高崎芸術劇場で上映の後、舞台挨拶に来てくださった今井彰人さん
映画を見てマジ泣きそうになったのは久しぶり
ラストの、上京するときの駅のホームのシーンに
全部もっていかれました
原作は両親が聴覚障害者のCODA(コーダ)である
五十嵐大(1983年、宮城県生)のエッセイ
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と
聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
監督は9年ぶりの長編映画となった呉美保
子育てで映画を撮る時間が無かったとインタビューで話されていたそうですが
その経験がこの映画に感動を持たせているのかも知れません
父陽介(今井彰人)の元に生まれた五十嵐大こと
「大ちゃん」の食い初め(おくいぞめ)から物語は始まります
私も昭和の畑と田んぼしかないところで育ったのでよくわかりますが(笑)
家のことはすべて近所に筒抜け
こういう儀式のとき(に限らず)には親戚やら人が集まります
ましてや五十嵐家は祖父(でんでん)は
「蛇の目のヤス」というあだ名の元ヤクザのばくち打ち
町では知らない人のいない家族だったと思います
しかも障がい者が差別されるのがあたりまえの時代だったんですね
母親は「聞こえない」ことで
赤ん坊が泣いても気が付かない
幼い大ちゃんが内職の材料をいたずらしてもわからない
そのことで祖父母は(手話での会話をよく思っておらず)怒鳴ってばかり
それでも母親は笑顔いっぱいで大ちゃんを育てます
子どもにとっても世界中でいちばん大好きなのはお母さん
大ちゃんが折り紙を手紙がわりにポストに入れ
郵便屋さんごっこをするのは本当に可愛らしい
読み書きの勉強にもなりますしね
母の愛情を感じます
ただ、おじいちゃんとおばあちゃんのインパクトがあまりに強すぎて(笑)
ろう者の両親の存在感が薄れてしまったのは残念
幼い主人公の目線なのでしょうがないですが
お父さんの出番はもっとあってもよかったですね
お母さんと一緒にいるだけで幸せ
だけど突然、大は違和感を覚えるようになります
耳の聞こえない母親のため手話通訳する大を
魚屋さんも、家にやって来る営業レディも
大のことを「偉いね」「大変だね」と褒めるけど
「障がい者の親を持つ可哀そうな子ども」というのがはっきり伝わってくる
友だちからは母親の「しゃべり方が変」と言われ
近所の家の花壇が荒らされメチャクチャになっていると
耳の聞こえない親の子だけという理由で(祖父が元ヤクザもあるかも)
近所のおばさんから大がやったと決めつけられてしまう
喫茶店で苺パフェを食べながら手話で会話をしていると
他の客から聞こえないことを話題にされ「聞こえてます」と返す大
学校で友だちに手話を教え手話への理解を得ようとしても
茶化されてしまうだけ
お母さんは普通じゃなくて、恥ずかしい人
大は次第に母親を遠ざけるようになり
授業参観のお知らせを渡すこともなくなります
どこの子にも反抗期、親離れはあるけれど
大は世界中で自分だけが障がい者の両親の子どもで
自分は孤独で不幸だと思い込んでしまうのです
中学生になると手話をすることもやめてしまいます
大の声を聞こうと高価な補聴器を買う母親
補聴器をつけたところで、言葉を理解できるわけないのに
母親にとってはお手紙交換していた頃と同じように可愛い息子なのです
さらに高校受験に失敗し、私立には受かっているからと慰める母親に
「全部、お母さんせいだ!」
「障がい者の家になんて生まれたくなかった」と八つ当たり
卒業後は就職もせず(一応役者になりたいらしい)パチンコをする日々
たまたまパチンコ屋で父親と一緒になり
父親は東京に行ってみたらどうかと大に勧めるのでした
そこではじめて大は両親が駆け落ちして結婚したことを教えられます
ふたりで食べた新宿のフルーツパーラーのパフェが美味しかったから
食べたほうがいいと
東京でパチンコ店に勤めながら、今度はライターを目指す大
そこで景品交換できずに困っている、ろう者の女性智子の通訳をし
「破産しないでくださいね」と伝えると「はさん」の手話が
宮城と東京では違うことを教えられます
