桜桃の味(1997)

「不幸な人間はそれだけで人を傷つけてしまう」

 

原題は「طعم گيلاس 」(さくらんぼの味)

でも作中に出てくるのは桑の実(笑)

(日本語訳が違うのかな)

そして突然のメイキング映像で終わるラスト

最初見た時は訳がわからなかったけど(笑)

アッバス・キアロスタミを何作か見ると

これがキアロスタミ特有の撮り方だと解釈

テヘランの見知らぬ街、仕事を求める男たちを無視して運転する男

しかし公衆電話で借金の工面の話をしている若者を見つけると

「金が必要なら相談に乗ろう」と声を掛けます

見知らぬ人間が金をくれるなんて妖しすぎる、若者は男を追い払います

次に男はゴミ拾いをしている若者に声をかけます

若者は拾ったプラスチックを売って家族に仕送りしていると言います

男が「もっと金になるいい仕事がある」と誘うと

「いまのままで十分」 と断られてしまいます

 

再びあてもなく車を流していると、クルド人の少年兵から

遠い町から歩いて疲れたので、兵舎まで送って欲しいと頼まれます

男が少年に兵役は辛くないか、金に困っていないかと尋ねると

兵役は辛く、給料は安いし生活は苦しい

任期を終えたら故郷に帰り農業をする予定だと答えます

だったら門限の6時まで兵舎に送るから

簡単な仕事を手伝ってほしいと少年に頼むと

人を疑うことをまだ知らない純朴な少年

一旦は了解したものの、どんな仕事か聞いても答えてくれない

ただ高額な報酬は払うという男に、だんだんと不安になります

 

高台で車を停めた男は、翌朝そこの木のそばの穴に来て

「バディさん、バディさん」(男の名前)と二度読んで

返事がなければシャベルで20回土をかけてほしいと頼みます

そしてトランクにある20万トマンを持ち帰ってくれ

怖くなった少年兵は車から飛び出し、逃げてしまいました

次にバディは休日にもかかわらず、砕石現場の見張り台で

重機の管理をしている青年と出会うと

アフガニスタンから来たというその親切な青年は

バディを見張り台に招待し、喉は乾いていないかいお茶を用意しよう

お腹は空いていないかい卵料理を作ろうと、おもてなししてくれます

いやいや、それより息抜きにドライブにでも行こうと誘いますが

青年は持ち場を離れられない、責任があるからと断ります

そこでバディは青年の友人で、休日を利用してに会いに来たという

神学生を誘うことにします

バディがなぜアフガニスタンからイランへ?と質問すると

アフガニスタンでは戦争で教育がうけられない

イランも戦争しているけど、それはイランとイラクの問題で

アフガニスタンほど酷くないと答えるのでした

 

戦争や難民や移民は世界中ですごく大きな問題なのに

国際機関は名ばかりで何も機能していない

平和の象徴オリンピックと同じ(選手の才能や努力を利用する)

権力者が私腹を肥やす集まり

あいまいな言葉や態度で少年兵に逃げられたバディは

神学生には正直な願いを伝えます

自分には生きていくのにどうしても耐えられない事情がある

今晩穴に入り睡眠薬を飲むので、明日の早朝土をかけて欲しい

 

神学生はやんわりと、自殺は許されないと断ります

解釈を変えれば神は許してくれると訴えるバディ

でも若く純真な神学生は、コーランを湾曲して考えることをまだ知らない

砕石現場に戻ると神学生は、卵料理の好い匂いがする

食事をすれば気が変わるかもと誘います

卵アレルギーだからとその場を去るバディ

 

次に突然現れたのはトルコ人の初老の男

彼はバディの要求をすべて理解しています

死にたい理由も、穴に埋めて欲しい訳も

なぜなら彼も死のうとしたことがあるから

バディがお金は難病の息子の治療費にあててくれと言うと

男は、でも本当はこんなことはしたくないんだよ、と答えます

そして自分が自殺しようとしたときのことを教えます

 

