ベルリン・天使の詩(1987)

 
ペーター・ハントケの美しい詩
アンリ・アルカンの超絶的な映像
何度見ても素晴らしい作品
 
人間って足りないところばかりで
失敗して、争って
欲ばかりが深くてしょうがない生き物
 
でも、
温度を感じる事
コーヒーを飲むこと
地面を踏みしめること
 
そして誰かを愛すること
 
些細な日常の気がかりが
生きていることが
本当は素晴らしいことなのだと
気づかせてくれるのです
 
平凡の中にこそ
小さな幸せがある
 
ビーター・フォークが和ませてくれました
まさか彼も天使だったとは!(笑)
全体を芸術的にだけに終わらせず
コロンボの軽妙さが親しみやすいアクセントになっています
 
最後に安二郎の名前が出てきたのも
嬉しかったですね
 
これは、人間への賛歌
 
お気に入りです
 

 
【解説】allcinemaより
パリ、テキサス」以来、本国ドイツに10年ぶりに戻っての新作は、永年親しんだリルケの詩に触発された、天使が主役の都市のメルヘン。それまで彼が隠し持っていたロマンチシズムが一気に開花した美しい映画だ。天使の視点からであればあまねく事象を見つめ得るという着想が、H・アルカンの驚くべきカメラの達成によって、見事に具現化している。天使ダミエル(ガンツ)の耳には、様々な人々の心の呟きが飛び込んでくる。フラリと下界に降りて世界をめぐる彼は、永遠の霊であることに嫌気がさし、人間になりたいと親友の天使カシエル(ザンダー)に告白する。彼らを見ることができるのは子供たちだけ。大勢のその声に誘われてサーカス小屋に迷い込んだダミエルは、空中ブランコを練習中のマリオン(S・ドマルマン)を見そめる。彼女の“愛したい”という呟きにどぎまぎするダミエル……。一方でカシエルが見守るのは不幸な記憶や現実にあえぐ人々。ユダヤの星、爆撃、諍いあう男女……荒んだイメージが自殺を試みる彼の瞳に映える。マリオン一座も今宵の公演を最後に解散を決めた。ライブ・ハウスで踊る彼女にそっと触れるダミエル。人間に恋すると天使は死ぬのに……。そこへ、撮影のためベルリンを訪れていたP・フォーク(本人役で出演)が、見えない彼にしきりに語りかける。彼もかつては天使だったのだ……。この醜い人間界も超越的な存在にはかえって、色彩と喜びに充ちた世界に見えるのかも知れない。愛の可能性を謳いあげた、優しく力強い作品だ。93年には続編「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」が生まれる。
 

原詩  ペーター・ハントケ
 
子供は子供だった頃
腕をブラブラさせ
小川は川になれ 川は河になれ
水たまりは海になれ と思った
子供は子供だった頃
自分が子供とは知らず
すべてに魂があり 魂はひとつと思った
子供は子供だった頃
なにも考えず 癖もなにもなく
あぐらをかいたり とびはねたり
小さな頭に 大きなつむじ
カメラを向けても 知らぬ顔
 
 
子供は子供だった頃
いつも不思議だった
なぜ 僕は僕で 君でない?
なぜ 僕はここにいて そこにいない?
時の始まりは いつ?
宇宙の果ては どこ?
この世で生きるのは ただの夢
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻
悪があるって ほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
いったい僕は 何になる?
 
 
子供は子供だった頃
ほうれん草や豆やライスが苦手だった
カリフラワーも
今は平気で食べる
どんどん食べる
子供は子供だった頃
一度は他所(よそ)の家で目覚めた
今は いつもだ
昔は沢山の人が美しく見えた
今はそう見えたら僥倖
昔は はっきりと
天国が見えた
今はぼんやりと予感するだけ
昔は虚無におびえる
子供は子供だった頃
遊びに熱中した
あの熱中は今は
自分の仕事に 追われる時だけ
 
 
子供は子供だった頃
リンゴとパンを 食べてればよかった
今だってそうだ
子供は子供だった頃
ブルーベリーが いっぱい降ってきた
今だってそう
胡桃を食べて 舌を荒らした
それも今も同じ
山に登る度に もっと高い山に憧れ
町に行く度に もっと大きな町に憧れた
今だってそうだ
木に登り サクランボを摘んで
得意になったのも 今も同じ
やたらと人見知りをした
今も人見知り
初雪が待ち遠しかった
今だってそう
子供は子供だった頃
樹をめがけて 槍投げをした
ささった槍は 今も揺れてる