ディープエンド・オブ・オーシャン(1999)

原題も「THE DEEP END OF THE OCEAN」(深い海の果て)

3歳になる息子が、母親が目を離した隙に行方不明になってしまう・・

映画の出来がイマイチなのが残念ですが(笑)

テーマがテーマだけに、胸に突き刺さるものはありました

 

子どもがいれば、こういう状況って誰にでも起こりうることで

母親の苦しみ、家族の苦しみが痛いほどわかります

そして日本でも最近増えている「ヤングケアラー問題」

こういう重要な課題こそメディアはもっと取り上げるべきでしょう

同窓会先のホテルのロビー

写真家のベス・カッパドーラは

次男のベン(3歳)の「手を離さないで」と

長男のヴィンセント(7歳)に弟を預け

友人が立て替えてくれたホテル代を支払うためフロントに向かいます

 

戻るとベンがいない

「どうして手を離したの」「どっちに行ったの」

ヴィンセントに詰め寄る

でもベンは「隠れんぼ遊び」が大好きな男の子

ホテルの中だし、知り合いで溢れかえっている

同窓生のみんなも手分けして探してくれている

同窓生のひとりに刑事がいて、警察に捜査も手配してくれます

最初はすぐに見つかるだろうと思っていました

 

しかし時間は経過し

子どもが迷子になって見つかるタイムリミット

5時間を過ぎてしまいます

日本でも子どもが行方不明になると

ボランティアの協力が不可欠ですが、それはアメリカも同じ

だけど数か月経ってもベンは見つからず

ボランティアによる窓口も締め切らてしまいます

 

鬱になり、寝こむようになってしまうベス

ヴィンセントのお迎えも忘れてしまう

まだ赤ちゃんの妹が泣いても気が付かない

ケリーにミルクを与えるのもヴィンセントでした

ベン、ベン、ベン、ヴィンセントだって両親の愛情が欲しいのに

そして、ベンの手を(喧嘩して)離してしまったことを後悔してします

まさか本当にいなくなると思わなかったのです

 

9年後、パットが自分のレストランを開店することになり

一家はシカゴに引っ越しすることになります

ベスも写真家の活動を再開し、はた目には幸せそうな家族に見えました

 

でもヴィンセントの心は家族から離れていました

まあ、この年頃の男の子はほとんどそうですが(笑)

末っ子のケリーだけはいつでもマイペース

女の子は強い(笑)

ある日ケリーが近所の少年と話をしています

よければ庭の芝刈りのバイトをさせてくれないか、というものでした

少年の顔を見たベスはハッとしました

警察が作ってくれた「10年後」のベンのCG写真にそっくりだったのです

 

すぐにキャンディ刑事に相談すると、少年とベンの指紋が一致

警察はジョージ・カラス邸に踏み込みます

そこでベスが見たのは、あの日同窓会に来ていたセシルの写真

ジョージは妻のセシルは精神を病み5年前に自殺していて

息子のサムはセシルの連れ子だった

セシルが死んだ後も、わが子同然育ててきたと言います

ジョージに罪はない

でもいくら愛情を注いで育てたとしても、本当の父親ではない

法的にサムを実の両親の元に返すしかないのです

 

されからカッパドーラ家の居心地の悪い生活が始まります

サム(ベン)に異常に気を使う両親、それもわかる

でもヴィンセントだって我が子のはず、透明人間じゃない

ヴィンセントがサムとバスケットボール(1on1)をしていた時も

(下級生に負けたくない)サムを突き飛ばしてしまったせいで怒られる

ヴィンセントは酒を飲み気を紛らわせるようになります

 

感謝祭が近づいたある日、サムはパットに

感謝祭はおばあちゃんの家で過ごしたいと申し出ます

おばあちゃんや従弟たちに会いたい

パットは「感謝祭は家族と過ごすもの」だと許しませんでした

思わず悪態をついてしまうサム

同じキリスト教といっても、カッパドーラ家はイタリア系

サムが育ったカラス家はギリシャ系なんですね

環境も、文化も、そもそものアイデンティティが違う

サムは感謝祭だけでいいから、もとの家族と一緒に過ごしたかった

 

パットはそんなサムの気持ちを理解しようとせず

「理想の家族像」を譲らなかったのです

それからサムは夜な夜な部屋を抜け出し

カラス家の自分のベッドで眠るようになります

ジョージが連れ戻してくれますが

(両親の同意がなければ犯罪になるのだろう)

パットとベスは「サムが幸せになるため手放したんだ」と言われてしまいます

 

さらにベスが墓場の撮影にサムを連れて行くと

若くして亡くなった人の墓をみて「きっと苦しんで自殺したんだ」と呟く

ベンを誘拐したセシルも苦しんで自殺したのか

自分も愛する息子をこんなに苦しめていいのか

ベスはパットの反対を押し切り

サムをジョージのもとに返す決心をします

そんな時、ヴィンセントが飲酒運転で事故を起こし逮捕されました

そのときはじめてベスは何が大切なのか、やっと気付いたのです

「もし死んでいたら」「生きているだけでいい」

私は子どもたちを、なんて不幸にしてきたのだろう

どんな辛い思いをさせたのだろう

 

サムも面会にやってきました

「何しに来たんだ」と怪訝なヴィンセントに

「友だちになりたいんだ」

サムはシダーの香りで、思い出したことがあるといいます

隠れんぼをしていて、クローゼットに閉じ込められた

だけど怖くなかった

君が助けにきてくれるとわかっていたから

ヴィンセントが釈放され

サムが(ジョージと話し合った結果)戻ってきた深夜

サムに1on1を誘われたヴィンセントは

君がいなくなった日「消えてしまえ」と手を離したと打ち明けます

「たいしたことじゃない」と笑うサム

 

本当の両親やヴィンセントが10年間味わってきた苦しみに比べたら

自分がどれほど幸せに暮らしてきたのかを知ったから

ジョージはサムにとって本当にお手本になる良いお父さんなんだろうな

泣かせる要素はたくさんあるのに、なぜこの作品が失敗したか

たぶん母親にばかりスポットが当てられ(ミシェル・ファイファーだし 笑)

兄弟や、育ての父親の気持ちが、しっかりと描かれていないからでしょうね

ゲイの女刑事なんてまるまる無くてもよかった(ごめんね、ウーピー 笑)

 

過去の名作を陳腐にするのではなく(笑)

こういう、今なお増え続ける問題を描いた作品こそ

リメイクして欲しいものです

 

 

【解説】映画.COMより

失踪していた息子の帰還にとまどう家族の姿を描いたドラマ。監督は「ジョージア」のウール・グロスバード。脚本はジャクリーン・ミチャードの小説『青く深く沈んで』(邦訳・新潮文庫)を元に、「ロリータ」(98)のスティーヴン・シフが担当。撮影は「バットマン・フォーエヴァー」のスティーヴン・ゴールドブラット。音楽は「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」のエルマー・バーンスタイン。美術は「ユー・ガット・メール」のダン・デイヴィス。編集は「ガンジー」のジョン・ブルーム。衣裳は「素晴らしき日」のスージーデサント。出演は「シークレット 嵐の夜に」のミシェル・ファイファー、「デンバーに死す時」のトリート・ウィリアムス、TVシリーズ『General Hospiral』のジョナサン・ジャクソンと『プリテンダー』のライアン・メリマン、「僕のボーガス」のウーピー・ゴールドバーグほか。

1999年製作/108分/アメリ
原題:The Deep End of the Ocean
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント