炎上 (1958)

原作は1950年(昭25)に実際に起きた「金閣寺放火事件」をモデルにした

三島由紀夫の小説金閣寺 (1956)

噂にたがわず見事な作品で

オープニングのタイトルバックから名作の香り宮川一夫のカメラに

美術は大映京都時代市川組の)西岡善信

クライマックスの炎上シーンなんてもう、見惚れるしかありません

映画化にあたっては、金閣寺鹿苑寺) の住職および

京都の仏教界から反対され

(老師演じる中村鴈治郎があのキャラじゃね 笑)

タイトルと寺の名前金閣寺を使わないことでやっと了承を得たそうです

すでに大スターで熱烈な女性ファンの多かった市川雷蔵

後援会が反対して大騒ぎになったとか

撮影前から大映はたいへんな苦労をしたようです(笑)

京都、双円寺にある国宝「驟閣寺(しゅうかくじ)」が放火により焼け落ち

被疑者は双円寺徒弟小谷大学3年生溝口吾市21歳

吾市は驟閣寺に火を付けたあと、裏山で自分の胸を刺したうえ

睡眠薬を飲んで服毒自殺を図ろうとしたものの未遂に終わり
刑事は驟閣寺に放火した理由を追求しますが

吾市は一言も発さず黙ったままでした

 

そこから物語は7年前に遡り

吾市がはじめて双円寺にやって来たシーンからはじまります

これはレビューの難しい作品でしたね(笑)

吾市の心の内は誰にもわからない

私たちは「たぶんそうだろう」と想像するしかないからです

 

博識者は(実際の犯人である林承賢が)なぜ事件を起こしたかについて

「戦後の日本のひとつの社会的な現象」で

「敗戦で劣等感にうちひしがれ」

古いものをぶちこわす」

「美にたいする反逆」 などと考察しているそうですが

私思うのですが、自殺するタイプは大きくふたつにわかれていて

かたや自宅や車中などで人目につかずひっそりと死ぬ人

かたや電車や対向車に飛び込んだり、ビルなどから飛び降りたり

最悪の場合は大きな事件や事故を引き起こして

無関係の他人を殺したり巻き添えにしてしまうもの

後者の場合はやはり、自分のことを(なぜこうなったか)わかってほしい

案じてほしい、注目されたい、といった潜在意識が働いているのではないでしょうか

それは戦後だからとかに関係なく、現代でも同じこと

その傾向はやはり10代や20代の若者に多くて

(あるいは精神年齢が未熟で)(自分の主張だけで)

それがどんなに莫大な被害を被ってしまうのか

多くの人々を悲しませることまで考えが至らない

吾市は母親の不倫で、さらに尊敬する老師が愛人の芸奴を孕ませたことで

彼の中で「聖なるもの」が「汚らわしいもの」となり

その憎しみの矛先が驟閣寺になったのではないだろうかと

昭和19年、京都の驟閣寺

成生(なりゅう)岬にある小寺の僧侶だった

亡き父親の溝口承道 (浜村純)の親友で

双円寺の住職の田山道詮老師(二代目中村鴈治郎)を訪ねてきた

吾市(八代目市川雷蔵

承道の遺書を呼んだ老師は吾市を徒弟として預かることにします

 

自分の息子を徒弟に迎え、ゆくゆくは老師の後継者にと考えていた

副司信欣三吾市がいとも簡単に徒弟になったことが面白くありません

(のちに息子が喫茶店経営で成功し、わだかまりは消えるものの)

吾市が吃音症だとわかると、喋れないのはどもり」のせいかと馬鹿にします

かって同級生たちからも、どもりのせいで仲間外れにされ

海軍機関学校に進学した先輩短剣を預かったとき

憎らしくて鞘に傷をつけたことを思い出す吾市

それでも吾市は父が愛した驟閣寺の側で暮せるだけで幸せでした

毎日のように驟閣寺の床を磨いています

 

同じ修行僧として住み込んでいる鶴川舟木洋一)は

そんな吾市を立派だと褒め

彼だけは吾市のどもりをからかうこともありませんでした

彼は東京山の手の寺の息子で育ちがよく、裏表がないんですね

(京都人と性質が違うように描いている、といったら怒られるだろうか)

ある日、吾市の母あき北林谷栄)が「息子がお世話になっている」と

米や成生の特産品を持って老師に挨拶に来ます

それは母親として当たり前の行為なんですが

 

吾市は中学の時、母が親戚の叔父さんと関係しているのを見てしまい

しかも結核で病弱な父親は母の不倫を黙認していていて

父は吾市を成生岬に連れて行くと

「驟閣ほど美しいものはこの世にない」

「その美しさを見れば世の中の汚いもの醜いものは忘れられる」と教えるのでした

それから驟閣寺は吾市にとって

「美しいもの」「清らなもの」のシンボルになったのですね

 

ところが昭和22年、戦争が終わると

進駐軍の団体などが驟閣寺に観光客が押しよせるようになります

「拝観料」で寺の財政は潤い(会計をまかされている)副司は笑いが止まりませんが

神聖な驟閣寺が観光地になり下ってしまったことが吾市は許せません

米兵とやって来て無理やり驟閣寺の扉を開け中に入ろうとした女を

(たぶん娼婦だろう)吾市は寺の縁から突き落としてしまいます

女が腹を抑え苦しんでいると「サンキュー」と

煙草を2カートン吾市に渡し女を連れ去っていく米兵

そのことを老師に打ち明けられずにいた吾市でしたが

鶴川から老師のところに流産したからと

慰謝料を貰いに来た女がいたことを教えられます(老師はお金を払う)

