「昔々、アナトリアで・・・と始まるお伽話みたいだ」
原題も「Bir Zamanlar Anadolu'da」(英題Once Upon a Time in Anatolia)
第64回カンヌグランプリ受賞のトルコ /ボスニア・ヘルツェゴヴィナ作品
トルコ人監督のヌリ・ビルゲ・ジェイラン曰く
「僕の作品は難しいから、全部わからなくていい」
アナトリアはアジア大陸最西部に位置するトルコ共和国のアジア部分で
南東部にはクルド人(クルド語)と若干のアラブ人(アラビア語)
同じ土地に違う歴史を持つ民族が暮らす複雑さは
そこに住む人間でないと理解できないでしょう
そしてイラン人監督アスガー・ファルハディの作品でもですが
イスラム教では性的と思われる表現が厳しく禁じられているため
私たちは映像と言葉のニュアンスだけで、何があったか想像するしかありません
草原や川などの自然や、鳥が飛ぶ、風が吹く、雨が降っている
・・だけの描写がやたら多いのは、タルコフスキーの影響で
ロシア文学に傾倒しているということで合点(笑)
前半は、ある殺人事件の現場検証が主軸になっています
警察と検事と医者が容疑者の男に同行し
ヘッドライトが照らす暗い草原で死体遺棄現場を探します
容疑者ケナンと共犯の弟のラマザンの供述は曖昧で
殺した理由も謎のまま
酒に酔っていたと、遺体を埋めた場所を思い出せないというケナンのせいで
一晩中アナトリアの田舎を移動し続け
やがて深夜となり、捜査員たちは疲れと空腹で苛立ってきます
休憩と食事のため、運転手のアラブの妻の出身地だという近くの村に行くと
村長とその家族は快く彼らを迎え、暖かい食事を用意してくれました
やがて満腹になり、捜査員たちが睡魔に襲われ寝ぼけているとき
美しい(村長の)娘が現れ、ひとりひとりにチャイを配ります
天使のような純真で無垢な美しさに男たちは息を飲み
ケナンは思わず事件の真相を語ります
酒の席でケナンは、死んだヤシャルの息子が自分の子であることをばらしてしまい
何も知らなかったヤシャルと喧嘩になり、殺してしまったのだと
ここまでケナンの存在にはほとんどフォーカスせず
物語を引っ張るのは、彼を護送する警部のナージ
立ち合いの医者と(病気でおしっこに何度も行く)検事の
本筋とは関係ないように思える話ばかり、だけどそこにヒントがある
検事は「5か月後に死ぬ」と言い本当にその日に死んだ
”友人の妻”の話を医者にします、医者の診断は心臓発作
人は自分の死ぬ日を予言できるだろうかと尋ねる
そして村長の美しい娘(イングリット・バーグマンに顔立ちが似てる)
「このままこの田舎で朽ちていくのが惜しい」と呟く
翌朝、ヤシャルは発見されました(死体袋を忘れるか? 笑)
首と両足をヒモで縛られ、哀れな飼い犬が死体を掘り起こしていました
警察署に戻ると入り口の人だかりの中にはヤシャルの妻と息子もいて
ケナンはヤシャルの息子(本当は自分の息子)に石を投げつけられます
その時ケナンは、息子がヤシャルを尊敬し愛していたことに気付く
ヤシャルも息子を自分の子と疑わず可愛がって育てたのだろう
酒で口を滑らせたことが、こんなことになるなんて
遅すぎる後悔、留置所で泣き続けるケナン
検死の結果、死因は生き埋めによる窒息死だとわかります
身体を縛っていたヒモはヤシャルが首つりに使用したとものと思われました
しかし医者は生き埋めであったことや、自殺の可能性を隠蔽しようとします
医者は検事に”友人の妻”についてもういちど尋ね
飲み過ぎると心臓発作を起こす薬がある話をします
検事は、もしそうなら彼女は何故それを飲んだのだろうと
ただ、一度だけ夫が他の女といるところを妻に見られたと明かします
酔って少々馬鹿なことをしただけ、彼女も分かってくれた、と
(何もなかったと最後までシラをきればいいものを)
検事が「人は誰かを罰するために自ら命を絶つだろうか?」と聞くと
医者は「自殺のほとんどは誰かを罰するため」であり
「殺人のほとんどは自分や誰かを守るため」と答えます
検事は”友人の妻”は自分の妻だと告白しました
(注:ここから妄想入ります)
イスラム教で女性の浮気は、死刑もしくは終身禁固
どちらにするか夫または父親が判断できるそうです
トルコは死刑廃止国なのでそこまで重い罪になるかどうかわかりませんが
離縁されたり、村八分になることは間違いないでしょう
自殺もコーランでは禁じられていて、自殺=重罪
家族に自殺者がいた場合、遺族をサポートする仕組みはなく
結婚が破談になるなど不利な状況に追い込まれるそうです
息子が妻の浮気でできた子だと知ったヤシャルはショックと同時に
妻の不貞を罰するため、高原の木で首吊り自殺しようとしますが
巨漢のせいで枝が折れてしまいます
ケナンとラマザンは倒れているヤシャルをヒモで縛り、土に埋め
(息子の将来のため)他殺に見せかけようとしたのです
ヤシャルはまだ息があり、本当の殺人事件になってしまったものの
その時ケナンはまだ、友人を埋めたことを悪いとは思っていませんでした
息子の母親の秘密を守るため
そして罪人(自殺者)の家族にならないようにするため
でも村長の娘(男性の世界で罪のない女性のイメージ)を見たとき
幼い頃から純粋にお互い思いを寄せていた娘を思い出したのです
だけど彼女は親の命令で醜男と結婚させられてしまった
輝きは消え、田舎で朽ち果てた聖処女のひとり
結婚生活は不幸で、子どもさえ出来ず
ケナンは同情と出来心で再び彼女を愛してしまいます
それは破滅を意味し、ふたりは秘密を守ることを固く約束したのに
女性にとっては永遠の秘密でも
男は酒のせいにして、何でも自慢したがるアホウ
コーランでも、法律でもなく、罪か慈悲かを審判したのは医者でした
今なら検事の妻の死因を心臓発作と診断した医者の気持ちがよくわかる
どんなに宗教の教えに従っても、どう行動するかは自分次第
ケナンは酒に酔った喧嘩での殺人罪として罪を償い
未亡人とその息子は被害者のお可哀そうな家族として生きていく
それでいいのです
(妄想終了)
医者が見下ろす窓からは、
病院から遠ざかる未亡人と息子の姿が見えました
考察(not妄想 笑)を必要とする奥深い内容ですが
分からなければ、分からないままでも傑作
ただしタルコフスキー同様
元気な時でないと寝落ちしてしまう可能性はあると思います(笑)
【解説】映画.C0Mより
「冬の街」(2003)でカンヌ国際映画祭グランプリ、「スリー・モンキーズ」(08)で監督賞を受賞しているトルコの名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランが、広大な草原地帯で殺人事件の遺体を捜索する男たちが織り成す人間模様を重厚なタッチで描き、第64回カンヌ国際映画祭で自身2度目となるグランプリを受賞したドラマ。殺害されて草原に遺棄された遺体を探し出すため、容疑者を連れて草原にやって来た警察官、検察官、検死医、発掘作業員ら一行。男たちは日常の話題や自殺や死について様々な会話を交わしながら捜索を続けるが、容疑者の供述が曖昧なため、遺体はなかなか見つからない。広大な草原をさまよう男たちは、次第に苛立ちを募らせていく。