、映画自体は日本では長らく未公開のままだった。2024年4月、特集企画「エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」にて日本初公開。

1970年製作/91分/イタリア・フランス合作
原題:La califfa
配給:キングレコード

 

「死刑台のメロディ(1971)4Kリマスター英語版

無名で一生を終えたであろう自分たちが

 アナキストとして後世に名を残すことができたことを

 検事と裁判官に感謝する

 

原題は「Sacco e Vanzetti」(サッコとバンゼッティ

エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」 にて鑑賞

エンニオ・モリコーネの代表作のひとつに数えられ

活動家で歌手のジョーン・バエズが主題歌「勝利への讃歌Here's to you 」と

挿入歌「サッコとヴァンゼッティのバラード」の2曲を歌います

邦題は映画より主題歌よりですが、甘すぎ

ベン・シャーンの絵でも有名な

1920年のアメリカ・マサチューセッツ州で実際に起こった

サッコ=ヴァンゼッティ事件の映像化

暴動やデモ行進は白黒(記録)映像と

カラー映像ドラマ部分にわかれていて

警官隊の手入れは、191919201月まで行われた

冒頭の警官隊による襲撃シーンは「パーマーレイドと呼ばれる左翼狩り

当時の司法長官アレキサンダー・ミッチェル・パーマーの指揮のもと

左派や過激派と思われる人々は大量にレイド(強制捜査、襲撃)

逮捕され、外国人労働者は国外追放されます

1920年3月パーマーが退任し、穏健派はこの悪夢が終わるかと思いきや

そうではなかったのですね

1920年5月5日社会主義思想(といっても単なるビラ配り)のイタリア移民

靴工場で働くニコラ・サッコ(リカルド・クッチョーラ)と

魚売りのバルトロメオ・バンゼッティ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)のふたりが

警察で職務質問を受けることになり

サッコが銃を所持していたことから

4月15日にマサチューセッツ州ブレインツリー市の靴工場で

会計部長と護衛が射殺され6,000ドルが強奪された容疑者として

的確な証拠もないまま逮捕、送検されてしまいます

裁判が始まり、検察が用意した証人たちの評言は誰が聞いても嘘

証拠品として出されたものは誰が見ても捏造

一方でふたりにはちゃんとしたアリバイがあり

共産党員ではなく自由を愛するアナーキストだと訴えても

彼らに有利になる評言もすべて却下

さらに検察側のイタリア人蔑視がまあ酷い

ムア弁護士(「バーバレラ」のデュラン・デュランだわ 笑)

カッツマン判事(シリル・キューサック)を「KKKだ」と罵りますが

KKK」って黒人やアジア人やヒスパニックなどへの人種差別だけじゃなく

カトリック教会やフェミニズムなど、悪い意味で多岐にわたっているんですね

100%冤罪、初めから罪をなすり付ける結論ありきの裁判で

1921年7月14日、陪審員は全員一致で死刑判決を下します

公正さに欠ける審理に抗議する暴動がアメリカ各地で起き

ヨーロッパや南アメリカでもデモ活動が起こります

バンゼッティは「アナーキスト」(無政府主義反戦・反資本主義)というけど

サッコはバンゼッティほど強くないんですね

家族が暮らせるお金さえあれば幸せだったのに、それさえ叶わなかった

母親の葬儀にも出れなかった

そのうえ無実の罪で死刑

絶望して奥さんに当たり、心が病んでしまう

戦う意志も生きる気力もなくしてしまいます

ひとりの囚人が真犯人を知っていると告白し(実行犯のひとり)

トンプソン弁護士(ウィリアム・プリンス)が

犯人の証拠が隠滅されていたことを知り

実行犯がわかっても裁判長タイヤ-(ジェフリー・キーン)が

裁判のやり直しは認めることはありませんでした

1927年4月、知事のもとに無実を訴える莫大な量の署名や手紙が届けられ

知事はバンゼッティを呼び、どうして「恩赦」を申し出なかったと

しかし知事が設置した特別委員会は、国際的な助命嘆願を棄却し

死刑判決を再度確定していたのです

知事の友人は憎きカッツマン判事(おまえが死ね)

知事は(おまえも死ね)リンドバーグ(当時は極右で親ナチだった)と

会う約束があるとカッツマンと部屋を出て行くのでした

バンゼッティはサッコに「おまえが正しかった」と言い

サッコは息子に「我々の信念は若者に受けつがれる」

「幸福はひとり占めするな 隣人を思いやり、弱い人、悲しむ人を助けよ」と

手紙を書くのでした

 

