クライ・マッチョ(2021)

原題も「CRY MACHO」(鳴けマッチョ=男らしく泣け)

マッチョとは男性が持つ強靭さ、勇敢さ、筋肉質な身体の例えですが

ここでは主人公のあだ名と、闘鶏の名前をかけています

ロードムービーといってもひと味違う

どちらかと言えば、人生の終盤にさしかかった老人が

安住の地を見出すまでの旅

「運び屋じゃないぞ」が笑える (笑)

御年91歳、やはり歩くのもやっとという感じで

イーストウッドが主役で演じるのも

本当にこれが最後になるかも知れませんね

ただし荒野のハイウェイを走るアメ車に、カーボーイ姿

若者に慕われ、女性からはモテモテ(笑)
イーストウッドの持つエッセンスは健在のまま

カメラはベン・デイヴィス

1978年テキサス、かってのロデオ・スター

マイク・マイロ(クリント・イーストウッド)は

落馬で引退、妻子を交通事故で亡くすという悲劇に見舞われ

競争馬の種付けと調教をしながら孤独に暮らしていました

ある日、元雇い主で友人のハワード(ドワイト・ヨアカム )から

メキシコシティ元妻のレタと暮らす

息子ラフォ( エドゥアルド・ミネット )を

5万ドルで連れ戻して欲しいと頼まれます

レタはアルコールと男に溺れ、ラフォを虐待

ラフォは家出し闘鶏に没頭していました

マイクはアメリカで牧場主をしている父親が会いたがってると説明し

最初ラフォは嫌がりますが、可愛がっている闘鶏のマッチョを連れ

マイクに付いていくことにします

レタは息子を誘拐されたと、保安官に通報し追っ手を雇います

警察によって道路は封鎖され回り道をしながら旅するふたり

途中の町で買いもの中に車を盗まれてしまい

代わりに違う車を盗み(本人曰く借りるだけ)

次の町で入った食堂の女主人のマルタは、追っ手をまいたり

食事や寝床を提供したり、何かとふたりを助けてくれます

お礼にマイクはマルタの食堂を手伝い

町では集めた野生馬に手こずってる男の代わりに

野生馬を調教したのをきっかけに仕事を頼まれ

ラフォには乗馬を教えます

マイクはなぜか動物に好かれ、その噂は町に広がり

ウチの動物も診てくれと人々が殺到(笑)

マルタとマイクはお互い好意を寄せあい

ラフォもマルタの孫と親しくなり(笑)

マイクにとってもラフォにとっても

今までにない幸せなひとときを送っていました

しかしリタが雇った追っ手に見つかり

マルタの家族にも町の人々にも迷惑をかけてはいけない

ふたりは再びアメリカを目指すことにしました

(2週間もマルタと過ごしていたので 笑)

マイクが公衆電話からハワードに連絡すると

ハワードは何をもたもたしているんだ

リタの名義で投資した土地の利益を回収するには

ラフォが必要なんだと説明されるのです

息子に会いたかったからじゃないのか

息子を助けるためじゃなかったのか

そのことをラフォに言えないマイク

 

そのあとも麻薬の運び屋と間違えられたり

リタの追っ手に車をぶつけられ銃で脅されたりしながらも

(闘鶏のマッチョが大活躍)うまく切り抜け

ハワードの待つ国境に到着

ラフォは大切なマッチョをマイクに預けます

「俺の行く場所はわかってるだろ、また会いに来い」

ラフォが父親と抱き合う姿を見届けたマイクが向かった先は

マルタのところでした

正直、脚本はイマイチで

ラフォと母親、闘鶏との関係も描き切れていなく

逃走劇もご都合主義なのですが(笑)

 

老人が堂々と老人を演じる潔さ

ヨボヨボになっても恋する、幸せになる権利

見終えたあとには暖かい気持ちになりますね
思わず「クリント、お疲れ様」と

言いたくなること間違いなしです(笑)



【解説】allcinema より

許されざる者」「グラン・トリノ」の巨匠クリント・イーストウッドが、N・リチャード・ナッシュの同名小説を監督・主演で映画化したロード・ムービー。落ちぶれた元ロデオスターが、友人の不良息子をメキシコから連れ帰る長い旅路を描く。共演は新鋭エドゥアルド・ミネット。
 アメリカのテキサス州。孤独に暮らす元ロデオスターのマイク。ある日、元雇い主から、別れた妻のもとで荒んだ生活を送る息子のラフォをメキシコから連れ戻してほしいと依頼される。半ば誘拐のような訳あり仕事だったが、渋々ながらも引き受けたマイク。いざメキシコへ来てみると、ラフォは母親に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”を相棒にストリートで生きていた。やがてマイクとともにアメリカに行くことを決意するラフォ。しかし、そんな2人に、メキシコの警察や母親が放った追手が迫って来るのだったが…。

水の中のナイフ(1962)

原題も「Nóż w wodzie」(水の中のナイフ)

舟と、ふたりの男とひとりの女の映画として思い浮かべるのは

太陽がいっぱい」(1960)「冒険者たち」(1967

狂った果実」(1956)と、そして本作(笑)

ポランスキーのデビュー作として有名ですね

脚本はイエジー・スコリモフスキ

当時ポーランド人民共和国ソ連に従属する衛星国で

(独立はしているが、大国に主権を握られている国)

ポーランド統一労働者党共産党独裁体制のなか

このような映画を撮るには大変な苦労があったそうです

なんでもマズリアの湖ポーランドの観光地)での

優雅な週末の魅力を見せるため、という口実

撮影の許可を得たとか(笑)

しかし「西側のモデルを模倣」「現実からの分離」「若者に悪影響」

と言う理由で国内では2週間で上映禁止

一方で共産党当局は本作をヴェネツィア、プラード(フランス)

ニューヨーク、テヘランなどの映画祭に送り(矛盾してんなあ 笑)

アカデミー賞ではポーランド映画初の外国語映画にノミネート

(結果フェリーニの「8 1/2」に敗れる)

ポーランドにとって貴重な輸出品のひとつになるわけですが

 

ポランスキーポーランドでの映画製作に未来を見出せずフランスに亡命

当局は彼を「国家的裏切り」と批判したそうです

簡単なストーリーは

若い男の前で妻にいい恰好を見せようとして

逆に最低の男を演じてしまい、妻に浮気されてしまう夫の話

 

ジャーナリストのアンドジェイ(レオン・ニェムチック)と

妻のクリスティーナ(ヨランタ・ウメッカ)は

ワルシャワから湖水地方へドライブして

自家用ヨットでセーリングするのが毎週末の日課

そこに若い男(ジグムント・マラノビッチ)がヒッチハイク

それも危険に道を塞いでいる

アンドジェイは19歳の学生を名乗る青年(名無し)に激怒するものの

彼を車に乗せ半ば強引にセーリングに誘います

 

すると青年はクリスティーナの重そうな荷物を運んだり

保存食の黒大根を出したり、食器を運ぶのを手伝ったりと

親しげなふたりにアンドジェイの嫉妬心が芽生えます

ブルジョアな生活を見せつけ、「もやいを巻け」 と命令

中州でヨットをロープで引かされたり、甲板掃除に熱い鍋

アンドジェイのサディズムエスカレートしていく

(妻に渡した穴の開いた浮き輪のシーンはギャグだけど 笑)

 

やがて凪になり、暇をもてあました青年は

どうしても帰りたい言い出しオールで漕いだり

マストのてっぺんまで昇ったりします

やがて台の上で手の指の間にナイフを突き立てる遊びを始めます

トントントントン・・・

その青年が大事にしているナイフを

自分のガウンのポケットに隠してしまうアンドジェイ

怒った青年とアンドジェイは揉み合いになり

アンドジェイはナイフ投げ、ナイフは湖の底に沈んでしまいます



湖に飛び込む青年

彼は泳げないのよ、とダイブして助けに行くクリスティー

でも青年は見つからない

・・・溺れ死んでしまった

警察に通報しなきゃと言うクリスティーナに

あんな名前も知らない奴、死んでもバレないと

アンドジェイは彼のバッグを湖に捨てようとします

 

警察に行くのが怖いんでしょ

あの子を乗せてあげたのも自慢したかっただけ

あんたなんてただの見栄っ張りだと罵るクリスティー

このヒステリーのアバズレ、警察なんて怖くないと湖に飛び込み

岸に向かって泳ぎだすアンドジェイ

そこにブイの影に隠れてしがみついていた青年が、ヨットに上がってきます

泳げないと嘘をついていたのねと、青年にビンタするクリスティー

大声でアンドジェイを呼び戻しますが、クリスティーナの声は届きません

冷静になったクリスティーナは青年に呟く

あんたは彼とそっくり子どもね

私にも経験あるわ、狭い寮で共同生活、あの人もね

六人部屋でろくに眠れやしない、勉強するのも一苦労

なけなしの奨学金で学食とタバコ(寮の玄関で)キス

でもあなただって彼みたく(金持ちに)なれるわ、努力すれば

冷えきった青年の服を脱がせ

バスタオルで身体を拭いてあげるクリスティー
やめろよ!
やっぱりまだ子どもね
何だと?
いいのよ


見つめ合いキス

2度目のキスで青年はクリスティーナを抱き寄せます

クリスティー船着き場前の岸辺で青年を下船させ

元気を取り戻した青年は颯爽と走り去って行

船着き場ではアンドジェイがクリスティーナの帰りを待っていました

 

警察には行ったの?
パンツ姿で行けるか、車の鍵も持ってない

(飛び込む前にわかるだろ 笑)

家へ帰る?
警察だ

警察は中止よ 彼は生きていたのよ

そんな嘘はよせ 夫を守るけなげな妻のつもりか

彼は生きて 私を抱いたわ

なぜ浮気したなんて言うんだ
ごめんなさい 取り消すわ

俺こそ悪かった

アンドジェイは自らの行為が過ちであったことを認めることで

妻に青年のように挑戦的な若造とは違う

責任ある大人の男であることを解ってほしかった

 

青年は尖ったナイフ

水の中に沈んだナイフは中年男のことか

そして夫婦とは航海と同じ、嵐や凪を乗り越えていくもの

倦怠期の夫婦は新しい関係を再生させたのでした

妻が主導を握るという(笑)



【解説】allcinema より

 亡命作家ポランスキーが祖国ポーランドに残した唯一の長篇。「早春」(70)のスコリモフスキーが共同脚本。強烈な戦争体験からメッセージ性の強い作品を放ったワイダなど旧世代とは異なる、より内省的な作風が彼らの共通項で、本作も登場人物は僅かに三人。裕福な知識階級の壮年の夫と美しいその妻のヨット遊びに、ヒッチハイクで拾った反抗的な貧しい若者が同行する。ヨット上で過ごす二日の間に起こる、それぞれの感情の揺れを鋭利な映像感覚で紡ぐ。ことごとく対立する夫と若者の新旧の価値観の間で不安げに佇む妻はやがて青年に傾斜していくが……。沼沢地帯の空と水の光陰を鮮やかに切り取るリップマンのキャメラが素晴らしい。当時、音楽学校の学生だったヒロインのウメッカの官能的な存在感も忘れ難い(後にもう一本に出演しただけで映画界を退いた)

