人生案内(1931)

 
ソ連初のトーキーということ
 
ソ連内戦時に大量に発生した浮浪児は
やがて不良化していきます
政府では彼らを再度社会化する制度が急がれました
 
そして社会主義建築が確実に
速やかに進行しているということを
国内外へ知らせるための宣伝効果を狙って
製作された作品なのだそうです
 
そんな誰がどう見ても明らかな
 
しかし、たとえそんな思惑があったにしても
素晴らしい傑作でしょう
とても感動的で、わかりやすい
ストレートに見る人の心に訴える力があります
 
舞台は1923年
モスクワ駅にたむろする少年たち
その目は鋭く異様に輝いています
それは金品を持っている大人を見分け盗むため
 
少年たちの親玉フォムカ、その愛人
襲われる女、酔っぱらい落ちぶれる男
 
たとえセリフがなくてもどれだけここが危険な場所なのか
悪人がどんなに悪いやつなのか
見てすぐにわかるのです
サイレント時代のカメラの技法が
よく生かされていますね
 
そんな行き場のない少年たちを集め
労働(シベリア鉄道の建設)させるために作られた場所コムウナ
指導者のセルゲーエフは暖かく少年たちを受け入れ
そして働くことの素晴らしさを教えようとします
やがて少年たちも物作りの楽しさを知っていきます
完成されていく鉄道
機関士になりたいと広がる夢
 
なのに、そこにまで悪人フォムカがやってきます
煙草と女を使い少年たちを誘惑していくのです
 
そして、私が見た映画の中でも
これほど完成度の高いラストシーンはそうありません
 
この一瞬に
人生のすべてが詰まっているのです
友情、歓喜、音楽、労働、死、哀悼
 
天才の仕事としか言えない
映画に対する強い愛を感じる作品でした
 
そして「教育」とは何かと
現代でも考えさせられてしまう
永遠のテーマでしょう
 
お気に入りです
 

 
【解説】ウィキペディアより
『人生案内』(じんせいあんない、ロシア語: Путёвка в жизнь、英語: Road to Life)は、ゲンリフ・ヤゴーダのグラグの下、マトヴェイ・カモイロヴィッチ・ポグレビンスキー (Матвей Самойлович Погребинский) が管理していたボリシェヴィキの労働キャンプにおける、少年たちの再教育を主題とした、ソビエト連邦初期の劇映画。ソ連最初の音声付き映画であり、1931年6月1日に初公開された。
1932年、この作品は、第1回ヴェネツィア国際映画祭において監督賞を受賞し、その後、世界197か国で上映され、ソビエト連邦の映画の国際的な評価を高めた。また、26か国がこの映画を購入した。