1927年8月、ふたりは電気椅子で処刑されます

(「グリーンマイル」は確実に影響を受けているね)

50年後の1977年、マサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスは

誤認逮捕並びに冤罪であるとしてのサッコとバンゼッティ無実を公表

 

しかし今のアメリカでも、SNSを中心とした歴史修正主義者の間では

ふたりは冤罪ではなかったと主張する人々が多くいるそうです

 

 

【解説】映画.COMより

1920年代のアメリカで実際に起こった冤罪事件「サッコ=バンゼッティ事件」の差別と偏見に満ちた裁判の様子を、「明日よさらば」のジュリアーノ・モンタルド監督が冷徹なまなざしで描いた実録ドラマ。
イタリア移民の労働問題が叫ばれていた1920年代のボストン。靴職人のニコラ・サッコと魚行商人のバルトメオ・バンゼッティはともに護身用のピストルを携帯しており、それを見とがめた警察は彼らがイタリア人だと知るや、即座に逮捕。2人はまるで身に覚えがない製靴会社の現金強盗殺人犯とされ、次々と提示される証言や証拠によって有罪の判決が下されてしまう。
サッコを演じたリカルド・クッチョーラが、1971年・第24回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。音楽を名匠エンニオ・モリコーネが担当。公民権運動や反戦運動を支持した活動家としても知られるフォークシンガーのジョーン・バエズが主題歌および挿入歌を歌ったことも話題となった。2024年4月、特集上映「エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」にて、4Kリマスター・英語版でリバイバル上映。

1971年製作/125分/イタリア
原題:Sacco e Vanzetti
配給:キングレコード

 

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986) デジタル・リマスター版

「あそこに自分は宇宙人だと言ってる人が居るんですけど」

原題は「Kin-dza-dza!

知る人ぞ知るシュールな脱力系SFコメディ

私はこういうしょうもないB級C級映画も好きなのですが(笑)

この奇妙な映画が国際的に高い評価を受けたのは

旧ソ連の厳しい検閲を通り抜けたという作り手の賢さ

ダネリヤ監督(反体制のグルジア人)の手腕を称えたもの

スタンリー・キューブリックへの崇拝が感じられますし

テリー・ギリアムであり

セルジオ・レオーネのような世界観もあります

宇宙船を開発する技術がありながら、誰もが貧しく

食料やエネルギーを手に入れるため平気で嘘をつく

にもかかわらず、人種差別による階級意識だけは厳格だという

祖国に対するアンチテーゼは

国や時代を越えても考えさせられるものがありました

1980年代、冬のモスクワ

妻にパンとマカロニを頼まれた建築家のウラジミールが

街へ買い出しに出かけると、ジョージア人の大学生のゲデバンから

「あのひとがヘンなこと言っています」と助けを求められます

その浮浪者のような男が、「自分の星に帰りたい」と懇願すると

男の話を信じられないウラジミールは

彼の言う「空間移動装置」のボタンを押してしまいます

次の瞬間、ウラジミールとゲデバンは砂漠のど真ん中に瞬間移動していました

 

ここはロシアのどこかの砂漠だと、街を求めてふたりが歩き始めると

謎の飛行物体に乗ったふたりの男が現れ「クー」のポーズ(笑)

これってどっちが元ネタかわからないですけど、北野武さんの「コマネチ」か

オレたちひょうきん族」の「パーデンネン」じゃないですか(笑)

(ロシアの映画界では北野武さんのファンが多いらしい)

今でもロシア人は、このポーズをマネすることがあるそうです

ウラジミールの高飛車な態度にふたりはさっさと去ってしまいますが

彼が煙草に火をつけたとたん速攻戻ってきます

ここはキン・ザ・ザ星雲にあるブリュクという惑星で

マッチ(火薬)1本が貴重なエネルギー(それだけで宇宙船を飛ばせる)