それは妻をもらったものの、あまりの貧しさのためでした

真夜中果樹園の木の枝に首を吊ろうとロープを投げたら

高すぎて届かなかった

そこでロープを吊るすため木に登ると、小さな果実が手に触れます

甘い桑の実、死ぬのも忘れて貪り食べていると

いつの間にか美しい日の出

木の下では登校する子どもたちが、ちょうだいの合図

木を揺らして実を落とす、必死に拾って食べる子どもたち

たくさんの桑の実を摘んで家に帰る、喜ぶ妻

世の中がこんなにも歓喜と生命力で溢れていたとは

トルコ人を職場の博物館に送ったバディは

幸せそうなカップルから写真を撮ってくださいと頼まれます

綺麗な花壇、楽しそうに社会見学する子どもたちのざわめき

眩しい夕日に照らされる街

絶望だと思っていたこの国に、愛も、喜びも、カラーもあった



バディは受付で、男がバゲリという名の

生物(剥製)の先生であることを教えてもらいます

授業中の教室に押しかけ先生を呼び

名前を2度読んで答えなくても、寝ているだけかも知れない

石を2回投げて、動かないことを確かめてほしいと頼みます

先生はわかった、(2回ではなく)3回投げようと約束します

日は暮れ、自ら掘った墓穴に入り夜空の月を眺めるバディ

結局どうなったかはわからない

睡眠薬を飲んだかも、死んだかどうかもわからない

 

私はバディが死んだとは思いません

今日1日で出会い、バディが自殺しようとすることを止めた

国も民族も違うけど誠実な人たち

この出会いも神の思し召し(ご意向)だと思うから

20万トマンは翌朝、元気に先生にあげよう(笑)

生きている感謝を忘れずに

それが私のキアロスタミからの問題の答え

 

 

 

【解説】KINENOTEより

人生に絶望し自殺を決意した男が、ひとりの老人に出逢い、世界の美しさを教えられるというシンプルな物語を、繊細かつ大胆な演出で描き出す一編。監督・製作・脚本・編集は「そして人生は続く」「オリーブの林を抜けて」のアッバス・キアロスタミ。撮影はホマユン・パイヴァール。録音はジャハンギール・ミシェカリ。出演はホマユン・エルシャディ、アブドルホセイン・バゲリほか。97カンヌ映画祭今村昌平監督の「うなぎ」と共にパルムドールを受賞。98キネマ旬報ベスト・テン6位。

土ぼこりにまみれ、中年の男バディ(ホマユン・エルシャディ)が車を走らせている。彼は職を探している男を助手席に乗せては、遠くに町を見下ろす小高い丘の一本の木の前まで無理矢理に連れてゆき、奇妙な仕事を依頼する。「明日の朝、この穴の中に横たわっている私の名前を呼んで、もし返事をすれば助け起こし、無言ならば土をかけてくれ」。クルド人の若い兵士も、アフガン人の神学生も、この依頼を聞き入れようとはしない。バディはジグザグ道を行き来しながら、自殺を手伝う人物を探し回る。最後に乗せた老人バゲリ(アブドルホセイン・バゲリ)は、嫌々ながらも病気の子供のために彼の頼みを聞き入れた上で、自分の経験を語って聞かせる。彼は結婚したばかりの頃、生活苦に疲れ果てて自殺を考えた。ロープを桑の木にかけようとして、ふと実が手に触れた。それをひとつ口に入れた。とても甘かった。桑の実が彼を救ったのだ。バゲリは日々の生活のかけがえのなさを淡々と語りつづける。車は老人の職場である自然史博物館に着き、別れ際にバディはもう一度依頼の念を押す。老人は「大丈夫、あんたは返事をするさ」と言って去る。車を出したバディに、写真を撮ってくれと頼む者がある。シャッターを切ると、娘は「ありがとう」と微笑んだ。この表情を目にすると、バディは車をUターンさせ、老人にもう一度会いに行った。「明日の朝、私が返事をしなかったら、石をふたつ投げて下さい。それから肩をゆすってください。眠っているだけかもしれないから。必ず、忘れないで」。バゲリは請け合って去ってゆく。バディは家で錠剤を飲み、タクシーで木の下まで行く。穴に横たわり、目を閉じる--。画面は一転して撮影風景のヴィデオ映像に変わる。スタッフに指示を出すキアロスタミ。バディも煙草を吸ってくつろいでいる。バディが乗っている(はずの)車は、いまもジグザグ道を走っている。