ジョニーは戦場へ行った(1971)

 
 
「腕があれば自殺できる」
「脚があれば逃げられる」
「声があれば叫んで救いを求められる」
 
 
10代の頃テレビで見ました。
このポスターは映画雑誌で見て知っていて
そして
 
かつてないみずみずしさと美しさで
 執念の鬼才ドルトン・トランボが描く 
 青春の輝き、生きることの強さ、尊さ、素晴らしさ…
 カンヌ映画祭審査員特別賞を得て本年度ベスト・ワンを狙う感動の秀作」
 
という、このキャッチコピーに私は
シェルブールの雨傘」のような
戦争に引き裂かれた若い男女の切ない恋物語だと
勝手にそう思い込んでいたのです。
 
見終わったあとの衝撃は大きかった(笑)
 
戦争によって胴体と生殖器
脳髄だけが残った頭部のみの姿になってしまったジョー。
医師たちは彼には意思も感情も痛みもないと言い
医学の実験材料のためだけに生かしておきます。
 
以前「記憶する心臓」というドキュメンタリーを見たことがあります。
心臓移植をうけた人間に、心臓を提供してくれた人間の
記憶や特技や嗜好が表れるというものでした。
 
人間というものはもしかしたら脳以外の
体の様々な部分でも記憶したり
考えたりするのかもしれない。
 
脳死状態と思われていたジョー。
だけど痛みも感じるし感情もある。
過去の記憶に浸り
やさしい看護師に感謝します。
 
この看護師は恋人を戦場で亡くしたのでしょうか。
ジョーの身体に触れ、ジョーの姿に涙する。
ジョーの胸に指先で書いた「メリークリスマス」
 
そして医師からただの痙攣だと思い込まれていたジョーの頭部の動きを
なにかの合図ではないかと気が付くのです。
それはモールス信号でした。
 
外に出たい、みんなに自分の姿を見せろ、そんなジョーの思い。
戦争で負傷したものは「見せ物」でしか生きれないという彼の選択。
 
ジョーに意識が、感情があると知ったとたん
医師たちは真っ暗な部屋にジョーを幽閉してしまいます。
 
私が思うこの映画のメッセージはふたつ。
もしあなたがこんな身体になったらどうするか?
もしあなたならこんな人間に何をしてあげれるのか?
(何もしないのか)
 
今もジョーのような姿になって
命を落としている若者は世界のどこかにいるのでしょう。
 
 
 

 
【解説】allcinemaより
戦争によって“意識ある肉塊”と化したひとりの青年を描いたD・トランボの小説を、38年の発表から数えること33年、ようやく自身の脚色・初監督で完成させた異色作。ジョーは今、野戦病院のベッドで静かに横たわっている。第一次大戦の中、彼はほとんどの器官を失う大怪我を負いここに運ばれてきたのだ。目も見えず、耳も聞こえず、喋る事もできず、唯一性器だけが人間として残された印だった。真の暗闇の中でジョーは想う。釣り好きだった父と過ごした日々や、出征前夜に恋人と交わした愛の営み……。やがてひとりの看護婦がジョーの胸に書き記した文字によって彼は外界との繋がりを持つのだが……。あまりにも辛く、あまりにも悲しい物語。現在のシーンは凍て付くようなモノクロで描かれ、歓喜に満ちた過去のシーンは色鮮やかなカラーで描かれ、そのギャップはなおさら彼を取り巻く非情さと悲劇色を強くする。お涙頂戴ものなど足元にも及ばない圧倒的な説得力を持った反戦ドラマ、トランボ渾身の一作だ。