この首一万石(1963)





途中までは陽気でコミカルな
歌って踊るミュージカル時代劇なのですが
最後までコメディ風にまとめるのかと思ったら
予想外のラストが待ち受けていました


モテ男の権三(大川橋蔵
町娘ちづ(江利チエミ恋仲でありました
しかしちづの父(東野英治郎)は浪人侍で
でなければ娘は嫁にやれないと頑なです

そんな折、権三は九州帰国のための
人足(行列の荷物運び)として
小大名小此木藩に雇われ
仲間の助十や半七たちと旅立ちます
ちづを想い1日でもいいから侍になりたい」と呟く権三
小此木藩の武士である山添(水原弘)は
「武士がそんなにいいか」と笑います





大名行列一行が、三島の宿に着くと
四七万石の大名渡会藩が、本陣を明渡すよう求めてきました
一万石余の小藩を馬鹿にされたと感じた小此木藩一行は
東照神君由来の名槍阿茶羅丸を捧げての道中だ」と
うそをついてこれを拒びますが
結局、賄賂を受け取り本陣を引渡すことに

そんなこととは知らず
足の指の怪我で遅れて本陣に到着した権三は
槍を置き、女郎屋へ出かけてしまいました
そして調子に乗り酔っぱらってしまいます

そのころ渡会藩に「名槍阿茶羅丸」の嘘がばれ
小此木藩では大騒ぎになっていました

小此木藩の武士たちは、権三を呼び出し
彼を武士に仕立て上げ
その首を渡会藩に届けようと企みます





一方の渡会藩の人足の頭は、人足の命も人の命
槍を小此木藩に届けようとし、藩と藩の意地の張り合いにも
これでうまく決着がつくと思われたのですが

頭の善意によって届けられた槍
しかし権三はその槍で、同藩の武士たちを次々と殺していくのです

その殺し方が凄まじい、見事なまでのスプラッタ
そして権三もボロボロになっていき
最後は代官(平幹二朗)の指示で銃弾を浴び、息絶えます



封建社会の内部に巣食う
無責任体制を痛烈に批判したというこの作品は
現代でも十分に感じるものがあります

誰かひとり、反抗の槍を振してみても
事が大きくなればなるほど内々で解決しようとする
いまの政界や相撲協会の現状を見ると
今でもあまり体制が変わっていないように思えます
さすがに現代では、刀で人を斬ることはありませんが


救いのないラストでありましたが
伊藤大輔監督の鋭い批判眼を感じられる秀作



実際にあった、相馬藩と会津藩の参勤交代の途上でのかち合わせで
ひと悶着起きた事件が題材になっているということです
終盤はホラーですが、歴史に興味のある方はどうぞ





【解説】映画.comより
「王将(1962)」の伊藤大輔が自作を脚色・監督した残酷時代劇。撮影は「いれずみ半太郎」の吉田貞次
人入れ稼業井筒屋の抱え人足で槍奴ぶりが評判の伊達男、権三と浪人者凡河内典膳の娘ちづはかねてからの恋仲だが、娘の夫は武士でなければという典繕の一徹さのために結婚出来ないでいた。そんなことから権三は武士になりたいと願うようになった。ある日、井筒屋に小大名小此木藩から九州へ帰国のための人足を雇いたいという注文が舞い込み、権三は仲間の助十たちと旅に出ることになった。ちづと変らぬ愛情を誓い合い旅に出た権三は、宿で仲間たちから女遊びを誘われても一人宿に止まるのだった。その翌朝、はずみで権三は足の生爪を剥いでしまい行列に落伍することになった。一人旅の権三はのんびり三島の宿にたどりついたが、宿場女郎ちづるがちづと瓜二つなのを知った。有頂天の権三は本陣に槍を立てて務めを終えると、先刻の遊女屋へ引きかえしていた。その頃本陣では、小此木藩の一行と後から到着した渡会藩の行列とがハチ合わせするという事件がもち上っていた