原題は「L’Aveu 」(自白)
原作はスラーンスキー事件の当事者のひとり
アルトゥール・ロンドンの手記
スラーンスキー事件(スラーンスキー裁判)とは
チェコスロバキア共産党の14人のメンバーに対する
反ユダヤ主義の見せしめ裁判で
血の粛清(しゅくせい)(独裁権力が反対勢力の人々を暴力で排除すること)
そもそも共産主義と社会主義の違いもよく解っていない私にとって
心底理解して面白いといえる内容ではないのですが(笑)
映画のほとんどを占めているのが拷問と
嘘の証言の強要なのでわかりやすい
後ろ手に縛られ、牢獄の中を歩き続けることを強いられ
食事も水もろくに与えられず眠ることも許されない
やがて栄養不足と睡眠不足と疲労で正気を失ってしまう
イヴ・モンタンはこの映画の撮影で体重を15キロ落としたそうです
あばら骨と垂れ下がった二の腕の皮膚がリアル
ストーリーらしいストーリーがあるわけではないのですが
映画を見るまえに知っておいたほうがいいと思ったことを
何点かとりあげて見ます
ルドルフ・スラーンスキー(1901~1952)
第二次世界大戦後チェコスロバキア共産党の書記長に選出され
社会主義化を推進するも
1951年、アメリカ帝国主義に加担したと
死刑判決を受け1952年12月3日に処刑、1968年名誉回復されます
1924年から1953年までソ連の最高指導者スターリンの発想と実践の総体
指導者に対する個人崇拝、軍事力や秘密警察の支配を背景とした恐怖政治
大規模な粛清を特徴とする全体主義、それに通じる思想や体制のこと
トロツキーとは 「左翼を装った挑発者」
共産党にとって最悪の裏切り者の代名詞
シオニズム(シオン運動、シオン主義)を主張する者
シオニズムとはイスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう
ユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興(ルネサンス)
しようとするユダヤ人の運動のこと
チトー主義(チトーイズム)
それを支える理論や思想のこと
大粛清(ロシア語:Большой террор)
1930年代からスターリンが実行した党の浄化
ソ連および衛星国での大規模な政治弾圧
スペイン内戦(1936~1939)
マヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府(ロイヤリスト派)と
フランシスコ・フランコ率いる右派の反乱軍(ナショナリスト派)との争い
西欧国からは文化人、知識人が多く支持した
右派の反乱軍をドイツ、イタリア、ポルトガルが支援した
自国の経済的自立を目指した共産党書記長ドプチェクの指導のもと展開されるも
8月にソ連軍(ワルシャワ条約機構軍)が軍事侵攻したことで鎮圧される
外務次官ジェラール(イヴ・モンタン)は、突然何者かに拉致され
拷問、睡眠時間の強奪、訊問
犯罪の自白(アメリカのスパイとの接触、トロキストのリーダーであること)
の強要を執拗に迫られます
党内抗争による大粛清であり、スターリン主義者の陰謀だと知っても
信頼していた仲間たち(ユダヤ人)の自白のコピーを見せられ
嘘の供述書にサインさせられてしまう
奥さん(シモーヌ・シニョレ)は仕事も家も
家財道具すべて奪われ、安いボロアパートに引っ越し
子どもたちの命を守るため夫の罪を告白し
そのことはラジオで放送されます
筋書き通りの裁判では、容疑者たちは覚えさせられた評言を暗唱するだけ
11人が死刑、ジェラールを含めた3人に無期懲役の判決が出ます
スターリンの死後ジェラールは釈放され、1956年名誉回復
(拷問した軍幹部が、一般市民に戻るといい人すぎるのがまた怖い)
1968年、チェコ作家同盟の援助で自叙伝を出版するため
プラハにやって来たジェラールは
「レーニンよ目を醒ませ、奴らは発狂した」の文字で
映画は終わりを告げます
同じドキュメンタリー風サスペンスタッチでも
面白さもエンタメ性も「Z」(1969)のほうが高い
ただ本作では、映画の役目とは歴史の記録をとどめること
過去の過ちを繰り返さないためには真実を風化させてはいけないという
コスタ=ガヴラスの熱意とメッセージを感じました
【解説】allcinema より
この作品は、51年にチェコスロヴァキアで起こったスランスキー事件を体験した夫妻の共著『告白』を映画化したものだ。スランスキー事件とは、当時チェコ共産党の高官だったアルトゥール・ロンドンほか14名が突然逮捕され、22カ月間監禁拷問され、身に覚えのない反逆行為の“自白”を強要されたあげく、裁判によって断罪された事件である。妻リーズは、突然の夫の失踪に何とか安否を尋ね廻るが、全く解らなかった。やがて突然に職場を追われ、事件が公表されると、党の為に公式に夫を否定しなければならなくなる……。
この急進的なスターリン主義者たちの策謀によって“自白”にサインした11名は死刑、アルトゥールを含めわずか3名が死刑を免れ終身刑となった。アルトゥールの名誉が回復されたのは、4年後の56年のことである。主人公の夫妻を実生活でも夫婦であるイヴ・モンタン(役名ではジェラール)とシモーヌ・シニョレが演じた。製作に当たっては“プラハの春”の時期にあたりチェコとの合作になる予定だったが、68年に多くの映画人の亡命者を出したことでも知られる動乱で断念を余儀なくされ、映画のエピローグとしてソ連の軍事介入の痛烈な批判が付け加えられた。なお、スチル写真はクリス・マルケルが撮影。コスタ=ガブラスの“伝統的な娯楽映画のテクニックを偽装し、利用しつつ、その政治性を大衆に到達させる試み”は、ここでも絶大な効果をあげている。