ブリュクではチャトル人とパッツ人という2つの人種に別れていて

パッツ人は鼻に鈴を付け、チャトル人の儀礼に従わなければなりません

識別器ではウラジミールもゲデバンもパッツ人

パッツ人のビーは格上のチャトル人のウエフに

「クー!」のポーズをとるよう命令します

もちろん従わないウラジミール

地球に戻るためには船を高速で移動させる加速装置が必要とわかり

そこからブリュク星人と、マッチ箱を持っているウラジミールとの

駆け引きが始まります

しかし「加速装置」の他に水と食料を手に入れようとしたウラジーミルは

商人に騙されマッチのほとんどを盗られてしまいます

激怒したビーとウエフはふたりを飛行船から降ろしますが

観覧車のような建物を見つけたふたりはそこで

パッツ人がチャトル人に芸を披露すると(檻の中でやるルール)

お金が手に入ることを知ります

ウラジーミルがゲデバンが持っていたバイオリンでロシアの流行歌を歌うと

なぜかブリュク星人たちは大絶賛

お金が入り気を良くしたビーとウエフは再びふたりを飛行船に乗せますが

飛行船は燃料切れで動かなくなり、4人は飛行船を押しながら

燃料を手に入れる場所を探します

さらに地球に帰るための加速装置と、地球の座標を調べるため

労働施設や劇場、天文装置のある都会(地下)を目指します

そこでは「PJ」と呼ばれる権力者が仕切っていました

チャトル人の上にはエツィロップという

ブリュク星の警察官であり権力者がいて、ステテコの色で見極められます

黄色が偉く、赤はもっと偉い

その最も階級の高い赤いステテコを履いているのが「PJ」

(階級が上ほど、さらにバカそうになるという喜劇)

こんな差別はないほうがいいと訴えるゲデバンに

ビーは「差別をなくしたら、上に上がるという目標が無くなるのでやめてくれ」

マッチが欲しい理由も「虐めたい」ため

裕福になって「土地を買い貧しい人たちを入植させる」と言うのです

夢や理想ではなく、結果から考えるという発想の転換

 

ブリュク星語の解説があるのも面白い(笑)

そうしてビーとウエフが逃げてしまったため

ウラジーミルは警察に通報、飛行船を捕まえることはできましたが

ビーとウエフが死刑判決を受けてしまいます

そこにモスクワで会った男が(靴下を貰ったお礼に)

ウラジーミルを助けにやって来ます

しかしウラジーミルはビーとウエフを見捨てることができず

男の誘いを断ってしまいます

ビーとウエフを助け出したウラジミールとゲデバンですが

地球へ向かう中間地点の(カーストで最上級の)惑星では

(植物になること(生産すること)が幸せ=真の共産主義世界)

カーストで最下位のブリュク星の)ビーとウエフをサボテンにしてしまいます

ウラジミールはビーとウエフを助けるため、時間を戻してもらうよう頼みます

 

そうしてビーとウエフは旅立つ前のブリュク星へ

ウラジミールは妻のいる家に帰ることができたのでした

再び街に買い物に出かけたウラジミールはゲデバンに再会

ブリュク星での記憶は失われていましたが

パトカーのライトを見た途端

ふたりは反射的に「クー」のポーズをしたのでした

 

面白いけど「パブロフの犬」の如き

意志と反して身体は従ってしまうという、これもまた皮肉なものです

 

 

【解説】映画.COMより

1986年、ソビエト連邦時代のジョージアグルジア)で製作され、当時のソ連で大ヒットを記録した脱力系SFコメディ。ある日、建築技師のマシコフは、「あそこに自分は異星人だという男たちがいる」と困った様子の学生ゲデバンに助けを求められる。異星人など信じられないマシコフが、その男たちが持っていた空間移動装置のボタンを押すと、次の瞬間、マシコフとゲデバンは地球から遠く離れたキン・ザ・ザ星雲のプリュク星へとワープしていた。そこでは何故か地球のマッチが超貴重品で、2人はマッチの価値を利用してなんとか地球へ帰ろうとするのだが……。日本でもカルト的人気を誇り、89年に都内の劇場で行われた「ソビエトSF映画祭」で初めて紹介された後、2001年にニュープリント版、16年8月にデジタルリマスター版で公開。21年5月にはアニメ版「クー!キン・ザ・ザ」の公開にあわせ、実写版の本作も4度目の劇場公開を果たす。

1986年製作/135分/ソ連
原題:Kin-dza-dza!
配給:パンドラ

 

リンダはチキンがたべたい!(2023)

原題は「Linda veut du poulet!

