ゴダールの決別(1993)

原題は「Hélas pour moi」(私のために、ああ)

神ゼウスと人妻が浮気する「ゼウスとアルクメネの神話」をゴダール的に解釈し

キリスト教(信仰)と現代社会の諸課題と交えたソニマージュ

(SON(音)とIMAGE(映像)を合わせた造語で、ゴダールによる「映画」の換言)

イタリアの思索する詩人ジャコモ・レオパルディの哲学的散文

「オペレッテ・モラーリ」(1824)から着想を得て

ドイツの文芸評論家で哲学者ヴァルター・ベンヤミンの言葉の引用や

ドラクロワとグスタフクリムトへの言及

レマン湖畔の絶景を舞台に流れる、バッハやチャイコフスキー

(演奏はキース・ジャレット、キム・カシュカシャンなど)

自分で書いていても、わけがわからないですが(笑)

実はプロットは単純なもの

問題は映画全体に散らばっている、文学、哲学、神話、詩、絵画、音楽、映画

・・・の多すぎる参照と引用、文学的複雑で曖昧な表現で

見る人を寄せ付けようとしないだけ(笑)

「ゼウスとアルクメネの神話」とは

ケーネ王エレクトリュオンの娘、アルクメネは

殺された兄弟の仇を討つことを条件に従兄弟のアンフィトリオンと結婚しますが

アンフィトリオンが復讐(戦争)に出ている間に

夫の姿に化けたゼウスと初夜を迎えてしまいます

それを知ったアンフィトリオンは、アルクメネを殺そうとしますが

ゼウスに妨げられ、ゼウスの子(後の英雄ヘラクレス)を産むというもの

1989年スイスの田舎町の湖畔

機械工場を営み、ホテルの購入する準備をするため出張に出かけた

シモン(ジェラール・ドパルデュー)が突然帰って来て

妻のラシェル(ロランス・マスリア)に

「私はおまえの愛人であって、シモンの身体を借りた神である」と告白します

(ゼウスはキリスト教の神になっている)

神は人間の感覚や感情の美しさに嫉妬を感じるようになり

女性に愛されることがどのようなものかを知るために

地球にやって来たといいます

ラシェルは戸惑いながらも、シモンと同じように神を理解し愛することに勤め

ラシェルと交わった神は愛される喜びを知るのでした

ジャーナリストのアブラン・クリムトはその素晴らしい物語が

真実かどうか、どのように発展したかを町の人々に取材に来ていました

女子大生のオード・アミエルは、神がラシェルを選んだ理由を

「彼女が夫に忠実な女性だったから」と答えたと教えてくれます

冒頭、クリムトのナレーションでは

彼の曽祖父が困難な使命を与えられたとき

森に行き、火をつけ、神に祈ると願いは叶い、仕事を果たすことができ

彼の祖父も、森に行き、火をつけ、神に祈ると願いが叶った

クリムトの父は火をつけたり、祈る方法も知りませんでしたが

森の場所は知っていたので、願いが叶います

しかしクリムトはもはや場所も、火をつける方法もわからず

祈ることしかできません

それでも彼は自分の仕事を遂行しなければならないと語ります

これは現代人が神聖な場所から離れ、古代人の知識を失い

もはや精神(神)の世界と繋がる方法を覚えていないことを示しています

ずっと前の時代の幻想的で素晴らしい物語は失われてしまった

(映画もそうである、ことを現わしていると思う)

シモンの身体を借りた神が書類にサインしています

「Simon Donnadieu」(シモン・ドナデュー)

Si m'on donne à Dieu=もしわが身を神に捧げるなら(の意)

神に身体を捧たシモンは、すでに死んでいる?

ラスト、男たちが石を投げている

「石を投げなさい」(石打ち)とは

キリスト教の格言で、イエスの言う処刑のこと

「ただし石を投げるのは、自らも石を投げられる覚悟のある者だけ」

クリムトは全ての真実を知ることが出来ないまま

町を去って行くのでした



【解説】映画.COMより

フランスの名匠ジャン=リュック・ゴダールが人気俳優ジェラール・ドパルデューを主演に迎え、ギリシャ神話のゼウス神が人間の肉体を借りて人妻と関係を結んだというエピソードに着想を得て撮りあげたドラマ。
スイス、レマン湖のほとりの小さな町で暮らす平凡な夫婦シモンとラシェル。ある晩、ラシェルは帰宅した夫がまるで別人のようだと感じる。シモンはラシェルに、自分はシモンの身体に乗り移った神であると告げ、天地創造の秘密を語りはじめる。
共演は「愛の昼下がり」のベルナール・ベルレー、「フランスの女」のローランス・マスリア。

1993年製作/84分/フラン・ススイス合作
原題:Helas pour moi
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
日本初公開:1994年9月3日