ドライブ・マイ・カー(2021)

村上春樹の短編小説「女のいない男たち」の中から

「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」

3つの物語から構成されたドラマ

テーマは男が過去を見つめ直し、強さや威厳より

自分の弱さを認めて再生していくもの(たぶん 笑)

各賞を総なめにし、話題にもなりましたが

ハルキスト、そこまではいかなくても村上春樹を読んでいる人間でなければ

見る人を選ぶ作品だと思います

本好きでなければ、正直あまり期待はしないほうがいい

映画というより、ラジオ小説に映像をつけた感じ

濱口竜介ジャン・ルノワール(18941979)

イタリア式本読みを採用したといいます

それは(役者に棒読みで演技させる)演技性の排除という考え方で

たぶん小説をスクリーンで読んでいるかの気分にさせるため

あえて工夫したのではないかと思います

次にチェーホフによる戯曲「ワーニャ叔父さん」と主人公とのリンク

ワーニャは死んだ妹の夫であるセレブリャコフ教授の領地を

自らの生活を犠牲にしてまで守ってきましたが

セレブリャコフ教授が領地を売ることになり

今までの努力が何だったのか自分を見失ってしまいます

そんなとき(失恋で)生きることに絶望していた

姪のソーニャと支え合うようになり

ふたりで新しい人生を歩んでいく決意をするというもの

舞台演出家で俳優の家福(かふく)(西島秀俊)と

妻で脚本家の音(おと)(霧島れいか)は

(過去に幼い娘を亡くしているものの)裕福で仲睦まじい夫婦

音にはセックスの最中に物語が浮かぶという性癖がありました

それを家福が記憶し書き留め、音が脚本化するのです

なかには完結しない不思議で禍禍しい物語もありました

「山賀の家に忍び込む女子高校生」

「前世はヤツメウナギ

一方で家福はカセットテープに舞台の台詞を音に録音させ

音の声を愛車で流して台詞を覚えていました

ウラジオストックの演劇祭で審査員を頼まれた家福が

フライトが中止になり家に帰ると

音が若い男とセックスしていました

何も言わずそっと家を出て、ホテルに泊まり

出張先からのように音に電話をかける

その後も変わらぬ夫婦生活を送っていた家福と音ですが

ある朝、音が「今晩帰ったら話せる?」と尋ねます

躊躇った家福はその日わざと夜遅くに帰宅すると

音は倒れていて(くも膜下出血)そのまま死んでしまいます

そして2年後、家福は国際演劇祭でかって自らが主役を演じた

「ワーニャ叔父さん」を上演するため広島に来ていました

その時事務局の決まりでドライバーを雇うことになります

古いサーブでしかもマニュアル車

家福はためらいますが、やって来た若い女性みさき(三浦透子)は

難なくサーブを乗りこなし、安全運転

寡黙で家福のプライベートを詮索することもなく

家福はドライブ中、心地よい時間を過ごすようになります

「ワーニャ叔父さん」の(多言語を起用した)稽古が始まると

ワーニャ役の高槻(岡田将生)と北京語担当のジャニスが

車の事故で遅刻してきます

高槻は家福が音が不倫していた相手だと思っている男

そのことは「ヤツメウナギ」の話の続きで確信します

音は自分以外の男にも、セックスの最中物語を聞かせていたのです

 

しかも稽古の後、バーでスマホで撮影されたことに腹を立てた高槻は

撮影した男を殴り殺し逮捕されてしまいます

マネージャーは「ワーニャ叔父さん」を公演するためには

家福がワーニャを演じなければ無理

どうするか2日の間に決めてと言います

家福はみさきに「君の好きな場所に連れて行って」と頼みます

みさきが向かったのは巨大なゴミの集積所(エコリアム)でした

次に家福はみさきの育った場所が見たいという

夜通しドライブしてカーフェリーに乗り、北海道に向かったふたり

みさきが雪の中に土石流で埋もれた生家を見つけると

死んだ母には「サチ」というもうひとりの人格がいたことを話します

そして家福に音のすべて(もうひとりの人格)を

認めることはできないかと問うのです

家福の頬を涙がつたい、ふたりは抱き合う

僕は正しく傷つくべきだった 本当をやり過ごしてしまった

見ないふりを続けた だから音を失ってしまった 永遠に

生き返ってほしい もう一度話しかけたい

 

そして「ワーニャ叔父さん」の舞台

ソーニャ役の韓国人唖者、ユナが手話で語りかける

ワーニャ伯父さん 生きていきましょう

長い長い日々を 長い夜を生き抜きましょう

運命が送ってよこす試練に じっと耐えるの

安らぎはないかもしれないけれど 他の人の為に

今も歳を取ってからも働きましょう

そして私達の最期が来たらおとなしく死んでゆきましょう

そしてあの世で申し上げるの

私達は苦しみましたって涙を流しましたってつらかったって

すると神様は 私達のことを 憐れんでくださるわ

そして明るいすばらしい夢のような生活を目にするのよ

そして現在の不仕合せな暮しをなつかしくほほえましく振返って

ほっと息がつけるんだわ

わたしほんとにそう思うの心底から

燃えるように焼けつくように私そう思うの

観客席にはみさきの姿

そしてマーケットで食料品を買い物するみさき

韓国ナンバーのサーブの後部座席には大型犬

(ドラマトゥルク兼韓国語通訳ユンスユナ夫婦の犬と思われる

なぜみさきが韓国にいるのかは見る者の想像にまかされています

でもサーブがあるということは、家福も韓国に居るということ

ふたりはワーニャとソーニャのように

新しい人生を歩み始めたのです

私はそう信じます

余談ですが家福の家にあったスピーカーうちにもありました

2005年にオークションで売ってしまったのだけど

もしかしたらそれだったりして(笑)

