田舎司祭の日記(1951)

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原題もJournal d'un cure de campagne」(田舎司祭の日記

マーティンスコセッシの「タクシードライバー

影響を与えた作品として有名

 

ブレッソンはよくベルイマンと比較されるそうですが

ベルイマンが「神とは何か」「神の不在」への思索を展開するならば

ブレッソンは「神」や「信仰」より人間の弱さ」

スポットを当てている気がします

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北フランスのアンブリクールという小さな田舎町

神学校を出て初めて司祭として赴任した若くて純真な司祭

日記(ナレーション)という形で

村での出来事を記録として綴っていくことにします

 

しかしインテリ風な司祭は、村民たちに受け入れられず

寄付も集まらず、村長は住まいに電気も引いてくれない

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少女たちに聖書を教える教義では

若くてハンサムな司祭に興味津々

そのなかでも特にリーダー格で頭のいいセラフィータは

意地悪な質問をしたり、異様な眼差しで見つめたり

司祭を惑わせます

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毎朝ミサに来てくれている女性には感謝をしていましたが

領主の娘の家庭教師の彼女は、領主と不倫していました

領主の妻は幼い息子の死が原因で臥せており

娘のシャンタルはかなり曲者

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布教と善行に励もうと初々しく輝いていた司祭の

胃の調子は悪化し、食欲は失せ

唯一食べれるのは赤ワインに浸したパンと、わずかな果物だけ

(ワインとパンはキリストの血と肉と考えられている)

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しかもいくら神に祈ったところで

体調はよくならないし、不倫問題も解決しない

村人たちには悪評を噂され

相談相手のデルベンデ博士は死んでしまう(自殺と思われる)

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苦悩を抱えたまま、ついに倒れ

医者の下した診断は「胃がん」でした

そこで「結核じゃなかったのか」って

アンタ自分が結核だと思って、悲劇の主人公になっていたんかい(笑)

(当時は結核で亡くなる人のほうが多かったのだろう)

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やがて病気とアルコール依存症のせいで

日記の文字乱れていき、文章は線で消され、ページは破かれる

(私もアル中だからわかる←何度ブログ記事をだめにしたか←一緒にするな笑)

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でもいくら日記を破り捨てても現実は消えない

ブレッソンはその事実を今度は映像だけで見せつける

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唯一司祭が笑顔を見せ、解放されたのは

シャンタルの従弟で外人部隊のオリヴィエに

バイクの後ろに乗せてもらい駅まで送ってもらうシーン

スピードと頬に当たる風

その一瞬だけ、司祭はひとりの普通の若者に戻れたのです

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そして聖書の授業で悪戯の首謀者だったセラフィータ
彼女の捻くれた性格が彼女の家庭環境にあり

本当は優しい子で、倒れた司祭を介抱し

「あなたは悪くない」と理解を示すシーンは聖母の姿のようで感動的

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もうひとり、女ができて神学校を辞めた友人との再会

信仰を失った彼を軽蔑していた司祭は

薬剤師として忙しく働きながらも、愛し合い幸せそうなふたりに

今まで信じてきた神への愛と、現実の愛は違うと気付く

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素朴で質素だと思っていた人々のほうが邪道で

悪魔に身を売ったと疑っていた人間のほうが

天使だった

結局自分の本心も、人々を見下し、憎み

邪悪だったことを知る

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「すべては神の聖寵(せいちょう)である」

司祭が悟りを開いたとき、それは彼が死を迎える時でした

彼の眼差しの先に見えたのは、神の姿だったのでしょうか

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ひたすら辛いことの連続で、ただ寂しく終わってしまう人生

だけど美しい

宗教観にはあまり囚われず

ブレッソンの虚無美を堪能してほしいと思います

 

 

【解説】映画.COMよりバルタザールどこへ行く」「スリ」など数々の名作を生んだフランスのロベール・ブレッソン監督が、1951年に手がけた長編第3作。カトリック作家ジョルジュ・ベルナノスの同名小説を原作に、聖と俗の間で葛藤する若き司祭を静謐なタッチで描き出す。北フランスの寒村に赴任した若い司祭は、身体の不調を自覚しながらも、村人たちの悩みを聞き布教と善行に励む日々を送っていた。しかし、彼の純粋な信仰への思いは村人たちとの間に次第に溝を生じさせ、事態は思わぬ方向へと展開していく。キャストには素人を起用し、音楽やカメラの動きなども含めた“演出”を削ぎ落としていく手法で、ブレッソン独自のスタイル「シネマトグラフ」を確立した作品。日本では製作から70年にわたり劇場未公開だったが、20216月に4Kデジタルリマスター版で劇場初公開となった。