智子の所属する手話サークルに入り、彩月というろう者の女性から
自分のような親が難聴の子どもを「コーダ」というのだと教えてもらいます
この作品では触れていませんが
今でこそスマホのチャットや、声を文字起こしする機能
手話による電話代行サービスもありますが
「コーダ」は日常的に親の世話(手話通訳)をしなければならない
いわゆる「ヤングケアラー」が多かったんですね
ある日、彩月のろう学校の友だちとの食事会に誘われた大は
親切心で皆の代わりに食べ物をオーダーすると
彩月から「ありがとう、でも私達から(出来ることを)取り上げないで」と
言われてしまいます
東京ではバリアフリーや、サービスの多様性が(他の地域に比べ)いきわたっているし
ろう者の考え方(ろう学校の教育)も昔とは全く違います
自分の知識の少なさに「ごめん」と反省する大
「すぐ謝るんだから」と笑う彩月
仕事では出版社の編集長、河合(ユースケ・サンタマリア)に
大の家庭環境が面白いという理由だけで採用され
全くの初心者ながら編集者としての活動がはじまります
しかし仕事に慣れてきたころ(毒舌まで吐くようになる)
先輩のひとりが「大変申し訳ありません、カワイ」と書かれたメモを見つけ
「飛んだのか?」と騒ぎ出し、その意味を大は知りませんでした
取材から戻ると、もうひとりの先輩が「じゃあね、大ちゃん」と退社していき
「お疲れ様」と返すと、その先輩の席は綺麗に片づけられていました
そこで大は会社が倒産したことをやっと知ります
それからはフリーのライターとして各地を取材し
義肢製作所の取材をしていたとき、父親が倒れたと連絡があります
大が病院に駆け付けると、母親がくも膜下出血で倒れたと説明します
処置を終えた先生が命に別状はないと伝えにくると
安心した母親は激しく声をあげて泣くのでした
8年ぶりに実家に帰ってみると伯母の佐知子が来ていて
祖母は(死んだ祖父のベッドで)寝たきりになっていました
祖母がトイレに行っている間、佐知子叔母さんは大の母親が妊娠したとき
祖父母は耳の聞こえない者同士の子を産むことに大反対したこと
それでも母親は大を生んだことを教えます
いつものように食事の支度をする母親に
(祖母の介護も大変だし)「俺、帰ってこようか?」と大
「心配しなくても大丈夫」
(苦労させて)「ごめん」
「なんのこと?」
母親は笑うだけでした
東京へ戻る日、「わざわざいいよ」という大に「送らせて」と
駅のホームまでついてきた母親
電車に乗り、母親が帰っていく後ろ姿を見つめながら
大は母親とスーツを買ったあと
レストランでパスタを食べたときのことを思い出していました
お母さんとお父さんが新宿でパフェを食べた話きいたよ
ぼくは子どもの頃お母さんと食べた苺パフェが美味しかった
母親はその時のことを覚えていませんでしたが
帰りの電車で「ありがとう、人前なのに話してくれて」
「普通に接してくれて」
「嬉しかった」と喜んでくれます
そこからたくさんのお母さんの手話と笑顔が
走馬灯にように現れては消える
こんなにも大切に育ててもらったのに、ぼくは・・
20歳の時の涙と、今までの自分を恥じて再び流す涙
吉沢亮の男泣きにもう(笑)
電車がトンネルを抜けると
パソコンを取り出した大はキーを打ち始めるのでした
「ぼくが生きてる ふたつの・・」と
忍足亜希子さん
高崎映画祭
助演俳優賞
おめでとうございます
【解説】映画.COMより
「そこのみにて光輝く」「きみはいい子」などで国内外から高く評価されてきた呉美保監督が9年ぶりに長編映画のメガホンをとり、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化。「キングダム」シリーズの吉沢亮が主演を務め、きこえない母ときこえる息子が織りなす物語を繊細なタッチで描く。
宮城県の小さな港町。耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……。
母役の忍足亜希子や父役の今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用。「正欲」の港岳彦が脚本を手がけた。
2024年製作/105分/G/日本
配給:ギャガ