(画像は2001年社宅)

 

【解説】映画.COMより

村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。2021年・第74カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、日本映画では初となる脚本賞を受賞したほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の3つの独立賞も受賞。また、2022年・第94アカデミー賞では日本映画史上初となる作品賞にノミネートされる快挙を成し遂げたほか、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞とあわせて4部門でノミネート。日本映画としては「おくりびと」以来13年ぶりに国際長編映画賞(旧外国語映画賞)を受賞した。そのほか、第79ゴールデングローブ賞の最優秀非英語映画賞受賞や、アジア人男性初の全米批評家協会賞主演男優賞受賞など全米の各映画賞でも大きく注目を集めた。日本アカデミー賞でも最優秀作品賞はじめ、計8冠に輝いた。

パリは燃えているか(1966)

パリは燃えているか! パリは燃えているか!」

原題も「Paris brule-t-il?」英題「Is Paris Burning?

は、ヒトラーが幕僚に訊ねたとされている言葉ですが

当時の「パリの民衆の気持ち」とのダブルネーミング(たぶん 笑)

116日にアラン・ドロン生誕87年祭があるので、ドロンさま目当て(笑)

イキナリ漆黒の画面に「OVERTURE(序曲)」の字幕と

モーリス・ジャールの名曲がおよそ5分(笑)

NHK番組「映像の世紀」のテーマ曲でお馴染みです

それにしても豪華なキャスト、映画ファン必見です

バリ解放時の実際の映像もふんだんに使われていて

記録映画としても貴重ですね

(インターミッション付173分は長かったけど 笑)

ドイツ語の標識、書店に並ぶ「我が闘争

19448月、ドイツによる占領から4年目のパリ

レジスタンスがパリ解放の計画を立てていますが

ドゴール派と自由フランス軍FFIの腕章を付けている)

左翼派(フランス共産党)の意見がまとまらない

ドゴール将軍の幕僚デルマ(アラン・ドロン)は

ラベの言うことならレジスタンスは聞く

政治犯として捕らえられているラべを釈放するため

ラベの妻フランソワーズ(レスリー・キャロン)を

スウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)のところに行かせます

ノルドリンク領事は新しい司令官なら話を聞いてくれるかも知れないと

パリ占領軍司令官コルティッツ将軍(ゲルト・フレーベ)に会いに行き

ドイツ兵の捕虜とラべを交換することで同意します

しかしすでにラベの身柄は親衛隊に手に渡り

妻との再会も虚しく撃ち殺されてしまうのでした

ドゴール派と左翼派が決起を決め、先にドゴール派とが警察本部を占領

市民たちも蜂起しパリ中心部に「解放区」を作ります

コルティッツ将軍は警察本部に戦車を配置し

レジスタンスは銃や火炎瓶で対抗しますが

武器は底をつき追い込まれていきます

さらにヒトラーエッフェル塔凱旋門ルーブルノートルダム

「パリを渡すくらいなら燃やしてしまえ」という命令で

ヒトラーがどの映画より激似 笑)

ドイツ軍がワルシャワから撤退する時、全て焼き払ったのと同じように

(映画館のニュース映画で瓦礫の山しかないワルシャワの映像が流れる)

パリも焼き払う計画を立てていたのです

「私には総統の命令に従う義務がある」

「敵は連合軍でパリ市民ではない あなたの任務はパリの防衛では?」

コルティッツ将軍は、パリを破壊することは得策ではないと考え

ノルドリンク領事と共に市街戦を一時停戦する決定を下します

ノルドリンク領事から停戦を知らされたデルマは

連合軍から支援を受けるため、ガロア少佐(ピエール・ヴァネック)を

赤十字医師団、モノー博士(シャルル・ボワイエ)の協力のもと

米軍司令部に送るのでした

何とかノルマンディに到着したガロア少佐でしたが

パットン将軍(カーク・ダグラス)から

「パリ解放は米軍の任務ではない」と断られてしまいます

しかしパットン将軍は最前線にいるフランス軍

クレール将軍(クロード・リッシュ)に会いに行くことを承諾し

部下に案内させます

事態を知ったクレール将軍はシーバート将軍(ロバート・スタック)と

ブラッドレー将軍(グレン・フォード)を説得

ブラッドレー将軍は全軍にパリ進軍を命じるのでした

グレン・フォードがかっこよすぎる 笑)

ここからがまるで凱旋パレード(笑)

まだドイツ軍がいるのに、戦争が終わったわけでないのに

浮かれた女の子たちが飛び出してきてアメリカ兵にキス

電話で家族に家に帰ることを伝えるフランス兵

(カフェの女主人がシモーヌ・シニョレという贅沢)

