オリーブの林をぬけて(1994)

「僕の幸せはただひとつ」
「君の幸せだ」
「君を幸せにしたいんだ」


原題は「زیر درختان زیتون」(オリーブの木の下で)

映画作りの現場を映画にするというアイデア

フランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜(1973) と同じ

アメリカの夜」は「突然炎のごとく」(1962)

男たち気を引こうとしたジャンヌ・モロー

「誰か、あたしの背中をかいてくれない?」と言うシーンの時

あまりにも自然な演技のせいで、小道具係が出てきて

本当にモローの背中をかいてしまったというハプニングから(笑)

映画の現場を映画にしようと思いついたそうです

こちらはそして人生はつづく」の新婚カップルにインスパイアを受け

全く同じロケ地、同じアングルで撮影しています

そこに、その夫婦から聞いた実話なのか

主演している男女のエピソードなのか

どこまでフィクションなのかは、見る者に委ねられます

ドゥニ・ヴィルヌーヴが、アッバス・キアロスタミから

影響うけたかどうかはわかりませんが

観客に疑問を投げかけてくるアプローチはよく似ていますね

キアロスタミは再びコケルの村で映画を撮影しようと

女性助監督のシヴァと若い女性を面接します

しかもシヴァは(女性が自転車に乗るのも禁止されているイランで)

車の運転はする、監督やスタッフの男たちに命令をするバリキャリ(笑)

現場は彼女のおかげで回っています

ストーリーは「そして人生はつづく」の映画化(笑)

そのワンシーンの新妻役としてタヘレという女学生が選ばれます

ルードバール地震で家族を亡くし祖母とふたり暮らし

時間を守らず、友だちから必要もないお洒落な服を借りてきて

シヴァに怒られます

撮影は二階にいる妻と階段の夫、監督役が会話する短いシーンだけ

1日で終わるはずでした

が夫役の男優が若い女性とは話せないと降板

代わりに雑用係のフセインを起用すると

今度はタヘレが何も言わない

その日の撮影は中止になり

キアロスタミフセインに訳を聞きくと

フセイン地震の前にタヘレにプロポーズしますが

「家がない」という理由で断られていました

地震のあとお墓でタヘレと会ったフセイン

「みんな家がなくなった(平等だ)」と再びプロポーズしますが

今度は「家がない」「字が読めない」と祖母から断られます

(ばあちゃんは金持ちと結婚させたい)

キアロスタミがほかの女性じゃだめかと尋ねると

レンガ職人だったフセインは、タヘレが勉強する姿を見て

お嫁さんにするのは彼女しかいない

自分は文盲で、結婚して子どもが出来たら勉強をみてやれない

結婚相手には教養を求めていたのです

シヴァはタヘレかフセイン(映画の役と現実を混同している)

どちらか代えないと撮影は無理だといいます

でもキアロスタミはふたりでいく

シヴァにタヘレを説得するよう伝えます

次の日、撮影のスタート前、皆に紅茶を淹れるフセイン

タヘレにも紅茶を持って行き

ストーカー・レベルで口説きまくるわけですが(笑)

タヘレは相変わらず塩対応(笑)

断ればいいのに、それさえしない

でも紅茶に添えたお花はなくなっていました(笑)

なんとか撮影は終わり、シヴァが送るというけど

タヘレは車から降り歩いて帰ろうとします

そこでキアロスタミフセインに「君は若いんだから歩け」と命じます

慌ててタヘレを追いかけるフセイン

遠く小さくなっていく男女をロングショットで追うカメラ

丘の上からふたりを見下ろすキアロスタミ

フセインがタヘレに追いつく

何を話したのかはわからない

ふたりは別れ、小走りで戻ってくるフセイン

これは美しい映像の中で、さらに美しいシーン

 

私はタヘレがイエスと答えたと信じたい

そして何十年か後にふたりが

この出来事を笑い話にしてくれたら嬉しい

ジグザグの坂道と同じ

幸せに辿り着くのには

遠回りしなければいけないということなのだな

「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく

必ずセットでみなければいけませんね(笑)

「友だちのうちはどこ?」の成長したふたりも

同じ名前(本名)で出てきます

無事でよかった

 

 

【解説】allcinema より

「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」と続いた“ジグザグ道三部作”最終篇。「そして人生はつづく」の中に、大地震の翌日に式を挙げたという新婚夫婦の挿話があったが、それがきっかけとなり生まれた作品だ。実際の二人は夫役の青年が妻役の娘に求婚しても断られた関係。前作撮影中にこの事実を知った監督キアロスタミは、その僅か4分に満たないシーンから、一途で感動的な青春ラブ・ストーリーを練り上げた。大地震に見舞われ、瓦礫と化したイラン北部の村。映画の撮影を手伝っていた地元の青年ホセインは、この夫役に抜擢され、文盲だという理由でフラれた現実と役柄を混同して、更なるアタックに励む。出番が終われば妻を演じる初恋の少女タヘレは通う学校のある町に去ってしまい、もう逢えない。彼女を乗せたトラックが往く。ホセインはそれを追ってひた走る。オリーブの林を抜け、草原のジグザグ道を通って…。映画の監督キアロスタミの自由な語り口が堪能できる、全ての物語が微妙な入れ子構造になっているこの連作だが、とりわけ虚実ないまぜの本作は、映画に生きる願望を観る者に誘い込む稀有の作品として、同じ年に公開されたカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」と共に永遠に記憶されるべき傑作である。