吾市が自分がやった打ち明けると

鶴川は正直に老師に言ったほうがいいとアドバイスします

ところが老師に冷たくあしらわれてしまったうえ

鶴川に母親が危篤だという知らせが入り、東京へ帰ってしまいます

しかも東京で交通事故にあいんでしまいます

そんなとき母が生活苦だと、寺に炊事係として雇って欲しいと老師に頼みに来て

(吾市は反対するが)住み込みで働くようになります

 

昭和25年、吾市は老師の勧めで古谷大学に進学しますが

友人も出来ず、勉強もせず、大学もサボりがち

そんな中、同じ大学に通うびっこ(内反足)の戸刈(仲代達矢)が気になり

声を掛け付き合いがはじまります

戸刈は障害があることで女性の同情心をあおり

高慢な令嬢(浦路洋子)や、美人の花の師匠(新珠三千代)を

心にもない口説き文句で手籠めにするような男

驟閣寺の美を称える吾市を「永遠なものなどありはしない」と批判し

老師には芸妓の愛人がいることを教えます

授業をサボっているのがばれ(老師に申し訳ないという思いの)母と口論となり

寺を飛び出し新京極歩いている老師が芸妓といるのを見てしまう吾市

戸苅の言っていたことは本当だった

 

慌てて路地に身を隠しますが、そこで野良犬に懐かれ跡を追っていくと

目の前に芸妓とタクシーに乗り込もうとする老師の姿

老師に「尾行していたのか」と勘違いされ怒鳴られてしまいます

さらに老師を試すように、芸妓のプロマイドを新聞に挟んで渡したり

説教の邪魔をしたりします

しかし老師は全てお見通しでした(写真は無言で吾市の机に戻されていた)

 

吾市は小刀と、薬局で睡眠薬のカルモチン錠を買い

戸苅から旅に出るからと3,000円を借ります

実家の寺に向かうと新しい住職と、彼を見送る妻と思われる女性の姿

ひとり成生岬の断崖に立ち、父が火葬された日のことを思い出す

吾市の態度が怪しいと、宿の主に「自殺するのでは」と通報され

警察に保護された吾市は双円寺に撮れ戻されてしまいます

しばらくして戸苅が吾市に貸した金を返してほしいと老師のもとにやってきます

戸苅は利子込みで4,500円と言いますが

老師は学生の貸し借りに利子はないと元金の3,000円だけ戸苅に渡し

 

将来は吾市を住職にするつもりだったのにと

もう後継にする心づもりはないとはっきり言います

どもりが住職なんて!と口答えする吾市に

(住職になれない、就職できない、と母親から擦り込まれている)

私が一度でもどもりについて言ったことがあるか!と老師

戸刈のところに行き、残りの利子分を払う吾市

金があるんじゃないか、という戸刈に

老師から貰った大学の授業料だと言います

その後、五番町の遊廓に行き遊女(中村玉緒)を買うものの何もできず

「驟閣がもし焼けたらビックリするか」と訪ねます

遊女は軽く聞き流し、インテリならカレンダーの英語を読んでと

(お経と英語はどもらない)吾市の声を素敵と褒めたのでした

寺に戻ると、高僧の桑井善海和尚が来ているので

酒を運ぶよう頼まれた吾市

善海和尚は老師とともに吾市の父と修行時代の友人だったといいます

(よほど吾市の父は人柄が善く好かれていたのだろう)

老師が愛人の芸妓の使いからの電話(男の子を出産した)で席をはずすと

 

和尚に「私の心を見抜いてください」と詰め寄る吾市

「見抜く必要はない何も考えんのが一番いい考えだ」と答えると

寺を飛び出した吾市は驟閣寺を見つめ

「誰も分ってくれへん」と嘆くのでした

そのとき老師は驟閣寺に向かい念仏を唱えていて

吾市を見つけると、突然吾市は意味不明なことを叫びだし

「なんや、キチガイみたいに」と呆れる老師

 

その深夜、吾市は(火災報知器が故障していた)驟閣寺に放火

安置されている足利義満坐像も一緒にメラメラと燃え上がます

吾市は心中するつもりだったのかも知れませんが、煙に耐え切れず逃げ出し

裏山へ駆け上りの炎上する驟閣寺の火の粉を見つめ

老師は成す術もなく、ただ茫然と「仏の裁きじゃ」と呟いたのでした

自分が仏に仕える身として相応しくない行動をしていることはわかっている

でも止められないこともわかってる(聖なる場所には性があるというもの)

 

逮捕された吾市は、頑なに口を閉ざし

現場検証が行われた焼跡では

湖水に浮かぶ美しい驟閣寺の幻影を見て目を閉じます

世間に申し訳ないと母が鉄道自殺したことを聞き

刑務所に向かう汽車に乗せられた吾市は

刑事に便所へ行きたいと手錠を外された隙に

汽車から飛び降り自ら命を絶ったのでした

 

ちなみに原作の吾市は自殺をとどまり

実際の犯人も(結核と精神状態が悪化し)釈放後26歳で病死したそうです

 

 

【解説】三島由紀夫の「金閣寺」の映画化で、驟閣という美に憑かれた男を描く異色作。脚色は和田夏十と「四季の愛欲」の長谷部慶次が共同であたり、監督は「穴」の市川崑、撮影は「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人」の宮川一夫が担当。「人肌孔雀」の市川雷蔵が現代劇初出演するほか、「大番 (完結篇)」の仲代達矢、「若い獣」の新珠三千代、「大阪の女」の中村鴈治郎、それに浦路洋子・中村玉緒北林谷栄・信欣三などが出演している。

1958年製作/99分/日本
原題または英題:Conflagration/The Flame of Torment
配給:大映