こういう普通の兵士や人々の姿を映す演出は最初から最後までうまい

どうせ戦争に負けると、投獄されてしまうやる気のないドイツ兵

解放を急いだせいで騙され親衛隊に殺される30人の若者

ブッヘルバルトへ送られる2980人の政治犯

自転車の空気入れに手紙

銃撃戦中に犬の散歩をする紳士

地面を這って道を横断する男女

「臨時政府の者だ」と名乗るレジスタンス代表の

モランダ(ジャン=ポール・ベルモンド)が

大臣と間違われ言葉巧みに首相官邸を乗っとるシーンは笑えます

 

「警官を使うのは、独軍が制服に弱いからだ」

深刻な中に、ユーモラスを織り交ぜるセンスのよさは

フランス映画ならでは

「(ルーブルの)ベイユー・タペストリーをヒムラー長官へ貰いたい」

それに答えるコルティッツ将軍の皮肉なジョークさえわからない

真面目なドイツ兵が可愛すぎる

家の近くまで来て、妻にアメリカまで煙草を買いに行ったと言う

と、笑った直後に爆撃されてしまうフランス兵

憧れのパリに興奮するアメリカ兵(アンソニー・パーキンス

息子を探す母親に容赦のない銃声

レジスタンスが押し入ったアパートで、ワクワクと紅茶を淹れる老マダム

(おばあちゃんがキュートすぎ)

ナポレオンの墓

教会の鐘の音

ラ・マルセイエーズ」の大合唱


撮影ではナチスの鉤十字旗を掲げることをフランス当局から許されず

赤の部分を緑に変色させた旗を使用することで許可
そのことをごまかすためのモノクロ映画になったそうです

そのぶん、ラストのカラーの空撮にパリが救われたことを実感します

今見るとウクライナの状況とどうしても比べてしまいますね

人命はもちろん、人類が築き上げてきた

歴史や文化を破壊するのも許されることではないのです

 

今年87歳になるドロンさま(17歳で従軍)が

ゼレンスキー大統領とどうしても会談しなければならなかった理由が

この映画で少しは理解できたような気がしました

こんな兵士やレジスタンスがいたら

思わず抱きついてキスしてしまう女性の気持ちも(笑)

 

 

 

【解説】allcinema より

史上最大の作戦」以降隆盛を極めた戦争大作の1本。第二次大戦中、独軍占領下のパリを舞台に、連合軍によるパリ解放に至る過程と、その裏で繰り広げられた大戦秘話をオールスター・キャストで描いた作品である。物語の主軸は、パリ郊外に迫る連合軍の進撃を阻止するためにヒトラーが立案した、“パリ焦土化計画”と、これを食い止めようとするレジスタンスたちの熾烈な攻防戦。これに連合軍の侵攻の過程が刻々と挿入され、クライマックスはパリの大市街戦へとなだれ込んでいく。多くの出演者の中では、若いレジスタンスを演じたベルモンドと、戦車隊の指揮官を演じたY・モンタンが出色の出来。脚本をライター時代のF・コッポラが担当しており、場面展開に非凡なものが感じられるが、後の本人のコメントによれば“あまり気に入っていない”との事。

桜桃の味(1997)

「不幸な人間はそれだけで人を傷つけてしまう」

 

原題は「طعم گيلاس 」(さくらんぼの味)

でも作中に出てくるのは桑の実(笑)

(日本語訳が違うのかな)

そして突然のメイキング映像で終わるラスト

最初見た時は訳がわからなかったけど(笑)

アッバス・キアロスタミを何作か見ると

これがキアロスタミ特有の撮り方だと解釈

テヘランの見知らぬ街、仕事を求める男たちを無視して運転する男

しかし公衆電話で借金の工面の話をしている若者を見つけると

「金が必要なら相談に乗ろう」と声を掛けます

見知らぬ人間が金をくれるなんて妖しすぎる、若者は男を追い払います

次に男はゴミ拾いをしている若者に声をかけます

若者は拾ったプラスチックを売って家族に仕送りしていると言います

男が「もっと金になるいい仕事がある」と誘うと

「いまのままで十分」 と断られてしまいます

 

再びあてもなく車を流していると、クルド人の少年兵から

遠い町から歩いて疲れたので、兵舎まで送って欲しいと頼まれます

男が少年に兵役は辛くないか、金に困っていないかと尋ねると

兵役は辛く、給料は安いし生活は苦しい

任期を終えたら故郷に帰り農業をする予定だと答えます

だったら門限の6時まで兵舎に送るから

簡単な仕事を手伝ってほしいと少年に頼むと

人を疑うことをまだ知らない純朴な少年

一旦は了解したものの、どんな仕事か聞いても答えてくれない

ただ高額な報酬は払うという男に、だんだんと不安になります

 

高台で車を停めた男は、翌朝そこの木のそばの穴に来て

「バディさん、バディさん」(男の名前)と二度読んで

返事がなければシャベルで20回土をかけてほしいと頼みます

そしてトランクにある20万トマンを持ち帰ってくれ

怖くなった少年兵は車から飛び出し、逃げてしまいました

次にバディは休日にもかかわらず、砕石現場の見張り台で

重機の管理をしている青年と出会うと

アフガニスタンから来たというその親切な青年は

バディを見張り台に招待し、喉は乾いていないかいお茶を用意しよう

お腹は空いていないかい卵料理を作ろうと、おもてなししてくれます

いやいや、それより息抜きにドライブにでも行こうと誘いますが

青年は持ち場を離れられない、責任があるからと断ります

そこでバディは青年の友人で、休日を利用してに会いに来たという

神学生を誘うことにします

バディがなぜアフガニスタンからイランへ?と質問すると

アフガニスタンでは戦争で教育がうけられない

イランも戦争しているけど、それはイランとイラクの問題で

アフガニスタンほど酷くないと答えるのでした

 

