女は二度決断する(2017)

 
ラストにドカンと衝撃がくる映画
まだご覧になってない方は
ネタバレは知らないでいたほうが正解です


ドイツにおけるNSU(国家社会主義地下組織)が起こすテロの現状

ヨーロッパではテロ、移民問題が私たちが思う以上に
身近で深刻な問題だということがわかります
 
 
ただドイツの裁判制度は日本と似ているような気がします
被害者よりも加害者の人権が優先され
そのことがさらに被害者の心を苦しめていくのです
被害者家族が、さらなる被害者にされてしまう


そして異民族を排斥することが正義という

ナチスの思想が今も存在しているのです
これと同じような差別も、日本人の中に感じるときがあります
 
 
ドイツ、ハンブルク
カティヤダイアン・クルーガー)はやさしい夫ヌーリと
6歳になる愛する息子と幸せな日々を過ごしていました
の仕事場に息子を預け、親友とサウナを楽しみに行ったある日
息子を迎えに戻ってみたら、事務所は爆破されていました
夫と息子のふたりは帰らぬ人となってしまったのです


激しい悲しみに打ちひしがれるカティヤ


その時カティヤは息子を預けた時
事務所の前に自転車を置き立ち去った
女のことを鮮明に覚えていました
そして自転車の荷台には怪しい箱
 
 
しかし警察はヌーリに前科があることと
通訳の仕事での犯罪組織とのつながり
年収に見合わない豪邸
まるでヌーリが犯罪者のような扱い
さらにカティヤが悲しみを紛らわすために手を出してしまった麻薬が
家宅捜査で見つかってしまいます


あまりの絶望にカティヤは自殺を図ります

そのとき警察から容疑者夫婦が逮捕されたという連絡が入りました
犯人はネオナチで、トルコからの移民であるヌーリは狙われたのです

 

そして裁判がはじまります
しかし夫婦は推定無罪になってしまうのです
 
 
 
ダイアン・クルーガーの凄まじい落ち込みと
泣き演技は素晴らしいです
 
こういう状況では家族や友人の励ましも届かないし
子どもを失った母親にとっては、妊婦の姿も
無垢な赤ちゃんの泣き声でさえも、悲しく残酷にしか響かないのです

そして事件から
ずっと止まっていた生理が来た
自分はまだ生きていて、結婚もできるし
子どももまた作れる
 
だけど彼女には未来を感じることが出来ませんでした
法廷で上告をする気力ももはやありませんでした
 
生理がこない、これがもし妊娠だったら?
カティヤにも生きなければならない、希望があったかも知れない
若い夫婦にも、小鳥のような命が芽生えたのかもかも知れない
だから一度目の決断は断念した
 
だけどそうではなかった
カティヤは二度目の決断をします
 
この映画を見て誰もが感じるのは
もし、無差別テロに家族が殺されたら自分ならどうするか?

コンサートに行ったとき、スーパーで買い物しているとき
いきなり爆発物が爆発するかもしれない
暴走車が歩道を歩く人々をなぎ倒していくかもしれない
こういう事件にまきこまれることは、誰にでも可能性のあることで
他人事ではないのです

しかし犯人は法律によって守られている
復讐したいという気持ちにならないと言い切れるでしょうか
私もやっぱり許せない、ヒロインと同じく命など惜しくない
生きていけない
 
 
ファティ・アキン監督は実際にトルコ系であり
同時にドイツ国籍をもつドイツ国民だそうです
監督自身が幼い頃からうけた差別体験も活かされているだけあって
実にリアルな作品に仕上がっています


「憎悪が憎悪を生む連鎖」

テロがなくなるのは難しいというより
不可能なんだ、と突きつけられます

それでもやはりテロのない世界を
人類は築き上げていく努力をしていかなければならないのでしょう
 


 


 
【解説】シネマトゥディより
そして、私たちは愛に帰る』などのファティ・アキン監督と『戦場のアリア』などのダイアン・クルーガーが組んだ人間ドラマ。突然愛する夫と息子を失った主人公の苦難の日々を映し出す。『顔のないヒトラーたち』などのヨハネス・クリシュや『白いリボン』などのウルリッヒ・トゥクールらが共演。ダイアンは本作で、第70回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。