国際的に高い評価を受けたフランス・イタリア合作の

「アート系」アニメ-ジョン

素描に色を重ねただけという、カラフルでシンプルな作画スタイルですが

キャラクターが個々に色分けされているので

多人種を表すのにうまく機能して迷うことがありません

いかにもフランス風のスラップスティックコメディの中に

シングルマザーや移民が置かれている格差や

ゼネスト企業や組織単位ではなく全国レベルで団結して行うストライキ

という社会問題を背景に

モラルに欠けた理不尽な世の中で人々はどう助け合うべきなのか

さらに「記憶にない人間は存在するのか?」という

哲学的ともいえる問いかけが待っています

 

一般的な日本人と感性に比べて、相性がいいかというと難しいですけど

エリック・ロメールを好きな方とかにはおススメかも

バンリュー(フランスの移民や貧者が多い公営住宅地帯)の

団地に住む女の子リンダ(10歳くらい)は
父親はリンダが一歳の時、食事中に突然亡くなっていて

母親のポレットとふたり暮らし

父親の記憶はありませんが、父親が作ってくれた得意料理

「パプリカチキン」のことだけは覚えています

ある日、母親の大切な指輪がなくなり

親友のアネットの新しいベレー帽と交換したと疑いを掛けられたリンダは

叔母でヨガ講師をしているアストリッドに預けられます

アストリッドは(たぶん)ベジタリアンで自然回帰型の生活をしていて

リンダは彼女の家に泊まるのが堅苦しい(笑)

帰宅したポレットは、猫のゲーの中に指輪を発見

リンダが盗んだのは誤解だとわかり

お詫びに「パプリカ・チキン」を作ることを約束します

しかしその日はストライキでお店はどこも休み

日本人の親だったら、うまく子どもを言い包めると思うのですが

ポレットはたとえ相手が子どもであっても

ひとりの人間として人格を尊重しようとするんですね

それはいいとして

なんとポレットは養鶏所から生きている鶏を盗んで逃げます

だけど絞め方がわからない(笑)

姉のアストリッドに電話で助けを求めると

運転中の通話で警察に捕まってしまい

新人警察官のセルジュが怪しい音のするトランクを調べてみると

鶏が逃げ出してしまいます

リンダとポレットは鶏を追いかけ

イカを運ぶトラックの荷台に逃げ込みます

自転車でトラックを追いかける警察官(笑)

警察官に気付いた運転手のジャン=ミシェルがトラックを停めると

ジャン=ミシェル(鳥の羽根アレルギー)は荷台に隠れていたポレットに一目惚れ

母親のメメなら鶏を絞めれるかもとバンリューまで乗せていくと

メメはリンダの知り合いでした

だけどメメも鶏を絞め方は知らないという(父親の仕事だった)

そこで警察官はピストルで鶏を撃ち殺そうとしますが、当たらない

部屋を壊されたメメは気絶し

リンダと友人たちは鶏を追いかけ

メメの家具をめちゃくちゃにしてしまいます

やっと捕まえた鶏を地上めがけて窓から放り投げると

鶏は大木の枝に留まってしまう

地上からは子どもたちが、鶏を落とそうとあれもこれも投げつけ

リンダたちは見つけた釣り竿で鶏をひっかけようとします

警察官がポレットの手錠の鍵を飲み込んでしまっため

ジャン=ミシェルはポレットの手錠をバーナーで焼いて切る

どこにやってきたアストリッドが、警察官に木に登れと命令し

リンダの友人がパプリカを焼いているオーブンが煙を吹く

ついには機動隊まで出動すると

友人の幼い弟がトラックの荷台から投げ捨てたスイカ

サッカーボール如き宙を行き交う

世の中は理不尽で、大人(政治家)の言うことは辻褄があわない

それをアニメーションという「嘘」で表現する

 

でも大変なときここそ助けあわなきゃいけなし、許さなきゃならない

(鶏を盗まれたニート風なお兄ちゃんが一番マトモそうという 笑)

そして恋もしなくちゃいけない(笑)

リンダの頬に水漏れの雫が落ち、あたかも涙のように流れる

そのとき水が溢れた階上のリンダの部屋では

父親が猫を抱き、チキンのレシピ本を読んでいました

確かに父親は存在していて、リンダのことも母親ことも愛していたのです

結局誰が鶏を絞めたのかは、わからなかったのだけど(笑)

バンリューの広場で皆にパプリカチキンをふるまうジャン=ミシェル

でも得意なのはラザニアと打ち明けると

「ママがいちばん好きなのはラザニア」だと、リンダは教えます

木の上にいた警察官とアストリッドにはスイカが届けられ

警察官が本当は手品師になりたかったと告白すると

アストリッドは彼のパンツを「素敵」と褒めるのでした

 

