「民衆の敵とは特定の人物の事ではない
それは社会全体で解決すべき問題である」
原題は「THE PUBLIC ENEMY 」(公共の敵)
デビュー間もないジェームズ・キャグニーを有名にし
その後「ゴッド・ファーザー」(1972)に代表される
全てのギャング映画の楚となった傑作
やっと見ることができました
映画史に残る有名なシーンも多く
愛人(メイ・クラーク)の顔にグレープ・フルーツを押しつける
馬を殺しに行く
土砂降りの雨のなか、二丁拳銃で殴り込み
衝撃的で、あっけない幕切れ
若きギャングスターのはかなくも壮絶な青春
1931年製作なので、今見るとちょっと拍子抜けな部分もありますが(笑)
驚いたのは機関銃で撃たれたとき、本当にコンクリートが砕け散ったこと
数少ない銃撃戦の中で迫力が際立っていました
またサイレントからトーキーになって間もない頃の作品で
顔の表情で見せる演技が巧い、母親役のベリル・マーサがいい
表情だけで息子をどれだけ案じているかという気持ちが伝わります
アイルランド系のトム(ギャグニー)とマット(エドワード・ウッズ)は
幼い頃から悪戯ばかりしている親友で相棒
盗んだ商品をプティという地元の悪党に横流し、小遣いを貰っていました
ある日毛皮泥棒を依頼され、警察官を殺してしまいますが
プティに裏切られ逃げられてしまいます
ギャグニーの若い頃から存在感ある悪役顔(笑)
でもレオナルド・ディカプリオのような甘い美少年さも垣間見れる
やがて禁酒法の時代なり、トムとマットに暗黒街の大物
パディ(ロバート・エメット・オコナー)から声がかかります
しかし同じ悪党でもプティと違い、パディ親分は人間として優れている
たとえ若造でも分け前は平等
仲間を危険な目にあわせようとはしません
そして大金の入った若い男のすることといえば
高級車に高級なスーツ、高級そうな女
そして苦労させた母親への親孝行
(テーブルの大きなビア樽がシュール 笑)
だけど兵役を終えたばかりの兄、マイケル(ドナルド・クック)は
堅気で堅物で聖人様、血で汚れた金は受け取れないと拒否
札束をビリビリ破いて投げ捨てるのですが
早くに父親を失くし、兄のマイケルが父親代わり
トムがどんなに凶悪でも、マイケルだけにはかないません
この家族愛がラストに繋がる
トムとマットの活躍で、パディ親分のシェアは拡大しますが
親分と協力関係にあった実力者が落馬事故で死んだのをきっかけに
ギャング同士の抗争が始まってしまいました
パディ親分はトムやマットを守ろうと匿いますが
年上の女の誘惑され、トムは隠れ家を飛び出してしまいます
トムを追ったマットは、待ち伏せしていたギャングに撃たれて死んでしまう
トムは雨の中、マットの復讐をするため
ひとりでバーンズ一家に乗り込むものの瀕死の重傷を負ってしまう
しかも病院から誘拐されてしまうのです
パディ親分はトムを助けるため、自分のシマを全てバーンズ一家に譲るつもりでした
しかし帰ってきたトムはすでに惨殺されていたのです
倒れ込むようにフラフラと歩くマイケル
どんなクライマックスもワンカットで撮ってしまうという技法
無駄なカメラの動きも、無駄なシーンも、ひとつもない
パディ親分がトムに言った言葉が蘇る
「人間には ”良い” か ”悪い” の二種類しかない」
この先、マイケルはどちらの世界に進むのだろう
見るものに委ねられた深いラスト・・
嬉しそうに枕カバーを変えている母親が切ない
【解説】allcinema より
数あるギャング映画の中でも最も共感できない主人公を擁する、強烈なW・ウェルマン監督作(だからこそ、反語的にこの映画のキャグニーを愛する連中も多い。半世紀が過ぎても色褪せないそのワルぶりよ)。貧しいアイルランド家庭に育った男は、母と弟たちとの家庭を護るため、進んで暗黒街へと乗り込み、惨虐の限りを尽くして急速にのしていく。もはや母の注進も受け入れず、彼女も腫れ物に触るように息子を扱うのだった……。ウェルマンは贅肉を削ぎ落としたスタイルで、この悪のヒーローを、その非業の最期(笑ってしまうくらい呆気なく凄まじい幕切れ)まで一直線に描ききる。それはハード・コアな域にまで達するパンクに等しい