山猫(1963) 「イタリア語・完全復元版」

 

イタリア政府が国を挙げて修復に取り組み
美しく甦った映像の世界遺産
 
ヴィスコンティは当時貴族の末裔でありながら
無産階級の人間と有産階級の人間に違いなどないという信条をもち
コミュニスト共産主義者で「赤い公爵」と呼ばれていたそうです
 
そんなヴィスコンティがイタリア独立戦争によって
それまでの支配階級に中産階級が取り入り
時代に巻き込まれていく名門貴族の一家を描く
 
クライマックスの有名な舞踏会シーン
衣装をはじめ、ヴィスコンティから持ち出したものを多数使い
本物のシチリア貴族の末裔もエキストラとして80人ほど出演
パレルモにあるガンジ宮で36日間を費やして撮影
貴族の豪華絢爛な美を徹底的に見せてくれます
 

1860年5月、統一戦争に揺れるイタリア
祖国統一と貴族支配からの解放を叫ぶ
ガリバルディイタリア王国成立に貢献した軍事家

彼の率いる赤シャツ隊がシチリア島に上陸
シチリアを数十代に渡って統治してきた山猫の紋章の名門

サリーナ公爵家にも貴族社会が終わりを告げる日が迫ってきます
 
サリーナ公爵バート・ランカスターが目をかけている甥の
タンクレディアラン・ドロン=イタリア語は吹き替えは革命軍に参加
そんな治安不安定な中、公爵は例年通り避暑のため
一家を率いてドンナフガータ村の別荘へ出発するのです
 

冒頭の威厳あるミサのシーンは教会ではなく屋敷で行われるのですね
どれだけ敬虔なカトリックなのだろうと思うのですが
戦争が始まり妻は怯えていたのに、公爵は娼婦の元へ出かけます
神父にそのことを咎められると「妻のヘソも見たことがない」
「それでも努力して子どもを7人作った」と言い訳するのです
貴族で高貴な女性は夫にヘソも見せないのかと驚いてしまう
 
旅の途中、片目負傷休暇の出たタンクレディ合流すると
公爵の娘コンチェッタとタンクレディは恋仲のように見えました
しかし村に到着後、タンクレディ公爵家で催された晩餐会にやってきた
成金カロージェロ美しい娘、アンジェリカに心を奪われてしまいます
タンクレディの出世のためにも、カロージェロの資産が欲しい公爵
 

公爵はタンクレディとアンジェリカの婚約に向けて
ウサギ狩りの案内人、ドン・チッチョに
カロージェロ一家のことを訪ねました
 
あの男はやり手てでいつか上院議員まで上り詰めるだろう
そして彼の妻は農民の不潔な父親の娘で、すごい美人だけど
読み書きはもちろん、話もろくにできない
だけどベットでは抜群だという
 

晩餐でのアンジェリカの野卑で無作法な笑い声を思い出す
指をなめて上目づかいで公爵を見たり、舌なめづりをしたり
「(コンチェッタが)まだあなたを愛しているのよ」と言いながら
彼女の前でタンクレディとベタベタする
 
カロージェロに対してもですが
監督のブルジョアジーに対する軽蔑と
貴族との価値観の差や、品位の欠落にはシビアで
貴族とこの父娘の距離感をうまく表現していたと思います
 
選挙不正もこの時代からしっかり行われていたのですね
でも1票も反対票がないのは、少しやりすぎ()
 

新しい政府になり、公爵のもとに政府の使者がやってきます
シチリアの住民の声を、政府に伝えるために
公爵に議員になってほしいというものでした
侯爵は住民の声を政府に伝える事は、住民に奉仕すること
住民に奉仕させる貴族から、変わるつもりはない、と断わります


使者が帰るとき、「山猫は山猫だ」と侯爵は言います

「山猫と獅子は退き、ジャッカルと羊の時代が来る
 
獅子と山猫は、王様と貴族のこと
一方ジャッカルは、ライオンの獲物を横取りしたり
食べ残しを食べる動物だと思われてきました
自分たちは自分で獲物を捕まえて食べてきた
それが自分たちの獲物や食べ残しを奪う者たちの時代に変わる
そう蔑んだのです
 

延命した貴族たちはダンスにうつつを抜か
カトリックは、支配構造に寄生虫うに巣食

農民は置き去りにされたまま

そしてヴィスコンティ監督作品の共通点といえば
年老い衰退していく者の、若者に対する「羨望」
ここでは、これからの新しい時代を生きる
タンクレディとアンジェリカへの羨望なのです
 
名門貴族としてこの地を統治してきた威厳
長い長い舞踏会に耐えきれなくなったように
老いて疲れ果て、ついに尽きようとしている
 

逃れることのできない時の流れと
死に向かう官能
これがヴィスコンティ流の滅びの美学
 
3時間強は、やはり長いですが
死ぬ前にもう一度、見ておこうと思います(何年先よ 笑)
 
「死に向かう官能」を熟考してみたいから
 

 
【解説】allcinemaより
巨匠L・ヴィスコンティ監督が実在の貴族ランペドゥーサの小説を基に、B・ランカスター、A・ドロンら豪華競演陣を配して貴族の斜陽を重厚に描いた壮大なドラマ。日本公開においてはまず64年に大幅に短縮された英語国際版が上映され、次いで81年にイタリア語のオリジナル版、そして2004年に完全復元版が公開された。