みんな、幸せになあれ

問題はパプリカチキンがあまり美味しそうじゃないということ(笑)

劇場でレシピの載ったカード貰えます

 

 

【解説】映画.COMより

チキンをめぐって母娘が巻き起こす騒動と亡き父の記憶をカラフルな色づかいで描き、アヌシー国際アニメーション映画祭2023の長編アニメーション部門で最高賞にあたるクリスタル賞に輝いたアニメ映画。
とある郊外の公営団地に暮らす8歳の女の子リンダと母ポレット。ある日、母の勘違いで叱られてしまったリンダは、間違いを詫びる母に、亡き父の得意料理だった「パプリカ・チキン」を食べたいとお願いする。しかしその日はストライキで、街ではどの店も休業していた。チキンを求めて奔走する母娘は、警察官や運転手、団地の仲間たちも巻き込んで大騒動を繰り広げる。
監督・脚本を手がけたのは気鋭の映画作家キアラ・マルタと「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」のアニメーション作家セバスチャン・ローデンバック。実生活では子を持つ夫婦である2人が、ユーモアといたずら心を織り交ぜながら詩的な表現で描き出す。

2023年製作/76分/G/フランス
原題:Linda veut du poulet!
配給:アスミック・エース

 

続・夕陽のガンマン 地獄の決斗(1967)4K復元版

原題は「Il buono, il brutto, il cattivo」(善玉、卑劣漢、悪玉)

邦題は「墓場の決斗」でよかったと思う

(夕陽が出てくるシーンもいっこもない 笑)

 

南北戦争の時代、墓地に隠された金貨を3人の男が奪いにいくという

至ってシンプルなストーリーですが

過去2作品に比べ予算も規模も大幅にアップ

1500人のエキストラに、60トンの爆薬を使用

伝説のクライマックス決闘シーンで使われた「サッドヒル墓地」も

映画のために作られたセットということ

3時間という長さにする必要はあったのかと思えば微妙ですが(笑)

それぞれのシーンは見ごたえあります

 

クリント・イーストウッドリー・ヴァン・クリーフ

イーライ・ウォラック演じるそれぞれの賞金稼ぎを

「善玉」「悪玉」「卑劣漢」と区別するニクイ演出ですが

イーストウッドとクリーフには、ほぼセリフさえありません(笑)

メインは泣いて笑って喧嘩して、ほぼウォラック

それがまたいい(笑)

冒頭、3人の賞金稼ぎが酒場に入るとひとりの男が店の窓を破って脱出

男の名前はテュコ(卑劣漢)

数々の悪事を積み重ねていて、2000ドルの賞金がかかっていました

 

次に黒い衣装に身を包んだ殺し屋が

荒野の一軒家にジャクソンという男を訪ねてきます

家の主人は殺し屋から家族を守るため

ジャクソンはビル・カーソンという名に変名していること

ジャクソンを探している依頼主の倍の金を払うから、依頼主を殺してくれと頼みます

殺し屋は構わないと金を受け取ると、主人とその息子を射殺

主人からの依頼通り雇い主も殺し

20万ドルを持ち逃げしたというビル・カーソンを探しに行きます

殺し屋の名前はエンジェル(悪玉)

金髪で長身のガンマンに捕まったテュコ

金髪の男は賞金を受け取り、テュコは縛首の縄を付けられますが

吊るされる寸前、金髪は狙撃で縄を切断

ふたりは2000ドルを山分けします

男の名前はブロンディ(善玉)

しかしブロンディはテュコの賞金が3000ドルを上回らないことに見限りをつけ

彼を町から100キロ以上離れた荒野に置き去りにします

荒野を脱出しものの、テュコの怒りは凄まじく

すぐさま銃砲店を目指します

 

この銃砲店の店主が、赤ら顔でまたいい顔をしているんですよね(笑)

テュコが選んだのはコルトM1851ネ−ビ−のコンバ−ジョンモデルという

部品が分解出来て、シリンダ−と銃身をそれぞれ選び組み立てるもの

その様子を見て得意げな表情を見せる店主

だけどテュコに銃は奪われ、売上金まで持っていかれます(笑)

