原題は「Taza, Son of Cochise」(ターザ、コチーズの息子 )
コチーズ(1805年頃から1874年)とは
西部劇としては異色で、アパッチが主人公で
アパッチ側の視点で描かれています
(演じているのが白人俳優なのはご愛敬)
白人と共に共存しようという穏健派と
あくまで抵抗しようという抗戦派に別れ
部族内の対立を露わとしているのも印象的
メロドラマの巨匠として名高いダグラス・サークが
自身のフィルモグラフィの中でもお気に入りに挙げている作品で
実はずっと西部劇を撮りたいと思っていたそうです(笑)
溜息ものの面白さやインパクトはないものの
ジョン・フォードをエレガントで綺麗にした感じ
そして、内務省国立公園局の協力のもと
アーチーズ国立公園(もともとは先住民が住んでいた場所でもある)での
撮影が可能になったという美しい映像(夜なんて本当に真っ暗 笑)は
ジョン・フォードポイントのモニュメントバレーにも引けをとらない
カメラはラッセル・レティ
1872年、アパッチ族のコチーズ酋長は
長年に渡った騎兵隊(米軍)との戦いを終え、講和条約を結びます
その3年後、コチーズは亡くなる前
白人と和平の道を歩むという願いを込め、長男ターザを跡取りにします
しかしそのことは、白人に敵対心剥き出しの弟のナイチや
長老イーグルらと(ターザは父親ほど影響力がないのだろう)
対立してしまうことになるのです
しかもナイチ率いる抗戦派が幌馬車を襲い白人を殺してしまったことで
騎兵隊と一発触発の危機に陥ってしまいます
もし戦争になったら、武力で軍隊にかなうはずがない
ターザは居留地を管理するバーネット大尉を説得し
居留地に住むアパッチはアパッチ自らが取り締まると
自分が責任者になることで戦争を回避します
史実上でも、アパッチ族の戦士の中には
インディアン斥候(せっこう)隊として米軍に協力し
敵対部族や、時に同じアパッチ族とも戦ったそうです
居留地に再び平和が訪れたわけですが
族長の証の羽根を捨て、白人の騎兵隊の軍服を着たターザのことを
快く思わない部族も多くいました
そこに白人に反抗的なことで有名な
再び反乱の機運が高まってしまいます
実の弟と白人との和平との間の板挟み
しかもターザを心配するあまり、恋人のウナが
(ターザと付き合っていることで父親から虐待を受けている)
「戒律を無視して駆け落ちしましょう」言い出す
そこでターザはウナの父親にウナとの結婚を申し込みに行きますが
ウナの父親から、ウナは弟のナイチと結婚すると告げられてしまいます
父の意思を継ぐことが一番だと信じていた
だけど本当に守るべきものが何なのか、判らなくなってくる
1934年から映画の仕事に携わってきたサークは
1937年、アメリカに亡命したんですね
そんなことを知ってみると
この映画をまた違った角度から
見ることが出来るかも知れません
騎兵隊が攻めてくることを知ったターザは
バーネット大尉に、騎兵隊の出動は多くの部族を刺激し
新たな戦いのきっかけになる、やめるべきだと忠告します
ジェロニモは自分たちが追う
しかしバーネット大尉が送った電報に対する本部からの返答は
斥候隊は拘束し、ジェロニモ一派を掃討しろという命令でした
怒ったターザは軍服を脱ぎ捨て、見張りを殺し逃走しますが
弟やジェロニモに加勢するわけではなく(笑)
結局はバーネット大尉の味方としてジェロニモを説得し
騎兵隊との停戦を交渉
ジェロニモの指示に従わなかったナイチは射殺されてしまい
弟の死体に駆け寄り悲しむターザ
なのに再び軍服を着て、ウナに「弟の影は去った 私の妻だ」って
オイオイ(笑)
白人とアパッチの関係って、現代でいえば悪徳政治家と
苦しい生活を強いられる庶民のようで
岩山でのジェロニモと騎兵隊の戦いには
反体制派にも共感してしまう熱いものがあったけど
結局、白人(=善人という考え)のほうが正しいというラストは
ちょっと残念だったように思います
【解説】映画.COMより
ジェラルド・ドレイソン・アダムスの原作をジョージ・ザッカーマンが脚色、「悲しみは空の彼方に」のダグラス・サークが監督したアパッチ・インディアンが主人公の西部劇。撮影監督はラッセル・メッティ、音楽は「裏街(1941)」のフランク・スキナー。出演は「恋人よ帰れ」のロック・ハドソン、「逢うときはいつも他人」のバーバラ・ラッシュ、それにグレッグ・パーマーなど。製作はロス・ハンター。テクニカラー、スタンダードサイズ。1954年作品。