バルタザールどこへ行く(1964)



原題は「Auhasard Balthazar」(たとえばバルタザールの場合

ドストエフスキーの「白痴からインスピレーションを受けたということ

「全くわからん、つまらん」と言わしめさせ
後にこの主演女優と結婚するゴダールからは
「一時間半の世界と絶賛」と称えられ
賛否両論別れる

私の場合は、難解なほど惹かれるタイプ(笑)
男と女が理解し合えない理由と同じ
宗教もしかり、悲惨だけど美しいカトリシズム



ピレネー有力者で農場の息子ジャックと教師の娘マリーは
ある日一匹ロバを拾って来て、バルタザールと名付け可愛がります
それはジャックにも、マリーにも、バルタザールにも
人生で一番幸せなひと時でした

しかし休暇は終わり、農場主とジャックは農場を去り
バルタザールは売られ、次の飼い主から虐待されます

しかしバルタザールは恐ろしく強情で、どんなに脅されても動きません
そのために、ますます酷い扱いを受けてしまう



逆に優しさには、優しさで返します
過酷な労働から隙を見て逃げたバルタザールは、マリーの農場に戻り
マリーはそんなバルタザールを愛します

そのために、村の人々からは変な噂まで囁かれてしまう

マリーに恋するパン屋の息子で、不良のリーダー格のジェラールは
そんなバルタザールに嫉妬し、残酷な仕打ちを加えるようになる



そこに、マリーの父親と牧場主との訴訟問題がもち上り
訴訟はこじれ、バルタザールはジェラール家へ譲渡されてしまうのです

バルタザールのしっぽに火をつけるとか
本当にジェラールは頭が悪くて、いやな男

しかも、バルタザールを案じてやってきたマリーは
抵抗できず、ジェラールと肉体関係を結んでしまいます
そしてそのまま、ジェラールの不良仲間になってしまうマリー
それをただ、じっと見つめるバルタザール



それからは、サーカスで見世物にされ、浮浪者に暴行され
バルタザールの数奇な運命は続き、人間の心の汚さを知りすぎてしまう

一方、苦しむことでしか自尊心を保てないマリーの父親は
自らが望むように、訴訟に敗れてしまいます
それでも幼馴染のジャックは、お互いの父親の問題を解決しよう
変わらぬ愛をマリーに伝え、求婚



ジャックの深い愛に、ついに心動かされたマリーは
ジェラールに決別することを誓います
しかしジェラールとその仲間人にから暴行され
全裸で捨てられてしまうのです

そのうえバルタザールは、ジェラールの密輸の荷物運びをさせられ
ピレネー山中で税関員に見つかり撃たれてしまう

翌朝、バルタザールは殉教者のごとく
羊の群の中で静かに息をひきとります



そしてマリーは村から消え父親は落胆のあまり死んでしま
何もできず、ただ傍観するしかないジャック

聖バルタザール神性の象徴、壮年の姿の賢者とは
イエス・キリスト誕生を祝福した東方三博士のひとり

一方のロバは、西欧においては愚鈍の象徴なのだそうです
(実際は賢く、記憶力もいいということです)



ここでは、マリーを聖母マリア
バルタザールをキリストに例えているらしいのですが

マリーは処女マリアではなく、何人もの男に犯された乙女
キリストの父親は神様でもなんでもなく、ただの頭の悪いろくでなし

キリスト教には人々を隔てる力しかない
だから世界に平和は訪れない

お金も同じ、人々を隔てる材料でしかない




ブレッソンは、何も信じれない人間だな(笑)

でも、好きか嫌いかと問われれば、好きなタイプ
私はインテリ、サディスティック、絶望に弱いから(笑)



【解説】allcinemaより
一頭のロバの話です。ピレネーの小村の教師の娘マリーは農園主の息子ジャックと共に、生まれたばかりのロバに“バルタザール”と名前をつけ可愛がります。ある日ジャックが引っ越すことに。バルタザールもどこかへ行ってしまいます。それから10年。鍛冶屋の労役に使われていたバルタザールが苦しさに耐えかね逃げ込んだ所は、美しく成長したマリーのいる、今は彼女の父が管理しているジャック家の農園でした。マリーが喜んであちこち“彼”に馬車を引かせ出かけるのを見て、彼女に思慕を寄せる不良のジェラールは嫉妬し、バルタザールを痛めつけ、実家のパン屋の配送の仕事にこき使います。折しも、パリで教育を受けていたジャックが里帰りし、初恋の相手マリーに改めて惚れ直し、結婚を口に上らせるのを彼女は拒みます。ジェラールたち不良グループが構い続ける浮浪者はバルタザールに親近感を覚えますが、いつしか、彼と悪ガキたちの争いの犠牲となって怪我を負った“彼”はさ迷った挙句に道端で野たれ死んでしまうのです。その瞳に映る憂い……。日常の中でそれほど憤りを促すこともなく起きてしまう人間の罪科に厳しい眼差しを注ぐブレッソンのストイシズムの顕現がこのロバ君だと言えそうです。トリュフォー曰く、“この映画は美しい。そう、私にとってただ美しいのみである……”。