欲望の翼(1990)

「じゃあ一緒に不幸になればいい」

原題は「阿飛正傳」(チンピラの伝記)



初メガホンの「いますぐ抱きしめたい」(1988)で

カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)にノミネートされ

世界に名を知らしめたウォン・カーウァイ2作目の監督にして

蘇麗珍(スー・リーチェン=ヒロインの名前)3部作」の1作目

2作目は「花様年華」(2000)3作目は「2046」(2004)で

60年代シリーズとも呼ばれています

とにかく最初からin the mood for

サッカー競技場の売店に男がコーラを買いに来る

男は店番の女に「名前は?」と聞く

「教えたくないわ」と答える女



それから毎日男は来る

196041631分前、君は僕といた

「この1分を忘れない」

「君とは“1分の友達”だ」

「今夜、夢で会おう」

流れる曲はロス・インディオス・タバハラスの「Always in my heart

♪~I don't know the meaning of life

人生の意味はわからないけど
But I know what's truly precious

何が本当に大切かはわかる

The way  it leads me to be in love

それが私を恋へと導く

No fear I can find me always in my heart

心配しないで 自分を見失いはしないから・・~

男、ヨディ(レスリー・チャン)が 女、スー(マギー・チャン)に語るのは

テネシー・ウィリアムスの「地獄のオルフェウス」の一片

 

脚のない鳥がいるらしい

脚のない鳥は飛び続け、疲れたら風の中で眠

生涯でただ一度地面に降りる時、それが最期の時

スーはルームメイトの従妹が結婚するので

アパートをでなければならないという

ヨディに一緒に暮らせないかともちかけると

ヨディは同居はいいけど結婚する気はないと答えます

将来のない関係に別れを決意するスー

だけど、いつの間にか彼の虜になっていたのです

レスリー・チャンマギー・チャン、カリーナ・ラウ

トニー・レオンアンディ・ラウジャッキー・チュン

という6人のトップスターを起用したキャスティング

 

そして今までの映画界とは一線を画す

クリストファー・ドイルの浮遊感ある美しい映像

ノローグを多用した、時系列に沿わないストーリー

印象的な音楽(サントラがないというのが残念)

香港恋愛映画の新しい風

スーと別れたヨディは、母親(育ての母)の経営するクラブのダンサー

ミミ(カリーナ・ラウ)を強引に誘い一夜を過ごします

クラブの従業員?で母親のヒモが

母親を泥酔させ、母親のダイヤのイヤリングを盗み

そのイヤリングをミミが盗もうとしたのがきっかけ

やがてミミも肉体関係だけのヨディに本気になってしまいます

だけどヨディはうわの空

ヨディには産みの親を知りたいという願望がありました

セックスはその不満を埋めるだけのものかも知れません

ミミに横恋慕するのはヨディの親友サブ(ジャッキー・チュン)

階段でひと目で会ったとたんミミに恋をしてしまいます

ヨディのことが忘れられず、夜ごと彼のアパートの前に足を向けるスー

「荷物を取りに来ただけ」

「今でも好きよ」

「俺は君に相応しい男じゃない」

別の部屋で密かに立ち聞きしているミミ

夜間パトロールの警官タイド(アンディ・ラウ)

