散り行く花(1919)

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原題は「Broken Blossoms or The Yellow Man And The Girl

(壊れた花、あるいは黄色い男と少女)

映画の父DW・グリフィス×サイレントの女王リリアン・ギッシュ

とても有名な映画ですが初見(笑)

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"flower" ではなく "blossom" なのは
大輪の花ではなく、観賞用に作られた花でもない
果実をとるため咲く花(若い女性のたとえ)だから

しかし実を作る前に散ってしまう
複数形なのは、同じような少女がたくさんいるということ

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意外だったのは、中国(仏教)は平和な文明、西洋は野蛮な文明

白人男性優位、女性蔑視、あくまで弱者な有色人種という構図を

はっきりと打ち出しているところ

(見ようによってはロリコンの愛玩プレイだがな ←

 オマエは相変わらずそういう見方しかできない女だよ 笑)

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実際に1919年は第一次大戦が終わった翌年で

戦勝国の日本に対して排日運動があるなど

欧米諸国では「黄禍論(こうかろん)」が激しい時代で

グリフィスは黄色人種に対し「寛容」というテーマで制作したそうです

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上海で品のない振舞いをするアメリカ人の水兵たち

ひとりの青年(イエローマン)が西洋に仏教を伝えようと決意します

しかしたどり着いたロンドンのスラム街では

小さな雑貨店の店主になることしかできず、やがて阿片に溺れていきます

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同じスラム街に住む15歳の少女、ルーシーは

しがないボクサーで、酒好きで女好きの父親に

殴られる日々を送っていました

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ある日、激しい暴力により倒れたルーシーを

イエローマンは助け店の2階で匿うことにします

ルーシーに綺麗な服に髪飾り、食べ物と人形を与えます

はじめてひとの優しさに触れたルーシー

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ふたりの関係はプラトニックなものでしたが

娘が中国人と暮らしていると知った父親は激怒し

ルーシーを連れ戻し、殴り殺してしまうのです

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26才のリリアン・ギッシュが15才の少女を演じ

その可憐さが日本でも評判になったそうですが

身長は164センチとそう小柄なわけでもない(笑)

相手役のリチャード・バーセルメス

父親のドナルド・クリスプを大きく映すことで

(そして昔の俳優は顔がデカい 笑)

華奢に見せることに成功しています

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また指で口を広げ、笑顔を作るシーンは

リリアン・ギッシュ自身が考えたものだそうです

 

最後、銃が出てきてしまうところはちょっと残念

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さすがに100年前の映画なので

イマドキの4Kテレビで見ると映像の状態は良くないものの(笑)

アートスティックな画作りに、目が離せませんし

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人種差別、麻薬や風俗、虐待死

それを引き起こす最もな原因が貧困であることなど

世の中の社会問題を共感をもって取り上げつつ

純愛ドラマとして完成した傑作でした

 

【解説】allcinema より

絶対的ロリコンのグリフィスが永遠の少女リリアンに、究極の乙女を演じさせる。ここで彼女の被る苦難は、元プロボクサーの父による虐待。彼の他の大作のヒロインほど大仰な悲運ではないだけに、その逃れられなさは絶望的。名優クリスプがまた、この希代の憎まれ役に入魂の演技を見せるので、観客の誰もがうすうす、死の他に彼女を解放する手段がないことを予感する。その彼女に想いを寄せるのがバーセルメスの純真な中国商人。本来なら異様な、白人の東洋人への化身も、このバーセルメスにだけは許される。そんな真摯さに溢れた演技で、リリアンと清らかな愛を紡いでいく。後にゴダールによって「勝手にしやがれ」で引用されるラスト・シーンが美しい。瞳は悲しみを湛えているのに、リリアンはその白魚の指で口の端を上向きに歪ませて、最後の微笑を作るのである