そうしてブロンディを追うテュコ

その頃ブロンディは違う相棒を見つけ

同じく縛首の縄を切って賞金を稼いでいましたが

テュコに銃を突き付けられている間に相棒はお陀仏

ブロンディは水も帽子もないまま、灼熱の砂漠を歩かされます

一方、ビル・カーソンの愛人マリアを見つけたエンジェルは

ビル・カーソンが南軍に参加したことを聞き出し

さらに情報屋の負傷兵からビル・カーソンの所属する部隊と

彼が独眼だと教えられます

ついに火傷と脱水で倒れてしまうブロンディ

そこに暴走する荷馬車が現われ、テュコは馬を停めると

死んだ南軍兵士から貴重品を奪います

すると瀕死の独眼の兵士が「水をくれ」と

水をくれたら20万ドルの金貨のありかを教えるというのです

教えたら水を飲ませるというテュコ

男は「サッドヒル墓地」と答えますが、そこは5000以上墓標がある巨大な墓地

どの墓標に金が隠したのか聞き出そうにも男は今にも死にそう

慌てて水を取りに行き、戻った時に男は死に傍らにはブロンディの姿

墓標の名前はブロンディが聞いていました

テュコは「死ぬな、死ぬなよ」とブロンディを馬車に乗せ

南軍兵のふりをして(ビル・カーソンの軍服と身分証明書を盗む)

負傷兵を治療している教会に向かいます

僧侶のベッドを奪い、特別扱いでブロンディを療養させる

この教会のパブロ・ラミレス神父は、テュコの兄だったのです

兄は犯罪者になった弟に冷たい

しかも9年間実家に帰らず、その間に両親は死んでしまったと

だけどテュコは貧しい一家で、優秀な兄は神学校へ

残された自分は家族を養うため泥棒になったと兄を責めます

 

ブロンディが回復し、テュコが教会を後にしたとき

兄は弟を思って泣き

テュコは、いかに兄さんが歓迎しててくれて

もてなしてくれたかをブロンディに話します

何も言わず、微笑むだけのブロンディの粋さよ

 

が、埃にまみれた北軍の軍服を南軍と勘違い

北軍の捕虜となってしまったテュコとブロンディ

しかも収容所には軍曹になったエンジェルがいました

収容所の責任者ハーパー大尉(重度の壊疽で歩けない)は

捕虜の拷問を禁止していましたが

エンジェルはビル・カーソンを名乗るテュコを食事に誘うと

(音楽隊の演奏で大尉にバレないよう)部下のウォレス伍長に拷問させ

金の隠し場所が「サッドヒル墓地」で

墓標の名前を知っているのはブロンディだと聞き出します

そこでエンジェルはブロンディと組むことにし

テュコはウォレス伍長に手錠で繋がれ(裁判を受けるため)列車に乗せられます

そこでテュコはウォレス伍長ともども列車から飛び降り、ウォレス伍長は死に

手錠の鎖を線路に置き、次の列車で鎖を切ることに成功します

そこから北軍の砲撃された町に到着すると風呂を発見

あれもこれも石鹸を入れて(笑)バブルバスに浸かっている頃

 

エンジェルとブロンディも町に到着していて

テュコを見つけたエンジェルの部下が襲撃してきますが

テュコは風呂の中に隠していた銃で反撃します(かっこいい)

テュコが生きていることを確信した(銃声で誰が撃ったかわかる)ブロンディは

エンジェルのもとを去り、再びテュコとペアを組みます

しかし「サッドヒル墓地」に向かうには、北軍と南軍が激戦している

「ラングストーン橋」を渡らなければなりません

 

テュコとブロンディは北軍に志願兵だと嘘をつき

(常に酒を飲み酔っぱらってる)クリントン大尉から

「ラングストーン橋」を守れという命令のせいで、多くの人命を奪ってる

両軍が無駄な戦いをやめる解決策はこの橋を破壊すること

でもそうすると反逆罪になってしまうと教えられます

橋の向こう側に行きたいテュコとブロンディ

しかし橋を渡ったら南軍に殺されてしまう

そこでふたりは北軍からダイナマイトを盗み橋仕掛け

南軍が責めてきたときに爆破する計画を立てます

そして爆破や戦闘に巻き込まれてどちらかが死んだときに備えて

テュコは「サッドヒル墓地」という場所を

ブロンディは「アーチ・スタントン」という名前を告白します

 

