原題も「VISKNINGAR OCH ROP:スゥエーデン語」(叫びとささやき)
ベイルマンほど見る人によって感じ方が様々な映画ってないと思う
どう解釈したらいいか悩むのだけど
簡単にいえば、ベイルマン版「東京物語」(1953)
(簡単にいいすぎだろ 笑)
完璧すぎて退屈、なのに後引く余韻がある
映像からは多くの監督が影響受けたことが非常によくわかります
「エクソシスト」(1973)、「アンチクライスト」(2009)
最近なら「サスペリア」や「女王陛下のお気に入り」
音響もいい、ほぼ無音で静寂の中にいきなり響く生活音
ドキリとします
紅い部屋で末期の子宮がんに苦しむアングネスを交代で看病する
姉のカーリンと妹のマリーア、そしてメイドのアンナ
カーリンは貞節だけど陰湿な性格で妹を妬み、辛辣な言葉を浴びせます
マーリアは表向きは穏やかでやさしいけれど色情狂
アンナは幼い娘を病気で失くしていて、信仰深いようです
アングネスが痛みに苦しんでいると、裸で慰めます
その姿はまるで宗教画のよう
アングネスの死後、死にきれないアングネスが
アンデッド(蘇生した死体)になったときも同じ
姉妹は恐怖で逃げても、アンナは死人を抱いて慰めます
葬儀のあと、アンナは暖かくも同情もなく解雇され
カーリンとマーリアはそれぞれ夫とヨリを戻し
そそくさと帰ってしまいます
館に残ったアンナは、アングネスの形見の日記を読み
アングネスだけが美しい心の持ち主だったことを思い出すのです
こう書くといい話みたいですが(笑)
エログロいホラーです
英語版ウィキペディア(翻訳)によると
赤い部屋で白い服を着てささやく4人の女性の繰り返しは
子供の頃の魂の外見は黒く、恥ずかしさを表しており
内面は赤だった顔のない人としての魂の見方を象徴
姉妹が楽しむランタンショーは、グリム兄弟の「 ヘンゼルとグレーテル 」で
アングネスの放棄と、母親のマリアへの好意
アングネスの癌は魔女
カリンが夫との性生活を拒むため外陰部を切断するのは
セックスも話すこともできない(コミニュケーション不可)を意味し
膣から口への血液の移動は、赤ワインは子宮からの血を象徴
そしてベイルマンはこの作品で
「私の母の肖像...私の子供時代の最愛の人」を計画
カリンはベイルマンの母親と同じ名前で
4人の女性すべて、母親の人格の側面を意図してるそうです
(子役の少女は(1人二役)ベイルマンとマリア役のイヴ・ウルマンの娘)
象徴、象徴、象徴続き、象徴が多すぎだわ(笑)
もとがわかっていないと、意味がわからなくて当然
それでも難解と呼ばれる映画の中では
ベイルマンはコンパクト(90分)にまとめていて見やすいので
美術館にでも行ったつもりで(笑)
この美しい世界に浸かってみる価値はあると思います
【解説】allcinemaより
S・ニクヴィストのカメラが、北欧の森の緑を深く捉えて、夏でもさえざえとした彼の地の空気がそのまま伝わってくるかのような作品。ベルイマンの出自そのものである、19世紀末の知的上流階級に属する一家の、病床の娘を中心にした家族間の相克を描く作品だが、いつもながらよく研磨されたダイアローグで人間の聖と俗を鋭くえぐっている。とりわけ、ウルマンの、病に伏せながら性の懊悩に苦しむさまはそら恐ろしい。けれど、その叫びもささやきもあくまで北欧的静謐さの中にあるのだ。