エル(1953)

原題は「El」(スペイン語で「彼」という意味)

原作はスペインの女流作家メルセデス・ピントが1926に発表した

自伝的小説「pensamientos」(思考)

 

映画は教会の洗足式(マウンディ)からはじまります

これは復活祭の日曜日に先立つ木曜日に行われる儀式で

(足を洗うことで)愛と謙遜さを学ぶべきというキリストの命令を記念したもの

神父が少年(弟子)たちの足を洗い甲にキスをします

フランシスコ(アルトゥーロ・デ・コルドヴァ)は、その水をたらいに汲んでいて

(教会でも地元の名士にしか出来ない役割らしい)

少年たちの足から参加している信者たちの足元に視線を移します

美しい女性の足を見つけて見上げると

そこには宗教画の絵のように美しい女性の顔

フランシスコは彼女に一目惚れし、教会に通い執拗に迫ります

彼女が友人のラウル(ルイス・ベリスタイン)の婚約者

グロリア(デリア・ガルセス)と知ってからも諦められません

グロリアもフランシスコの強引さと自信に溢れる魅力に負てしまい

フランシスコの屋敷のパーティで彼とキスしてしまいます

そこからドライブするラウルが

偶然街中でグロリアを見つけるシーンになります

グロリアはラウルとの婚約を破棄しフランシスコと結婚していたんですね

ラウルが家まで送っていくと言うと、グロリアの様子がおかしい

そしてフランシスコのことを「こんな人だと思っていなかった」

彼の凄まじい嫉妬ぶりについて語り始めます

それは新婚旅行へ出掛けた夜の列車の中から始まりました

フランシスコはラウルや他の男ともこうしてキスしたのかと詰め寄り

宿泊したホテルではグロリアの知り合いの男性が彼女の後を付け

同じホテルに泊りドアの鍵穴から妻の姿を覗き込んでいると

長い鉄串を鍵穴へ思い切り突き刺す

幸いドアの向こうに誰もいなかったからよかったものの

フランシスコひとつのことを思い込むと

他のことが考えられなくなるんですね

土地の所有権をめぐって争っており

パーティで、雇った弁護士の相手をするよう命じられたグロリアが

弁護士とダンスするとふたりの仲を疑いふしだらだと暴力を振う

母親(アウローラ・ワルケル)に相談するも

「あなたの忍耐が足りない」と相手にしてくれません

こんな夫でも世間では立派な紳士で通っている

悪いのは妻のほうだと信じ込まされている

神父に相談しても同じ、それどころか全てフランシスコに筒抜け

フランシスコはグロリアに「教訓を与える」と

リボルバーで彼女を撃ってしまうのです(弾は空砲だった)

フランシスコも男社会での家門の名誉と、カトリック社会での地位と

多大な財産を守るため苦労してきたんですね

容姿を備え、誰にでも親切に振る舞い、スキャンダルなどもってのほか

40歳過ぎまで童貞を守ってきたのです

それが理想の美しい妻(の足)を手に入れたは良かったものの

(妻が浮気しているのではないかと)猜疑心を抱いては暴力で爆発させたり

性欲を刺激されては妻に泣いてすがってしまう

グロリアのほうも夫の行動に心身ともに疲れ果てていながら

結局は彼を赦し別れられないでいる

 

フランシスコも反省し、それからは寛容になり

しばらくの間は夫婦の関係も良かったといいます

ある日フランシスコが1日中ずっと一緒に過ごそうと提案し

教会の頂上にある鐘楼にグロリアを連れて行くと

突然グロリアを罰するのだと彼女の首を絞め、鐘楼から投げ落とそうとします

(ヒッチコックの「めまい」(1958)は本作の影響を受けているのね)

