東京物語(1953)

 
原節子さんを偲ぶ】
 
 
原節子さん(没年95歳)の訃報が報じられました。
 
小津安二郎監督の死と同時に42歳で女優を引退。
その後は一切公の場所には姿を見せず、プライベートは明かさず
日本のグレタ・ガルボとも呼ばれていたそう。
 
凛としていて、美しく、ミステリアス
秘すれば花なり、そんな言葉がよく似合います。
 
多くの映画でヒロインを演じている原さんですが
やはり代表作は小津監督の「東京物語」なのではないでしょうか。
 
こんな世界的名作を私などが
レビューしていいものなのかとも思いましたが。
無礼講でいきましょう。笑
 
 
この映画、若い頃に何度も見て
実は何度も途中でリタイアしてしまいました。
最後まで鑑賞できるようになったのは
本当に最近になってから。
 
だからもし「東京物語」を見てつまらない、退屈と思う人でも
10年後とか、20年後とか、いつか気が向いたら見てほしい。
私も10年後とか、20年後とか、もっと先にもまた見てみたいと思います。
人は寂しく虚しい。
 
尾道から東京に息子たちと娘を訪ねていく老夫婦。
だけれど邪険に扱われてしまいます。
唯一やさしくしてくれたのは戦死した次男の嫁でした。
 
家が狭い、食事の用意、気を使う、子ども達の勉強の邪魔・・
たとえ自分の親でもいろいろな理由で
家に来られるのは面倒、そういう家庭は多くあるでしょう。
 
私も数日なら歓迎して迎え入れられるけれど
長い期間となると正直大変かなと思います。
(でも杉村春子さんみたいにキツいことは言わないよ。笑)
 
母親はたぶん病気かなにかで最期が近かったのでしょう。
そう考えると辻褄があう。
 
だから突然連絡もなしに子ども達の顔を見に行ったのです。
子ども達には心配させたくない、迷惑をかけたくない
何度もつぶやく「ありがとう、ありがとう」
 
旅の疲れもあったのでしょう
どんなふうでも、子ども達の元気な姿に安心したのかも知れません。
あっという間に逝ってしまいます。
老夫婦のそばで暮らす末の娘だけは事情を知っていたのかも知れない。
冷たい兄姉に怒りを覚えます。
 
「でもね、大人になると仕方のないことなのよ」
 
原さんのこのセリフが、この作品のすべてを現していますね。
大人になると仕方のないこと。
そして自分も「ずるいんです」と。
 
どんなにおしとやかだって、妬んだり怒ったりすることもあるだろう。
秘かに好きな男性だっているかも知れない。
 
意味深で言葉少なげな台詞が想像力を掻き立てる。
小津監督の引き算の美学。
 
神秘のヴェールに包まれたまま亡くなられた原節子さん。
心よりご冥福をお祈りします。
 

【評価】ウィキペディアより
1937年日本公開のアメリカ映画『明日は来らず』(レオ・マッケリー監督)を下敷きにしている。アメリカの物語を普遍的なものにして、アジア人と西洋人がともに納得できるものにした。
作品は1953年度のキネマ旬報ベストテンでは第3位にランキングされ、興行的にも成功した。以降も現在に至るまで作品は国内外で高い評価と支持を受けている。特に映画誌などで行われる過去の作品のランキング等では必ず上位にランキングされている。
1999年にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」に、『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『椿三十郎』(黒澤明監督、1962年)、『乱』(黒澤明監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)などと共に選出された。 英国映画協会発行の月刊映画専門誌『Sight & Sound』2002年版の「CRITICS' TOP TEN POLL」では、年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品、と寸評を出している。本作品は、ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。

【解説】allcinemaより
日本映画を代表する傑作の1本。巨匠・小津安二郎監督が、戦後変わりつつある家族の関係をテーマに人間の生と死までをも見つめた深淵なドラマ。故郷の尾道から20年ぶりに東京へ出てきた老夫婦。成人した子どもたちの家を訪ねるが、みなそれぞれの生活に精一杯だった。唯一、戦死した次男の未亡人だけが皮肉にも優しい心遣いを示すのだった……。いまでは失われつつある思いやりや慎ましさといった“日本のこころ”とでもいうべきものを原節子が体現している。家でひとり侘しくたたずむ笠智衆を捉えたショットは映画史上に残る名ラスト・シーンのひとつ。