黒い雨(1989)




井伏鱒二氏による高名な小説「黒い雨」と
同氏の短編「遥拝隊長」のふたつの物語をもとにしたモノクロ作品。

原爆投下直後の広島の光景はまるで地獄絵図のようでした。
黒こげで横たわる大量の死体。
皮膚が焼けただれぶらさがっている被爆者。
目と鼻と口の位置がバラバラな顔。

あまりの負傷に痛みさえ感じなくなってしまったのでしょうか。
それとも叫ぶ気力さえもう残っていないのでしょうか。
もう動けない者。
ただ彷徨うだけの者。

原爆の破壊力、恐怖。
この作品が描いたのはそれだけではありません。
戦争が終わってもなお、被爆した人間に対する長年にわたる偏見。

ヒロインの矢須子は気立てのいいやさしい娘でした。
しかし原爆が炸裂した際に発生した「黒い雨」にうたれたことを知られ
年頃になっても縁談がまとまることはありませんでした。

そんな姪をなんとか幸せにしてやりたいと願う叔父夫婦。
しかし終戦から歳月を経て、ひとり、またひとりと
二次的な被爆をうけた者が放射線障害を発症していきます。

矢須子もまた体調を崩し、髪の毛が抜け落ちます。
ただその運命を受け止める。

あの日、ヒロシマにいただけ。
なぜ、原爆が投下されたのは広島だったんだろう?
他の都市ではなくて。

この作品、戦争を否定も肯定もしていないように感じます。
戦争がもたらす悲惨と悲劇を、伝えているのだと思います。
たとえ戦争が終わっても、戦争が残した傷跡は決して消えない。
心の傷・・

名匠、今村昌平監督が映画化したことに
大きな意味があるでしょう。

世界中の人が見ることができるから。







【解説】allcinemaより
 井伏鱒二の同名小説を「楢山節考」の今村昌平監督が映画化。原爆による“黒い雨”を浴びたたために人生を狂わされた一人の若い女性とそれを温かく見守る叔父夫婦のふれあい、そして被爆後遺症に苦しむ人々の姿を静かに淡々と描いていく。1945年8月6日、広島に原爆が投下される。その時、郊外の疎開先にいた矢須子は直後に降ってきた真っ黒な雨を浴びてしまう。5年後、叔父夫婦に引き取られた矢須子のもとへは縁談の話が持ち込まれるが、“ピカに遭った女”という噂からいつも破談になってしまう。叔父は矢須子が直接ピカに遭っていないことを証明しようと必死になるのだが……。