ぼくの伯父さん(1958)

原題も「Mon Oncle」(私の叔父)

オープニングクレジットから飛び切りお洒落

なんという映像センスの素晴らしさ

音楽の使い方も上手いし

(主題歌は世界各国で訳詞されて歌われ、ヒットしたそうです)

雑音まで独特のリズムを刻み心地よい

次に残飯を漁る野良犬たち

その中になぜか場違いなお洋服を着たワンコ

お洋服ワンコがお屋敷に戻ると、野良たちが羨ましそうに眺める

この短いワンカットだけで、何を物語たいかがわかる

こんな傑作を今まで見ていなかったなんて!

ジャック・タチフランスのチャップリンと謳われているだけあって

ハイテクや格差社会を風刺しているんですね

来客の時だけ水を出す魚のオブジェの噴水

自動でステーキをひっくり返すキッチン

センサーで開け閉めする駐車場のドア

生活が便利になるほど、自動化が進むほど

実は生きることが不便になっていくという皮肉

子どもたちの描き方は小津作品的でもあります

主人公のムッシュ・ユロは「男はつらいよ」の

寅さんといったらわかりやすいかも

結婚もせず、定職にも就かず、妹夫婦に援助してもらっている

会社経営している義兄のムッシュ・アーペルが仕事を紹介しても失敗ばかり

お隣のちょっと変人のご婦人と(民族衣装で煙草の煙を大量に吐く)

お見合いさせても上手くいかない

でも甥っ子のジェラールはユロ叔父さんが大好き

無口で優しいユロ叔父さんは、子どもたちの悪戯を叱ることもありません

ムッシュ・アーペルのホース工場で働くことになったユロ叔父さん

しかし仕事中居眠りをしてしまい、赤いホースがソーセージの形に!

でも従業員も皆優しいんですね

ユロの叔父さんの失敗作を川に投げ捨て隠すことにします(笑)

しかし赤いホースの束が血まみれの死体と間違われ通報

ムッシュ・アーペルにバレてしまいます

ムッシュ・アーペルはユロ叔父さんを地方に飛ばすことにします

ユロ叔父さんは反論することもなく

住み慣れたアパートを去ることにしました

駅までユロ叔父さんを見送ると

それまで叔父さんに懐いていたはずの甥っ子が

車の影に隠れ父親と固い握手をする

冒頭のお洋服ワンコと同じ

いくら貧乏人と仲良くしても、一緒にいるのが楽しくても

所詮(下級国民とは)住む世界が違う

こんなガキまで厭味ったらしい

なんて意地悪(笑)

でもラスト、再び自由に走り出すワンコたちの姿に

結局ユロ叔父さんは戻ってくる予感(笑)

ユロ叔父さんは知っている

人生の美しさや楽しみは、お金で買えないし

そんな人が大金を持っても失敗することを

皮肉なことに、本作のヒットで大金を得たジャック・タチ

次作「プレイタイム」でこだわりすぎたせいで、破産に追い込まれ

その失敗は生涯タチにまとわりついたそうです

 

 

【解説】allcinema より

タチの永遠のキャラクター“ユロ氏”を本邦に初紹介し、その独創性は他に類を見ない(あえて言えば、チャップリンとその模倣であるルネ・クレールの作品世界と相通じるのだが、にしても、どこか一皮むけている)、ただ“喜劇”と呼んでしまうのもためらわれる、フィルムによる軽快なシャンソンの趣きの映画。四コマ漫画集を映画で見ているのに近い感覚と言ってもいいかも知れない。プラスティック工場(フル・オートメ化されており、当然のごとく「モダン・タイムス」=「自由を我等に」的描写がある)のオーナー社長(J=P・ゾラ)の超モダンな邸宅をその息子(A・ベクール)は全く気に入っておらず、度々、父の兄である伯父さんの住む下町のアパルトマンを訪ねる(この建物の場面の演出も思い切り良く、断面図の構造の中のユロ氏の動きを軽妙に見せるのだ)。両親は息子を取られたようで面白くなく、独身の伯父さんに嫁を押しつけるべくパーティを催すが、これを無意識に彼がぶち壊しにしてしまうのは言わずもがな。社長は兄に社会性を備えさせようと自分の工場に雇うが、ここでも失敗ばかりの彼は奇妙なプラスティック製のパイプを大量生産してしまう。呆れた社長はこの暢気な兄貴を地方支店に転任させることにしたが、これにも飄然と応じて伯父さんは懐かしの町を去って行くのだった……。犬の使い方など見事なもので、ふんわりと詩情の漂う、タチの人生讃歌。カンヌ審査員特別賞、アカデミー外国語映画賞を受賞