橋の爆破は成功し、両軍は戦場を放棄

ふたりは(致命傷を負った)大尉に別れを告げますが

トゥコはブロンディを裏切り、南軍の馬を盗むとひとり墓地に急行

ついに「アーチ・スタントン」の墓を見つけ、素手で掘りはじめます

そこにスコップが投げ出され、振り向くと

「このほうが早い」と銃を構えるブロンディの姿

 

さらにもう一本スコップが投げ出され

「ふたりのほうがもっと早い」とエンジェル

しかし「アーチ・スタントン」の墓には遺骨しかなく

ブロンディは石を拾い、そこに本当の名前を書くと言います

決闘で勝ったものがその名前を知ることができる

 

三つ巴でにらみ合いのなか

ブロンディの銃口が火を吹き、墓穴の中に倒れるエンジェル

テュコのリボルバーからは弾丸を抜かれ

しかも石には何も書かれていない

ブロンディに踊らされていたことに気付くテュコ

金の在りかは(「アーチ・スタントン」の隣の)「名無し」の墓

だから石にも名前がないのさと

テュコの首に縄をかけると、墓標の上に立たせるブロンディ

半分の金貨を馬に乗せ立ち去ります

 

ついにテュコの首が吊られようとしたとき

遠くから銃弾でテュコの縄を切るブロンディ

墓場を走り回り「おまえは善玉じゃねえ」とブロンディ罵るテュコ

ごもっともでございます

あんたら全員悪玉だから(笑)

 

【解説】映画.COMより

名匠セルジオ・レオーネクリント・イーストウッドが「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」に続いてタッグを組み、3人の流れ者が大金を巡って繰り広げる熾烈な争奪戦を描いた大作マカロニ・ウェスタン
南北戦争末期のアメリカ西部。“善玉”ブロンディと“卑劣漢”テュコはコンビを組み、詐欺まがいの手口で賞金を荒稼ぎしていた。ある日、彼らは瀕死に陥った兵士から、巷で噂されていた20万ドルの金貨の隠し場所を聞く。ブロンディとテュコは互いを出し抜く機会を狙いながら大金の行方を追うが、そこへ以前からその大金を探していた“悪玉”エンジェルも加わり、三つどもえの戦いが幕を開ける。
ブロンディをイーストウッド、エンジェルを「夕陽のガンマン」のリー・バン・クリーフ、テュコを「荒野の七人」のイーライ・ウォラックがそれぞれ演じた。エンニオ・モリコーネによる音楽も印象を残した。

1967年製作/178分/イタリア・スペイン・西ドイツ合作
原題:I due magnifici straccioni
配給:アーク・フィルムズ

 

 

夕陽のガンマン(1965)4K復元版

原題は「Per qualche dollaro in piùもう数ドルのために

セルジオ・レオーネ監督作品の中で、本作が一番好き

というオールドファンも多いのではないでしょうか

顔のクローズアップを多用し、目で演技させる巧みな演出

イタリア映画の伝統を感じさせるネオレアリズモに

緻密に考えられたファッション

衣装デザインは舞台美術も兼ねているカルロ・シミ

レオーネは彼をよほど気に入ったのか

同じ衣装とセットを使いまわし(笑)

 エル・パソ銀行の支店長として出演させ

プロデューサーのアルベルト・グリマルディために設計した別荘は

レオーネの終の棲家となります

実質的な主人公は賞金稼ぎのモーティマー大佐を演じる

リー・ヴァン・クリーフ

冒頭からクールな立ち振る舞いに痺れます

遅れてやって来たクリント・イーストウッド

あだ名はモンコ(Manco)スペイン語で「片腕」

銃を撃つときと馬に乗るとき以外決して右腕を使わない

「荒野の用心棒」の続編を思わせるシークエンス

小僧に駄賃をねだられ、宿屋の女将は色目を使う

登場人物たちに直接的なセリフはあまりありません

雰囲気だけで魅せてくれます

帽子の撃ち合いで射撃の腕を見せつけあう

モーティマー大佐のほうが上をいくっていうのがまたいい(笑)

 

