自転車泥棒(1948)

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ヴィットリオ・デ・シーカネオレアリズモの名作

ネオレアリズモイタリアン・リアリズムとは

ノースター(素人俳優)主演でドキュメンタリー風な作品のこと

 

脚本は「靴みがき」(1946)「ウンボルトD(1952)

「終着駅」(1953)でも組んだチェーザレ・ザヴァッティーニ

代表作はやはり「ひまわり」(1970)でしょう

 

そしてネオレアリズモのテーマといえば、やはり不運続き

何もかも失っても、それでも生きていく

ここでは、戦後まもない敗戦国イタリア

仕事もなく、今日生きていくことさえ難しい状況が

リアルに描かれています

 

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そんな中、運よく役所のポスター貼りの仕事にありつけたリッチ

しかしその仕事には自転車が必要だと言います

だけど自転車は金のため質屋に預けたまま

妻は家中にあるありったけのシーツを洗濯して質屋に持っていき

自転車と交換するのです

 

その自転車が作業中に盗まれてしまう

(ポスターは、リタ・ヘイワースのドレス姿)

そこからは6歳になる愛息ブルーノに、親友たち

教会まで巻き込んでの自転車探し

ついには自暴自棄になり、幼い息子に八つ当たりしてしまいます

 

そのあとになけなしの持ち金で入る、ちょっと高級なレストランで

金持ち風の男の子と、ブルーノの対比がまた切ない

 

夢や希望なんか持たないほうが、生きていくのに

都合がいいと訴えているようです

ついには不運の呪いを解くため、女占い師を頼ることになりますが

犯人は見つかったけれど、自転車は見つからない

ついには自転車を盗まれた自分が、誰かの自転車を盗んでしあう

 

このようなウェットな描き方は、アメリカ映画では

あまり見られません

父親は誰よりも強く正しい存在であり、ヒーローだから

 

だけど本作では、惨めで救いようがないただのヘタレ

そんな父親でも息子は懸命に助けようとする

その純粋な愛は胸を打ちます

(子どもと動物にはヨワイ私・・・)

 

そして盗んだ側にも、盗まれた側にもそれぞれ仲間がいて

本気で友人や弱い者を助けようとする

そんな家族や仲間同士の強い連帯意識がイタリアの底辺にはあって

これはある意味、マフィア的文化にも繋がっていると言えるでしょう

 

最初から嘘などつかず、素直に仕事を断れば

こんな苦労はしなかったのに

誰にも迷惑をかけなかったのに

 

イマドキを賑わせている吉本興業の会見にちょっと似ていますね

所詮、時代や状況は変わっても人間の本質は変わらない

 

さすが、デ・シーカ&ザヴァッティー

70年の歳月を超えても説得力の威力は衰えない

名作です

 



【解説】allcinemaより

敗戦国の戦後のどん底を痛感させるネオレアリズモの秀作。思想風土の差はあれ同じような経験をした日本の映画がこの時期、民主主義礼賛の御用映画ばかりだったことを考えれば、芸術の独立性を保った当時のイタリア映画人の気質は見習うべきものがある。長い失業の末、映画ポスター貼りの職を得たアントニオは、シーツを質に入れ、代わりに仕事に必要な自転車を請け出し、六歳の息子ブルーノを乗せ町を回るが、ふとした隙に自転車が盗まれてしまう。それなしでは職を失う彼は、無駄と承知で警察に行くが相手にされず、自力で探すことにするが、ようやく犯人に辿り着いたところで仲間の返り討ちに遭いかけ、思い余って今度は自分で自転車泥棒を働くが……。教訓的という以上に感動的なラストにはやはりハンカチが必要な、デ・シーカと脚本家C・ザバッティーニの「靴みがき」に続く、素人俳演を用いたアクチュアルな映画作りの試み。悲痛な前作より日本人好みには合うだろう。