戦争や難民や移民は世界中ですごく大きな問題なのに

国際機関は名ばかりで何も機能していない

平和の象徴オリンピックと同じ(選手の才能や努力を利用する)

権力者が私腹を肥やす集まり

あいまいな言葉や態度で少年兵に逃げられたバディは

神学生には正直な願いを伝えます

自分には生きていくのにどうしても耐えられない事情がある

今晩穴に入り睡眠薬を飲むので、明日の早朝土をかけて欲しい

 

神学生はやんわりと、自殺は許されないと断ります

解釈を変えれば神は許してくれると訴えるバディ

でも若く純真な神学生は、コーランを湾曲して考えることをまだ知らない

砕石現場に戻ると神学生は、卵料理の好い匂いがする

食事をすれば気が変わるかもと誘います

卵アレルギーだからとその場を去るバディ

 

次に突然現れたのはトルコ人の初老の男

彼はバディの要求をすべて理解しています

死にたい理由も、穴に埋めて欲しい訳も

なぜなら彼も死のうとしたことがあるから

バディがお金は難病の息子の治療費にあててくれと言うと

男は、でも本当はこんなことはしたくないんだよ、と答えます

そして自分が自殺しようとしたときのことを教えます

 

それは妻をもらったものの、あまりの貧しさのためでした

真夜中果樹園の木の枝に首を吊ろうとロープを投げたら

高すぎて届かなかった

そこでロープを吊るすため木に登ると、小さな果実が手に触れます

甘い桑の実、死ぬのも忘れて貪り食べていると

いつの間にか美しい日の出

木の下では登校する子どもたちが、ちょうだいの合図

木を揺らして実を落とす、必死に拾って食べる子どもたち

たくさんの桑の実を摘んで家に帰る、喜ぶ妻

世の中がこんなにも歓喜と生命力で溢れていたとは

トルコ人を職場の博物館に送ったバディは

幸せそうなカップルから写真を撮ってくださいと頼まれます

綺麗な花壇、楽しそうに社会見学する子どもたちのざわめき

眩しい夕日に照らされる街

絶望だと思っていたこの国に、愛も、喜びも、カラーもあった



バディは受付で、男がバゲリという名の

生物(剥製)の先生であることを教えてもらいます

授業中の教室に押しかけ先生を呼び

名前を2度読んで答えなくても、寝ているだけかも知れない

石を2回投げて、動かないことを確かめてほしいと頼みます

先生はわかった、(2回ではなく)3回投げようと約束します

日は暮れ、自ら掘った墓穴に入り夜空の月を眺めるバディ

結局どうなったかはわからない

睡眠薬を飲んだかも、死んだかどうかもわからない

 

私はバディが死んだとは思いません

今日1日で出会い、バディが自殺しようとすることを止めた

国も民族も違うけど誠実な人たち

この出会いも神の思し召し(ご意向)だと思うから

20万トマンは翌朝、元気に先生にあげよう(笑)

生きている感謝を忘れずに

それが私のキアロスタミからの問題の答え

 

 

 

【解説】KINENOTEより

人生に絶望し自殺を決意した男が、ひとりの老人に出逢い、世界の美しさを教えられるというシンプルな物語を、繊細かつ大胆な演出で描き出す一編。監督・製作・脚本・編集は「そして人生は続く」「オリーブの林を抜けて」のアッバス・キアロスタミ。撮影はホマユン・パイヴァール。録音はジャハンギール・ミシェカリ。出演はホマユン・エルシャディ、アブドルホセイン・バゲリほか。97カンヌ映画祭今村昌平監督の「うなぎ」と共にパルムドールを受賞。98キネマ旬報ベスト・テン6位。

土ぼこりにまみれ、中年の男バディ(ホマユン・エルシャディ)が車を走らせている。彼は職を探している男を助手席に乗せては、遠くに町を見下ろす小高い丘の一本の木の前まで無理矢理に連れてゆき、奇妙な仕事を依頼する。「明日の朝、この穴の中に横たわっている私の名前を呼んで、もし返事をすれば助け起こし、無言ならば土をかけてくれ」。クルド人の若い兵士も、アフガン人の神学生も、この依頼を聞き入れようとはしない。バディはジグザグ道を行き来しながら、自殺を手伝う人物を探し回る。最後に乗せた老人バゲリ(アブドルホセイン・バゲリ)は、嫌々ながらも病気の子供のために彼の頼みを聞き入れた上で、自分の経験を語って聞かせる。彼は結婚したばかりの頃、生活苦に疲れ果てて自殺を考えた。ロープを桑の木にかけようとして、ふと実が手に触れた。それをひとつ口に入れた。とても甘かった。桑の実が彼を救ったのだ。バゲリは日々の生活のかけがえのなさを淡々と語りつづける。車は老人の職場である自然史博物館に着き、別れ際にバディはもう一度依頼の念を押す。老人は「大丈夫、あんたは返事をするさ」と言って去る。車を出したバディに、写真を撮ってくれと頼む者がある。シャッターを切ると、娘は「ありがとう」と微笑んだ。この表情を目にすると、バディは車をUターンさせ、老人にもう一度会いに行った。「明日の朝、私が返事をしなかったら、石をふたつ投げて下さい。それから肩をゆすってください。眠っているだけかもしれないから。必ず、忘れないで」。バゲリは請け合って去ってゆく。バディは家で錠剤を飲み、タクシーで木の下まで行く。穴に横たわり、目を閉じる--。画面は一転して撮影風景のヴィデオ映像に変わる。スタッフに指示を出すキアロスタミ。バディも煙草を吸ってくつろいでいる。バディが乗っている(はずの)車は、いまもジグザグ道を走っている。