スーの話を聞き、彼女に想いを寄せるようになります

「話し相手が必要ならまた来いよ」

「公衆電話で読んでくれ この時間はここにいる」

だけど公衆電話のベルが鳴ることはなく、介護していた母親は死に

夢だった船乗りになり旅立ちます

ヨディは突然姿を消し母親のいるフィリピンにいました

だけど母は会ってはくれませんでした

母の視線を背中に感じつつ邸宅を後にするヨディ

泥酔しフィリピンの路上で倒れ、所持金も全て盗まれてしまう

ヨディを助け介抱したのは

次の出航までフィリピンに宿泊していた元警官のタイドでした
酔いの醒めたヨディがタイドを連れ食堂で朝食を取っていると

ヨディは別室に行き密売グループから偽造パスポートを

受け取ろうとしますが「金はない」

ヨディは密売者を刺し、乱闘になってしまいます

倒れた密売者のひとりから拳銃を奪ったタイドは

密売グループを倒し、ヨディと列車に乗り込み逃走するのでした

犯罪に巻き込まれてしまったタイドはヨディを怒ります

「知ってるさ 女には受ける話だろうよ」

「足のない鳥のつもりか? おまえなんかただのゴミさ」

「なにが鳥だよ 鳥ならどっかへ飛んで行けよ 行けよ早く」

そしてタイドが次の駅までの時間を車掌に訪ねに行っている間

追っ手に見つかったヨディは、腹に二発打ち込まれてしまいます
タイドが席に戻ると、死ぬ間際ヨディは語りました
「最後に見るものが何か知りたい だから目は閉じない」

「死ぬとき何が見たい? 長い人生でまだ見ていないものが山ほどある」

「お前は? 考えとけよ 人生は短い」

欲望の翼とは、足の無い鳥のこと

飛ぶことはできるけど、着地はできない

楽園(母親)に足を着けようと思ったが最期、死んでしまった

皮肉なことにレスリー・チャンもこの世にはいない

彼も高いところから着地せず死んでしまった

 

やって来たミミ、走り去る列車

誰もいない夜の公衆電話で鳴り響くベルの音

ミミはヨディの車を売ったお金でサブとやり直せばいい

タイドは次の休暇にはスーの働くサッカー競技場に

チケットを買いにいけばいい

だけどそうしないのが人生

男と女の出会いの順番ほど、重要なものはない

ラスト、謎の男(トニー・レオン)が

(香港着の客船の部屋と思われる場所で)身支度をしている

彼は何処から来て、何処に行くのか

そして誰と会うのか

正直ストーリーそのものは、かなり粗いのですけど(笑)

そんなことどうでもいいくらい、不思議な魅力を湛(たた)ている
そしてなにより主人公レスリー・チャン本人と重なることが

(母が事業に忙しく乳母に育てられている)

この作品を神格化させたのではないかと思います

 

 

【解説】allcinema より

そのスノッブさが、多くの香港映画から得られる直截なイメージから隔たっているという理由で、不当な批判も被っているウォン・カーウァイ王家衛)の大胆な青春映画である。先の批評を下す人は、香港人をみなサモ・ハンやユンファのステロタイプに閉じ込めて事足れりとしているとしか思えない。香港にもアメリカかぶれがいて、B級ノワールグルーミーな雰囲気を愛し、それを60年代初頭を舞台にした青春群像に応用しようとして何が悪いのか? この作品は余りにも俗物的であるがゆえ、香港映画を観る際の新たな視点の要求に向けて革命的なインパクトをもたらした。6人の主要登場人物それぞれの視点が混在し、物語よりも感情の絡み合いと離反を描くことに主眼を置いた幻惑的な文体は、ギリギリの所で劇的に機能するのにも驚く。ヨデイは養母レベッカに育てられ、自己の複雑な内面を持て余す青年、自分を足のない鳥にたとえ、飛び続ける人生を夢みる。彼は後にフィリピンを訪ねるが……。プレイボーイのヨデイに惑わされる身持ちの堅いサッカー競技場の売り子スーは警官タイドにも愛されるようになる。船乗りに憧れるタイドはやがて異国の地でヨデイと出会うだろう。ミミはレベッカの店のダンサーでヨデイに惚れぬいていたが、その親友で彼女に恋するサブにあてがわれる。そうした出来事と関係なく、最後、天井の低いアパートの一室で身支度をするギャンブラー、スマークが映し出されるが、これは結局作られていないパート2の序章なのである……。そのパラレルな時間感覚、映画のイメージを体現するペレス・ブラードのラテン曲の使用、C・ドイルの驚異的なカメラワーク……と、見どころ、聴きどころは枚挙に暇がない。