ホームワーク(1989)

原題は「مشق شب(宿題)

アッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ?(1987) の次に

制作されたインタビュー・ドキュメンタリー

イラン政府の検閲と妨害により映画製作が困難ななか

「子供の話なら可」という条件で撮影許可がおりたそうです

小学校を訪問したキアロスタミ

宿題を忘れた子どもたちに、できなかった理由を

尋ねるだけの内容なんですが(笑)

監督の教育現場に対する疑問を浮き彫りにしていきます

テヘランの小学校(男の子だけ)

まず朝礼での合唱に驚きます

イスラムは勝つ!」

「西と東を倒せ!」

フセインをぶっ殺せ!」

フセインは地獄に堕ちろ!」

と声高らかに歌うのです

イランの教育制度は主に「音声教育」と「暗記教育」

教科書は声に出して読み、すべて丸暗記しなければならない

なので学校の授業だけでは足りず、宿題がいっぱい出るわけです

でも授業で覚えきれていかったり、まだ習っていない箇所は

音読ができないし、書き取りもできない

だから親や兄や姉など年長者に

教えてもらわないといけないのですが

宿題ができなかった子たちの多くは

両親が読み書きできないため教えられなかったり

(監督のアンケートでは37%の親が文盲)

父親や兄が教えてくれたとしても

遅いとか、間違っているとぶたれたりして(しかもベルトで)はかどりません

顔に傷のある子もちらほら

それを黒いサングラスをかけた強面の監督が

なぜ忘れるの?忘れたらどうなる?

罰を受けるの?ご褒美はしってる?と

口調こそ柔らかいけれど、理詰めて質問してくるわけだから

これじゃ刑事の取り調べ(笑)

何か間違いを言ったらぶたれるのではないかと怯え

こどもたちは大きな声ではっきり答えられない

それでも健気に答えていきます

テレビで見るアニメはディズニー作品のようです

ヨーロッパ系の顔立ちの子も多いので違和感ないのでしょうね

成績の良さそうな子(ちょっと裕福そうな子)は堂々としています

将来なりたい職業もきちんと言える

しかもテレビだけじゃない、映画館に行くと言います

キアロスタミが「なんの映画を見たの?」聞くと

少年はイラク人の捕虜になったイラン人を助けるお話と答えます

いわゆるプロパガンダ映画ですね

「喧嘩と戦争の違いはなに?」

「相手を殺すことかな」

生まれた時から国が戦争しているわけだから

子どもがこう答えるのもあたりまえ

いまなら子どもでもスマホPCを使いこなし

あらゆる情報が手に入るでしょうが

大人のの言うことが世界の全て

子どもや自分の考えを持つことは許されない時代だったのです

だからといって、日本人にイラン人を批判する権利はありません

戦争中は日本の子どもたちもイランの子どもたちと同じ

教育は男女で別れ、男尊女卑

できない、わからない、反抗したら、親や先生に殴られる

自由な思想や表現は愛国に背くと教え込まれていたのだから

私は宗教や文化の違いで、考え方が違うことは否定しませんが

この純真無垢な子どもたちが将来、大人になったとき

自分の子どもを同じように殴るようになるのかと思うと悲しい

それは監督も同じだったと思う

子どもたちの顔を正面から映すカメラは小津監督を思わせますね

そのカメラマンの顔を正面から映すもう一台のカメラ

 

西側の教育制度や、かっての日本の詰め込み授業を語る先生と

(実際は先生の言葉でなく、イランの教育学者によるものらしい)

昔とは勉強のやり方が違うので教えられないという父親は

100%ドキュメンタリーではなく)監督の演出でしょう(たぶん)

体罰のせいで、大人の前では友だちがそばにいないと泣いてしまう少年も

泣き虫少年が、詩を立派に暗唱するシーンで映画は終わり

少し逞しくなった姿に私たちは救われる気持ちになりますが

それは敵国を撃破することへの神の教えを謳ったもの

 

キアロスタミって、なんて意地悪(笑)

日本では1951年(昭和26)児童憲章が制定

ご存じない方もいるかも知れないので、序文だけ紹介します

ひとつ、児童は人として尊ばれる

ひとつ、児童は社会の一員として重んぜられる

ひとつ、児童はよい環境のなかで育てられる

 

神の言葉をどう捉えるかは人間の解釈次第

だけど子どもたちが、神から授かった命だということも

忘れてはいけません

彼らは地球の将来を担う宝なのだから

 

 

 

【解説】KINENOTEより

子供たちにとっての宿題とは何かを問いかけることを通して、現代イランの小学校教育と社会の問題をさぐる映像リサーチ。監督・インタヴュアー・美術・編集は「クローズ・アップ」「オリーブの林をぬけて」のアッバス・キアロスタミで、同監督が一躍国際的な注目を浴びた「友だちのうちはどこ?」の次作にあたる。撮影はイラジ・サファヴィ、モハマド・リザ・アリゴリ、録音はアハマッド・アスカリがそれぞれ担当。撮影は87年に、テヘランのジャヒッド・マスミ小学校で行われ、メインとなるのは小学校の一室に設けられた仮設スタジオで撮影された、キアロスタミ監督自身による子供たちへのインタヴュー。子供の話と、保護者を対象に行ったアンケートで、全体の四割弱にもおよぶ親が非識字者で子供の宿題をみてやれないこと、また教育のある親でもイスラム革命で教育システムがまったく変わってしまったために話が通じず、勉強を教えようとすると逆に混乱すること、それに家庭教育ではかなり激しい体罰がまだ横行していることなどが明らかになる。また暗記中心の詰め込み教育で、宿題の量も多く、子供たちにはかなりの負担になっていることが分かってくるといった内容が語られている。