次郎長三国志(1963)




マキノ雅弘監督がかつて東宝で手掛けた「次郎長三国志」を
自らの手で東映で再映画化したシリーズの第1作
東映美術のセットの美しさには、毎度ながらクラクラします

清水次郎長親分」も「森の石松」も名前を聞いたことがある程度で
なんの知識もありませでしたが、面白かったです
さすがマキノ監督、テンポがよくて見やすいですね
ただ、昔の邦画はどれも声が聞き取りにくいという難点があります
もっと名作が身近になるよう、字幕をつけてもらいたいものです


駿河の長五郎(鶴田浩二)は二年間の旅で漢(おとこ)を磨き
清水の次郎長と名乗り始めていました
そんな次郎長に惚れこんだ桶屋の鬼吉(山城新伍)が初の子分となり
関東綱五郎(松方弘樹)、侍から転じた大政(大木実)が加わり
次郎長一家が形作られていきます
叔父の喧嘩の仲裁を巧く納め、貫禄はついたものの
次郎長一家はこの罪を被り、清水を追われるはめになってしまいます

さらにその旅の途中で、変な坊主法印大五郎(田中春男 )と
女と駆け落ちしてきた増川の仙右街門(津川雅彦)が仲間になります


粋でいなせな次郎長親分
女が惚れる、男も惚れる、男の中の男
とにかく男としてでかすぎる

なんの関わり合いのない、博打で一文無しだとか、喧嘩早いとか
そういうどうにもならない男を助け更生させるのです
そのやりかたが、なんともスマート
そして、山城新伍さんがチャーミングで驚きます(笑)

歌まであってほのぼの
最後まで、そーれ!ワッショイ!という感じの
ノリの良さでで引っ張ってくれます


江戸時代のやくざは堅気の人には
迷惑をかけないことを信条にしていたということです

また、やくざにも「博徒」と「任侠」があり
「賭博で食べている人」と
「縄張り(にあるお店など)の守り代で食べている人」に
分かれていたそうです

その中でも特に次郎長親分は庶民の味方で
悪さをしなかったことで有名だったそうです


とにかく次郎長親分の「男前」を見る映画
大御所のみなさんの麗しき頃の姿も満喫できました



【概要】ウィキペディアより
マキノは自身も語っている通り、自作のリメイク作品が顕著に多い監督であるが、この「次郎長三国志」も映画会社を変えてリメイクが行われた。1963年から今度は東映で製作されることになった。1963年という年は、時代劇中心だった東映鶴田浩二を中心とする仁侠映画会社への移行を本格化させた年である。1960年に鶴田と共に東映入りしていた俊藤浩滋はプロデューサー見習いをしていたが、1964年の「次郎長三国志 第三部」、「大笑い殿さま道中」より名前がクレジットされるようになる。こちらも第一部から第三部までは短期間に製作され、全四作で完結している。しかし最終作の終わり方はストーリーに改変が加えられており、続編を作ろうと思えば作れるような結末となっている。続編が作られなかった理由は、東映が時代劇映画からの撤退が規定路線だったことが理由か、マキノのモチベーションによるものかは不明である。
撮影中、マキノは同時に仁侠映画の代表シリーズ「日本侠客伝」シリーズも撮影していた。藤山寛美がマキノ作品に初出演を果たし、その演技力がマキノに高く評価された。しかし藤山は逆に「マキノ監督は自分に何も教えてくれない」と僻んだという。東宝版で初めて「法印大五郎」役を演じた田中春男は、東宝専属俳優であったが、日活での『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』(監督マキノ雅弘、1955年2月18日公開)でも「法印大五郎」役で出演している。「大五郎役は自分しか出来ない」と自認しており、その意気込みと実際の演技力を買われてほぼ全ての次郎長映画で同じ役を演じている。1912年(明治45年)3月25日生まれの田中は、東映版第1作公開時すでに満51歳であり、次郎長役の鶴田が満38歳、大政役の大木実が満39歳、綱五郎役の松方弘樹が満21歳、鬼吉役の山城新伍が満24歳、石松役の長門裕之が満29歳といった清水一家の中で、突出した実年齢であった。重鎮・小川の武一を演じた近衛十四郎(公開時満47歳)よりも実年齢が上であった。「『法印はわしがやる』と言ってきかないんですよね」とマキノはのちに述懐している。
この東映版は全作カラー作品である。キネマ倶楽部を含めて一度もVHSソフト化されたことがなかったが、2008年にDVDで全作品がリリースされた。鶴田浩二と共にデビュー間もない藤純子富司純子)や松方弘樹里見浩太郎ら後年のヤクザ映画や時代劇に欠かせないスターとなる若手が出演していることなど、やはり日本映画史上において重要な作品群である。