籠の中の乙女(2009)

原題は「Κυνόδοντας(犬歯=牙)

常に「性」と「暴力」というのが

ヨルゴス・ランティモスの作品テーマだと思うのですが

これは「哀れなるものたち」より、さらに”哀れなるものたち”の物語でした(笑)

プロパガンダ」を「家庭」という小さな世界に置き換えた傑作

その方法とは、子どもたちを「犬」のようにしつけること

(そういえばプーチンも犬好きで有名)

ただ犬が飼い主に似ることを忘れている

愛情を持って正しく育てれば誠実に

暴力をもって育てれば暴力的に、あるいは無気力になる可能性だってあるのです

「子どもたちを外の世界の汚らわしい影響から守るため」という名目で

3人の兄妹3人とも成人していて名前はない)

家の中に閉じ込めて教育してきた両親

テレビで見るのはホームビデオ

ラジオから流れるのは母親自作のカセットテープ

「電話とは塩入れのこと」「海とは革張りのソファーのこと」

「高速道路とは強い風のこと」 と延々とデタラメを聞かされています

さらに外の世界は恐ろしいと洗脳させるため

彼らにはもうひとり兄がいて、兄は家を出たせいで猫に食べられたと教えられます

猫は最も危険な動物で、外には車でしか出られないと(サファリパークか 笑)

さらに子どもが外出できるようになるのは、左右の犬歯が抜けたとき

犬歯が生え変わった場合に限り、車も運転できるようになるといいます

(もちろん永久歯だから生え変わることはない)

それでも父親は、長男の性欲を解消させるため

クリスティーナという、父親の経営する工場の警備員の女性に

お金を渡し長男の相手をするよう連れてきます

長女と次女はクリスティーナに興味深々

長男とのセックスに満足できなかったクリスティーナは

世間知らずの姉妹をからかうように刺激を与え

特に好奇心旺盛な長女に性的な関係を求め、代わりに映画のビデオを与えます

映画を見て今まで知らなかった外の世界に憧れるようになる長女

ビデオの存在を知った父親は長女を折檻するとクリスティーナの家に行き

彼女をビデオデッキで死ぬほど殴りクビにします

だけど長女の好奇心は抑えられない

庭に迷い込んできた「恐ろしい」子猫を無残に殺してしまった長男に

(家族は時々犬になったつもりで猫を追いはらう練習をしている)

父親の話とは違い猫(外の世界)が怖くないことを知る

それでもまだ「犬歯が抜けたら外に出られる」ことを信じている長女は

自らハンマーで犬歯を折ると、父親の車のトランクに忍び込みます

その夜家族はワンワンと犬のふりをして長女を探しますが見つからない

翌朝父親は工場に向かうため、車を走らせたのでした

母親(どう見ても子どもを産める年齢ではない)が

「次は双子が欲しい」と言ったり

父親が「今度、お母さんは双子と犬を産みます」 と宣言するところをみると

この兄妹も実の子ではなく、どこからか連れ去られて来た子(拉致)

というニュアンスが感じられますし

ここまで性的な描写

(かってのギリシアでの軍事独裁政権下において)外的な娯楽が

なにひとつなくなった時

人間に残るのは「性」と「暴力」という風にも受け止められます

人間に最も必要なのは、自分で良し悪しを判断する能力であって

情報操作されることではない

それは民主主義の先進国においても「旨すぎる話」には

騙されてはいけないという教訓でしょうか

 

 

【解説】allcinema より

第62回カンヌ国際映画祭“ある視点部門”でグランプリを獲得し、第83回アカデミー賞ではみごと外国語映画賞にノミネートされるなど世界中でセンセーションを巻き起こしたギリシャ発の不条理家族ドラマ。子どもたちを汚れや危険から守るべく歪んだ妄執に取り憑かれた父親によって、子どもたちが外界から完全に隔離された特殊な環境下で育てられている奇妙な家族の肖像とその崩壊を、過激な性描写を織り交ぜつつシュールなタッチで綴る。監督は本作で一躍世界的に注目を集めたギリシャの新鋭ヨルゴス・ランティモス
 ギリシャ郊外でプール付きの豪邸に暮らすとある裕福な家庭。3人の子どもたちは両親に大切に育てられ、生まれてから一度も外の世界に出たことがなかった。それは、世の中の汚らわしきものの影響から守るため。両親は外の世界がいかに恐ろしいかを様々な形で信じ込ませ、従順な子どもたちも清潔で安全な家の中で不満を感じることなくすくすくと成長していった。やがて年頃となった長男の性欲を処理するため、父親は金で雇った女性をあてがうことに。しかし外の世界からやって来た女性の出現に長女の好奇心が刺激され、両親が懸命に守ってきた無菌環境にはいつしか小さな綻びが生じはじめる。