太陽の中の対決(1967)

f:id:burizitto:20201220222304j:plain

原題はHombre(スペイン語で男)

 

西部劇ではよくあるネイティブアメリカンに育てられた白人の話なのですが

マーティン・リットの人種差別に対する怒りや

裕福な白人アメリカンへの反骨心が垣間見えるポストウエスタン

高低差と奥行きを活かした演出も逸品

    カメラはジェームズ・ウォン・ハウ

f:id:burizitto:20201220222336j:plain
ネイティブ・アメリカンは白人を殺しても

子どもは”神からの授かり者”という概念があるため

子どもは殺さず連れ帰り、自分たちで育てるそうです

f:id:burizitto:20201220222352j:plain
1880年代のアリゾナ

幼い頃アパッチに育てられたジョン・ラッセルポール・ニューマン)は

死んだ養父が遺産として下宿屋を残したと

昔からの知り合いで(鉄道が開通したため廃業となった)

駅馬車の御者ヘンリー・メンデスから知らされます

f:id:burizitto:20201220222415j:plain
居留地管理人のフェイバー教授と夫人が南に向かうため

メンデスから駅馬車を買い取り

f:id:burizitto:20201220222434j:plain
ラッセルは下宿屋を処分しコンテンションという町で馬の群れを買うため

仕事も保安官の恋人も失ったジェシーは新天地でやりなおすため

何かを変えたい(メンデスの助手)ビリーの新婚の妻ドリス

若い兵隊から切符を奪った見るからに問題を起こすとわかる(笑)

グライムスが同じ馬車に乗り合わせます

f:id:burizitto:20201220222502j:plain
案の定グライムスは強盗の一味で馬車はグライムスを含む5人に襲われます

強盗達は居留地から横領したフェイバー教授の大金と

飲み水を狙っていました

ラッセルは3人を撃ち殺し大金を取り戻しますが

フェイバー夫人を人質にしたグライムスと

仲間のメキシコ人は逃げてしまいます

f:id:burizitto:20201220222528j:plain
何が起きてもラッセルとほかの乗客との埋まらない距離感

まるで感情がないかのような無表情

やがて白人たちの身勝手さと偽善者ぶりが露見していくと

彼の冷たい表情の中にある、怒りや悲しみに共感していく

f:id:burizitto:20201220222548j:plain
廃坑に小屋にたどり着いたとき、仲間を裏切り大金を持って逃げようとした

フェイバーにジェシーは水を与えます

「白人は助けあうものだ」と一見反省したかのように思われましたが

金と交換を条件ににグライムスに日干しにされてる夫人をあっさり見捨てる

f:id:burizitto:20201220222626j:plain
ジェシーは金を持ってフェイバー夫人を助けに行くと言い張り

ビリーに援護を頼み、渋々フェイバー夫人を救いに行くラッセ

その夫人がビリーが狙う敵の前に立ちはだかる

f:id:burizitto:20201220222646p:plain
炎天下で歩けなくなるまで大声で叫びまくって、このバカ女が!

でもここまでやるバーバラ・ラッシュに女優魂は感じた(笑)

f:id:burizitto:20201220222707j:plain
ラッセルとグライムスと銃の達人というメキシコ人は撃ち合いになり

ラッセルとグライムスは即死

悪人の年寄りが生き延びるという理不尽なラスト

死に際メキシコ人は、メンデスにラッセルの名前を尋ねるのでした

f:id:burizitto:20201220222732j:plain
一切笑わないポール・ニューマンを見れるのは希少だけど

この類の西部劇に、ポール・ニューマンはいい男過ぎだな(笑)

f:id:burizitto:20201220222747j:plain
エルモア・レナードらしいカタルシスなしのハードボイルド で

タランティーノが影響を受けた1作というのもよくわかりました

 

 

 

【解説】映画.comより

エルモア・レナードの小説『オンブレ』を、「ハッド」のアーヴィング・ラヴェッチとハリエット・フランク・ジュニアが脚色、同じく「ハッド」のマーティン・リットが監督した西部劇。撮影も「ハッド」のジェームズ・ウォン・ホウ、音楽は「南極ピンク作戦」のデイヴィッド・ローズが担当した。出演は「引き裂かれたカーテン」のポール・ニューマン、「アルトナ」のフレドリック・マーチ、「リオ・コンチョス」のリチャード・ブーン、「華麗なる激情」のダイアン・シレントほか。製作は監督のマーティン・リットと、脚色のアーヴィング・ラヴェッチ。