風が吹くまま(1999)

「美しいかもしれない天国や

 響きのいい約束よりも

 目の前の葡萄酒」


原題は「باد ما را خواهد برد,」(風が私たちを運んでくれる)

これもまたアッバス・キアロスタミの意地悪な映画

でもこの巧みな展開には唸ります、うますぎる(笑)

テヘランから約700キロ離れたクルド人の村シアダレ

山の斜面に沿って家が立ち並び

どこまでが屋根か道かわからない(笑)

迷路のような作りは「望郷」(1937)の舞台となった

アルジェリアのカスバとも雰囲気が似ています

さらにこちらはカラーなので(笑)

白い壁、鶏のいる階段、青い窓枠とドア

美しさが際立ちます

その小さな村に取材班とやってきたTVディレクター

村人たちは彼のことを「エンジニア(技術者さん)」と呼び

部屋を貸し、パンを運び、客人としてもてなしてくれます

彼の目的は村に死にそうなおばあさんが居ると知り

クルド人のお葬式を取材することでした

(人の不幸を食いものにするのはどの国のマスコミも同じだな)

しかし村人たちの献身的な介抱のおかげで

おばあさんはなかなか死なない

エンジニアが車に乗せた学校の先生の話が印象的

エンジニアが葬式の取材に来ていること知っている先生は

(彼が悪しきと思ってる)クルド人の習慣を教えます

先生の母親の顔にはふたつの深い傷があるといいます

最初の傷は夫の姉(叔母)が亡くなったとき

夫の家族への愛を示すため

ふたつめは夫の社長のいとこが死んだとき

仕事がなくならないよう、社長への忠誠心を示すため

自分の爪でつけたというのです

学校に到着し先生が車を降りる時

松葉杖をついていることに気付きます

松葉杖の意味はわからなかったのですが

何か母親の顔の傷と同じような意味があったのでしょうか

丘の上では若者が井戸を掘っています

その穴に毎日娘が牛乳を届けてくれる

若者は娘の家に行けば牛乳をもらえると言います

電気がない(しょっちゅう停電する)ため

真っ暗な牛舎で牛乳を絞る娘

名前を言わない、口もきかない娘にエンジニアは詩を聞かせました

お金も受け取らないためドアにお金を挟んで帰ります

やがて2泊だけの予定が2週間を過ぎ

プロデューサーから携帯に電話が来るたび

(村では電波が届かない)高い丘の上まで車で行ったり来たり

撮影を催促され、番組を打ち切ると脅され

(声は聞こえないので雰囲気で 笑)

取材班は仕事がなきゃ稼げないから帰りたいと言い出し

エンジニアのストレスは溜まっていきます

甲羅の傷付いたリクガメを足でひっくり返し

おばあさんの孫で毎朝パンを運んでくれる少年には

取材班におばあさんの面倒を見ている小叔父が

おばあさんが元気になり、一時町に帰ったことを教えたとを怒り

(少年は取材班に聞かれたから答えただけ)

「いい知らせ(おばあさんが死んだ知らせ)があるまで来るな」

「パンなんかいらない」と怒鳴ります

なんて大人気ない

結局エンジニアもクルド人を見下していたのです

それが少年への態度に出てしまった

クルド人問題や、クルド人に対する差別は

日本ではあまり知られていませんが

キアロスタミは、クルド人を亀に例えたのだと思います

傷付けられ妨げられても、自分の力で起き上がるしかない

でも冷静になってみれば、みんないい人だし親切

エンジニアは少年に八つ当たりしたことを、ちょっと後悔します

学校まで謝りにいくものの、そのときまた電話

(言い訳でなくもっと心のこもった謝罪をしろよ)

急いで丘に登ると、井戸を掘っていた若者が生き埋めになっている

エンジニアは若者を助けるため村人たちを呼びに行きます

人が死ぬことを待っていた男が、人の命を助けようとする

しかも若者(幸い酸欠で済んだ)を診た医者を

おばあさんの家まで連れて行き

自称仕事のない医者のバイクに乗せてもらい

おばあさんの痛み止めの薬を取りに行くという変わりよう(笑)

そして、このバイクでふたり乗りする風景の素晴らしさよ

黄金色に輝き、風になびく麦畑

イランてこんなに美しい国なんだ

次の朝おばあさんは死んでいました

取材班はすでにテヘランに帰ったあとで

カメラひとつ持って葬式に向かうエンジニア

そして弔いに来た女性たちの写真を何枚か撮ると

その場を去って行ったのでした

ただ最初の嘘は本当になりました

エンジニアは「宝探し」の「宝」を見つけることは出来たのです

人間にとっていちばん大切なものを

 

 

 

【解説】映画.COMより

イランの巨匠アッバス・キアロスタミが、小さな村を取材しに来たテレビクルーと個性豊かな住民たちの交流を描き、1999年・第56ベネチア国際映画祭審査員グランプリを受賞した人間ドラマ。首都テヘランから、クルド系の小さな村を訪れたテレビクルーたち。彼らはこの村独自の風習である葬儀の様子を取材しに来たのだが、村を案内する少年ファザードには自分たちの目的を秘密にするよう話す。テレビクルーは危篤状態のファザードの祖母の様子をうかがいながら、数日間の予定で村に滞在する。しかし数週間が過ぎても老婆の死は訪れず、ディレクターはいら立ちを募らせていく

