国際市場で逢いましょう(2014)

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原題は「국제시장(ククチェシジャン)」(国際市場)
韓国では1,410万人を超す観客動員を記録したという大ヒット作品

激動の時代の苦難をコメディタッチで乗り越えながら
ところどころに現代史の有名人を配置するというアプローチは
フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)を彷彿させる
後味のいい作品

 

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朝鮮戦争で避難するとき、はぐれてしまった
妹マクスンを探しに行った父は
ドクス(ファン・ジョンミン)に、国際市場にある叔母の店
「コップンの店」で落ち合おうと約束します

プサンに実際にある国際市場は、朝鮮戦争の避難民が開いた
闇市がきっかけだということ

「コップンの店」に身を寄せていたドクスは
1953年停戦分断で故郷に帰れないことを知り、長男=家長として
優秀な弟の学費を稼ぐために、西ドイツの炭鉱に
親友のダルグ(オ・ダルス)と共に出稼ぎに行きます
60年代前半、西ドイツでは世界中から炭鉱夫をかきあつめていたのです

そこで今でいう合コンでしょうか
看護学生(といっても死体を洗ったり、汚物の処理が仕事)の
ヨンジャ(キム・ユンジン)に一目ぼれ

コメディリリーフは親友のダルクで(笑)
怖~い看護師長にまさかの手籠めにされたり
何かとドクスの巻き添えになってしまうお人好し

炭鉱事故でヨンジャの本当の愛を知り
1966年に帰国したドクスはヨンジャと結婚します

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海洋大学に合格し、自分の夢を叶えようとしたその矢先
叔母が亡くなり、叔父は「コップンの店」を売ろうとしていました
「コップンの店」は父との待ち合わせ場所
ドクスは、進学を諦めコップンの店を買い取ります

1974年には妹の結婚資金を稼ぐためベトナム戦争へと向かい
ゲリラ戦が繰り広げられる戦場をどうにか生き抜きます

思えば自己犠牲ばかりの半生、それでも彼は
「つらい時代に生まれ、この苦しみを味わったのが僕たちで本当によかった
 こんな悲しみを辛さを痛みを、子供たちが背負うと思うと耐えられない」
と、ヨンジャに手紙を書くのです

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1983年、ドクスはテレビ局主催の朝鮮戦争離散家族を
捜索する番組を知り、妹マクスンの袖の切れ端を手に出演


日本でも私が子どもの頃、こういう番組がありました
行方不明になった人の家族や、中国残留孤児が
テレビや(そういう番組には必ず徳光和夫さんがいるイメージ)
新聞の広告で情報を集めるのです

ドクスは父とマクスンに呼びかけ、ついにアメリカに在住していた
妹との再会を果たします
その翌年、母が亡くなりました


そして現代、母の法事で父親の幻と抱き合うシーンには
グッときます

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ただひたすら、がむしゃらに走ってきた
やっと休憩できた時、こんな老人になっていた

翌朝、ドクスはヨンジャに「船長になるのが夢だった」と
はじめて打ち明けました
するとヨンジャは、私の夢は「素敵な人と結婚すること」と答え
そっと夫の手を握りました

いいなあ・・と思いつつ
老けメイクがバラエティ番組並みに中途半端なのが残念(笑)

 

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今や日韓のあらゆる問題は、一日に何度もニュースで流れるほど
だけどこの作品が、政治や報道が煽るのではない
韓国の庶民の姿そのもので、家族の肖像であるならば
両国にはまだまだ修復の可能性があると信じたい

いつも犠牲になるのは末端にいる庶民
だけど主人公同様、辛い時代を子どもたち世代に残したくないと
私も思うから

 


 【解説】allcinemaより
TSUNAMI-ツナミ-」のユン・ジェギュン監督が激動の時代を生き抜いたある家族の物語を描き、韓国国内で歴代2位の観客動員を記録した大河ドラマ。主演は「新しき世界」のファン・ジョンミン、共演にキム・ユンジン、オ・ダルス、ユンホ。朝鮮戦争の際、興南撤収作戦の混乱の中で父と妹と離ればなれとなってしまった少年ドクス。母と残された幼い弟妹と共に、避難民として釜山の親戚の家に身を寄せる。やがて成長したドクスは家計を支えるために、西ドイツの炭坑へ出稼ぎに行く。どんなに辛く困難な時でも、家族の存在と、“いつか国際市場で会おう”という父と交わした最後の約束を心の支えにがんばり続けるドクスだったが…。