原作は浅田次郎氏の38ページの短編ということ
雪で着物が濡れるのを防ぐ為
警護の侍60人は羽織の上に雨合羽
そこに18人の水戸藩浪士がやってきます
桜田門まですぐ近くだと油断し
たった18人の下種人に全滅させられたのです
ここまでは史実の通りということ
さすが人間国宝でございます(笑)
映画というのは役者を鑑賞するものなのだと
そこで近習(主君に仕える者)出頭人(特に才能を認められた者)で
かわりに下種人を捜索し、主君の仇討をしろと命じられます
それから13年、明治になっても侍姿のままで下種人を探す金吾
しかも仇討禁止という法律ができてしまうのです
使い古されているけれど、やはり美しいもの
だけどなぜ、この作品が心に沁みないのか
それはやはりリアリティに欠けているからでしょう
酌娼をする妻(広末涼子)のささやかな給料で生活しているのに
着物も綺麗だし髷もきちんとしている
セリフでは「仇討」「仇討」「生き恥」「生き恥」と言っているものの
みじめに見えないし、人を斬ろうというギラギラ感もない
何でも原作では、主人公はボサボサの頭で
粗末な単衣羽織、下駄の歯もすり減り、足はあかぎれ・・・
こちらのほうがよほど説得力があるます
原作にないエピソードを追加し、2時間まで膨らませたそうですが
もっとコンパクトな作品にしたほうが良かったでしょう
ミサンガが切れたから願いがかなったというエピソードなんて
本当に余計ですから(笑)
映画館で1800円は払えないけど(笑)
テレビで時代劇ドラマとして見るなら、問題ないです
【解説】allcinemaより
浅田次郎の同名短編時代小説を「壬生義士伝」の中井貴一と「テルマエ・ロマエ」の阿部寛主演で映画化。江戸から明治へと時代が大きく変わる中、武士の矜持を捨てることなく、桜田門外の変で失った主君・井伊直弼の仇を追い続ける男と、武士を捨てて車引きとなり孤独に生きる刺客の最後の生き残りの男が、暗殺から13年後に迎えた邂逅の行方を描く。共演は広末涼子、中村吉右衛門。監督は「ホワイトアウト」「沈まぬ太陽」の若松節朗。
安政七年(1960年)。時の大老・井伊直弼に仕える彦根藩士の志村金吾。桜田門外で暗殺者集団の襲撃を受けた際、直弼の警護役を務めながらその命を守りきることができなかった。その失態を恥じた両親は自害するも、自身は切腹を許されず、逃亡した水戸浪士を討ち取れとの藩命が下る。以来、献身的な妻セツに支えられ、仇を捜し続ける日々を送る。それから13年、時代は明治へと変わり、武士の世は終わりを告げ、彦根藩もすでにない。にもかかわらず、金吾の仇討ちへの執念は揺らぐことはなかった。そしてついに、18名の刺客の最後の生き残り、佐橋十兵衛の居場所を知る金吾だったが…。