オリーブの林をぬけて(1994)

「僕の幸せはただひとつ」
「君の幸せだ」
「君を幸せにしたいんだ」


原題は「زیر درختان زیتون」(オリーブの木の下で)

映画作りの現場を映画にするというアイデア

フランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜(1973) と同じ

アメリカの夜」は「突然炎のごとく」(1962)

男たち気を引こうとしたジャンヌ・モロー

「誰か、あたしの背中をかいてくれない?」と言うシーンの時

あまりにも自然な演技のせいで、小道具係が出てきて

本当にモローの背中をかいてしまったというハプニングから(笑)

映画の現場を映画にしようと思いついたそうです

こちらはそして人生はつづく」の新婚カップルにインスパイアを受け

全く同じロケ地、同じアングルで撮影しています

そこに、その夫婦から聞いた実話なのか

主演している男女のエピソードなのか

どこまでフィクションなのかは、見る者に委ねられます

ドゥニ・ヴィルヌーヴが、アッバス・キアロスタミから

影響うけたかどうかはわかりませんが

観客に疑問を投げかけてくるアプローチはよく似ていますね

キアロスタミは再びコケルの村で映画を撮影しようと

女性助監督のシヴァと若い女性を面接します

しかもシヴァは(女性が自転車に乗るのも禁止されているイランで)

車の運転はする、監督やスタッフの男たちに命令をするバリキャリ(笑)

現場は彼女のおかげで回っています

ストーリーは「そして人生はつづく」の映画化(笑)

そのワンシーンの新妻役としてタヘレという女学生が選ばれます

ルードバール地震で家族を亡くし祖母とふたり暮らし

時間を守らず、友だちから必要もないお洒落な服を借りてきて

シヴァに怒られます

撮影は二階にいる妻と階段の夫、監督役が会話する短いシーンだけ

1日で終わるはずでした

が夫役の男優が若い女性とは話せないと降板

代わりに雑用係のフセインを起用すると

今度はタヘレが何も言わない

その日の撮影は中止になり

キアロスタミフセインに訳を聞きくと

フセイン地震の前にタヘレにプロポーズしますが

「家がない」という理由で断られていました

地震のあとお墓でタヘレと会ったフセイン

「みんな家がなくなった(平等だ)」と再びプロポーズしますが

今度は「家がない」「字が読めない」と祖母から断られます

(ばあちゃんは金持ちと結婚させたい)

キアロスタミがほかの女性じゃだめかと尋ねると

レンガ職人だったフセインは、タヘレが勉強する姿を見て

お嫁さんにするのは彼女しかいない

自分は文盲で、結婚して子どもが出来たら勉強をみてやれない

結婚相手には教養を求めていたのです

シヴァはタヘレかフセイン(映画の役と現実を混同している)

どちらか代えないと撮影は無理だといいます

でもキアロスタミはふたりでいく

シヴァにタヘレを説得するよう伝えます

次の日、撮影のスタート前、皆に紅茶を淹れるフセイン

タヘレにも紅茶を持って行き

ストーカー・レベルで口説きまくるわけですが(笑)

タヘレは相変わらず塩対応(笑)

断ればいいのに、それさえしない

でも紅茶に添えたお花はなくなっていました(笑)

なんとか撮影は終わり、シヴァが送るというけど

タヘレは車から降り歩いて帰ろうとします

そこでキアロスタミフセインに「君は若いんだから歩け」と命じます

慌ててタヘレを追いかけるフセイン

遠く小さくなっていく男女をロングショットで追うカメラ

丘の上からふたりを見下ろすキアロスタミ

フセインがタヘレに追いつく

何を話したのかはわからない

ふたりは別れ、小走りで戻ってくるフセイン

これは美しい映像の中で、さらに美しいシーン

 

私はタヘレがイエスと答えたと信じたい

そして何十年か後にふたりが

この出来事を笑い話にしてくれたら嬉しい

ジグザグの坂道と同じ

幸せに辿り着くのには

遠回りしなければいけないということなのだな

「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく

必ずセットでみなければいけませんね(笑)

「友だちのうちはどこ?」の成長したふたりも

同じ名前(本名)で出てきます

無事でよかった

 

 

【解説】allcinema より

「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」と続いた“ジグザグ道三部作”最終篇。「そして人生はつづく」の中に、大地震の翌日に式を挙げたという新婚夫婦の挿話があったが、それがきっかけとなり生まれた作品だ。実際の二人は夫役の青年が妻役の娘に求婚しても断られた関係。前作撮影中にこの事実を知った監督キアロスタミは、その僅か4分に満たないシーンから、一途で感動的な青春ラブ・ストーリーを練り上げた。大地震に見舞われ、瓦礫と化したイラン北部の村。映画の撮影を手伝っていた地元の青年ホセインは、この夫役に抜擢され、文盲だという理由でフラれた現実と役柄を混同して、更なるアタックに励む。出番が終われば妻を演じる初恋の少女タヘレは通う学校のある町に去ってしまい、もう逢えない。彼女を乗せたトラックが往く。ホセインはそれを追ってひた走る。オリーブの林を抜け、草原のジグザグ道を通って…。映画の監督キアロスタミの自由な語り口が堪能できる、全ての物語が微妙な入れ子構造になっているこの連作だが、とりわけ虚実ないまぜの本作は、映画に生きる願望を観る者に誘い込む稀有の作品として、同じ年に公開されたカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」と共に永遠に記憶されるべき傑作である。