フランシスコの手を振りほどいて逃げ、鐘楼から駆け降り

街を彷徨っていたときラウルに遭遇したのです

話を聞いたラウルは、フランシスコとは別れたほうがいい

彼には治療が必要だとアドバイスします

フランシスコはバルコニーからグロリアが車で送ってもらったのを見ていますます

屋敷に戻った彼女に相手が誰か追及し

ラウルと一緒だったことを知るとショックを受けるフランシスコ

グロリアは(浮気ではなく)「誰かに悩みを打ち明けたかった」だけと言っても

夫婦問題を話したことは裏切りだと怒り狂うフランシスコ

 

このままでは殺されてしまう

グロリアはフランシスコと別れる決意をします

フランシスコと対照的に描かれているのが彼の執事のペドロ

仕事中にメイドがブラウスのボタンを留めながら出てくるという節操のなさ

(ちょっかい出したのはペドロだが、クビになったのはメイドのほう)

部屋には自転車が置いてあり、自転車レースのポスターが貼ってある

ペドロの趣味がわかるという演出の細かさ(笑)

フランシスコが妻との悩みを相談すれば、いともあっさり「別れなさい」

他人や宗教の教えに束縛されたり、悩んだりしないタイプ

たとえお金がなくても、こういう人間のほうが幸せですね(笑)

フランシスコの被害妄想はますます酷くなっていき

寝ているグロリアをロープで縛って拷問を加えようとしますが

(これは病気というよりブニュエルの趣味だと思う 笑)

目を覚まし彼女悲鳴を聞きつけたメイドたちがやってくると

狼狽したフランシスコは自分の部屋に逃げ帰ります

翌朝、彼はグロリアが屋敷を出て行ったことを知らされます

リボルバー持ち、彼女の母親の家に向かうフランシスコ

次にラウルのオフィスに行きますがそこにもグロリアはいない

道に出るとラウルとグロリアが一緒に車に乗っているのが見えます

タクシーでふたりの車を追いかけ、彼らが教会に向かったので

フランシスコも教会に入りふたりの近くまで行きます

それは全くカップルでした

すると会衆全がフランシスコっていて

ついに神父まで笑いに加わります

フランシスコ祭壇にいる神父を襲い、会衆が彼を神父から引き離すと

神父は「彼を傷つけないで、私の友達だ」と叫びます

「・・・彼は狂ってしまった」

それから何年かが経ち、グロリアラウルと結婚し息子のフランシスコと共に

(グロリアとフランシスコの間の子なのだろう)

フランシスコに会うため修道院を訪れます

しかし僧侶長フランシスコ古傷を刺激するかもと知れないと面会を断ります

フランシスコは遠くからその様子を観察していました

昔の知人の訪問を伝えに来た僧侶長にフランシスコは

「これは憤慨ではなく、諦めだ」

「時間が私の主張を証明した」と

庭園をジグザグに歩き回りながら、暗い扉へと向かっていったのでした

彼が本気で愛した女は、彼がどうしても手放したくなかった

地位やお金や土地と同じ

女がモノと違うことに思い至らない

こういう男は女も同じ人間だという認識に最後まで欠けているのです

ブニュエルは出来上がった内容を気に入らなかったらしいですが(笑)

「女は存在しない」の名言で知られるフランスの精神分析

ジャック・ラカンが学生たちにこの映画を上映し講義したことは

誇りに思ったそうです

 

 

【解説】映画.COMより

一人の男が強迫観念に捕われ、異常になっていく様を描く。製作はオスカル・ダンシヘルス、監督は「乱暴者」のルイス・ブニュエルで、メルセデス・ピントの原作をブニュエルとルイス・アルコリサが共同で脚色。撮影はガブリエル・フィゲロア、美術はエドワード・フィッツジェラルドとパブロ・ガルヴァン、編集はカルロス・サヴァヘ、音楽はルイス・ヘルナンデス・ブレトンがそれぞれ担当。出演はアルトゥーロ・デ・コルドヴァほか。

1952年製作/メキシコ
原題または英題:El
配給:ヘラルド・エース日本ヘラルド映画