ふたりは賞金頭のインディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)を捕えるため

協力することになります

刑務所を脱走したインディオは、ムショで同室だった元家具屋の男から

エルパソの隠し金庫の場所を聞いていて、襲撃に備えることにします

しかし自由の身になったにもかかわらず、インディオの目は虚ろ

手にはいつもオルゴール時計が握りしめられていました

モーティマー大佐は銀行襲撃の情報を聞き出すため

モンコにインディオ一味に潜入するよう命じ

モンコはインディオの親友をムショから脱出させると

インディオの仲間に入ることに成功します

インディオの計画は、まずエルパソとは別の銀行を襲い

保安官や自警団たちがそちらに向かった隙に

エルパソの銀行から金庫を盗もうというもので

4人の手下とともにモンコを別の銀行の襲撃に行かせます

途中で手下を倒したモンコは無線所のじいさんに

「銀行が襲われた」と嘘の無線を流させます

保安官たちが銀行に向かうと、インディオ一味はエルパソに向かいます

そこではモーティマー大佐が待機していました

 

しかしインディオのほうが一枚上手

入り口から入り銃を突きつけて金を奪う方法ではでなく

ダイナマイトで壁をぶっ壊し、隠し金庫ごと奪ったのでした

モーティマー大佐はモンコにリオグランデの北に一味を誘い込み

挟み撃ちにしようと持ちかけますが

モンコはインディオにモーティマー大佐と待ち合わせたのとは逆の方向を伝え

インディオは「ならば東だ」と砦に向かいます

 

そこで待っていたのはモーティマー大佐でした

裏の裏の裏をかく面白さ

モーティマー大佐は、ダイナマイトで吹っ飛ばしたら紙幣も灰になる

自分なら金庫を開けれるとインディオに持ち掛け、見事金を取り出します

インディオは分け前は後払いだとし

その夜宴が始まると、モンコは酔いつぶれたふりをして金を隠した小屋に行くと

そこにいたのはモーティマー大佐でした

モーティマー大佐はモンコに金を持って逃げるよう言いますが

インディオは最初からふたりが賞金稼ぎだと気付いていました

ふたりは一味に捕りリンチされます

しかしインディオの側近が銃を与えふたりを逃がします

インディオはふたりが部下たちと殺し合いになれば

分け前が増えると計算したのです

インディオの計画通りモンコとモーティマー大佐は部下たちを皆殺しにしますが

金はすでにモーティマー大佐が別の場所に隠していました

モーティマー大佐との決闘に挑むインディオ

銃を抜くのは時計のオルゴールが鳴りやんだ時

そして、なぜインディオが虚無感露わだったのか

オルゴール時計を大切に身に着けていたのかがわかります

 

インディオはかって夫のある女性に横恋慕していました

その女性を手に入れるため、夫を殺し屈辱しようとすると

女性はインディオの銃で自殺してしまったのです

その女性こそモーティマー大佐の妹でした

良家に育った軍隊の英雄が、賞金稼ぎになったのもインディオを殺すため

妹の復讐をするためだったのです

時計のメロディが鳴り止むと同時に、もうひとつの時計のメロディ

モーティマー大佐の時計を持ったモンコが現れます

クライマックスでも決して焦りは見せない

遠景を巧みに織り込んだ、ダイナミックで余裕の長回し

この脳裏に焼き付くようなワンシーンワンシーンを決して忘れない

役目を果たし去っていくモーティマー大佐

ひとり馬車の荷台に死体を担ぎ込むモンコ

勘定が足りないことに気付くと、死にきれてなかった奴がひとり

男を倒すと「これで計算があう」と馬車を走らせたのでした



 

【解説】映画.COMより

「荒野の用心棒」で世界中に“マカロニ・ウエスタン”ブームを巻き起こしたセルジオ・レオーネ監督と主演のクリント・イーストウッド、音楽のエンニオ・モリコーネが再結集し、2人の賞金稼ぎの共闘と友情をスタイリッシュに活写した西部劇アクション。
凶悪犯エル・インディオが刑務所から脱獄し、1万ドルの賞金が懸けられた。インディオ一味を追う若き賞金稼ぎ・モンコと商売敵のモーティマー大佐は、一味全員の賞金を山分けすることを条件に手を組むことに。2人は反発し合いながらも次第に絆を深め、インディオを追い詰めていくが、大佐にはある別の目的があった。
「真昼の決闘」のリー・バン・クリーフがモーティマー大佐を存在感たっぷりに演じた。同じくレオーネ監督とイーストウッドモリコーネがタッグを組んだ「荒野の用心棒」「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」とあわせて「ドル3部作」と呼ばれる。1966年製作/132分/イタリア・スペイン・西ドイツ合作
原題:Per qualche dollaro in meno
配給:アーク・フィルムズ