マイライフ・アズ・ア・ドッグ(1985)

 
 
 
「・・・・よりかはマシだ」
 
確かに心に沁みる作品ではあるでしょう。
 
遠く海外で仕事をし帰ってこない父親。
やんちゃな男の子がふたり。
病気の母親は読書家のインテリでありましたが
だんだんとヒステリックになっていき
子どもに、特に次男のイングマルに八つ当たりするようになります。
 
愛情不足・・・
 
まだ子どもが幼いならば
たとえ命を縮めても守りたい、一緒にいたい
我が子の笑顔が見たい、話を聞いてあげたい
それが親だと思います。
でもイングマルの母親は違いました。
 
しかし母親もまた愛情不足なのでしょう。
病気になっても、死んでさえも、仕事から帰ってこない夫。
愛されていないのです。
愛されない女なのです。
 
イングマルもまた、母親に愛されていませんでした。
兄にも意地悪ばかりされています。
それでも世の中にはもっと不幸なことがあるのだと妄想し
ひとり自分を慰めます。
兄もまた母親からの愛が足りないのでしょう。
 
母親の病気によくないからと
田舎の親せきに預けられるイングマル。
そこで叔父夫婦と祖父母は、彼を暖かく迎えてくれます。
まるで実の子の子のように、休日には一緒にサッカー
庭に男の隠れ家を作りレコードを聞きます。
仕事場に連れて行き職場の仲間もイングマルを可愛がってくれます。
 
でも、そこでどんなに幸せな生活をしていても
やはりママが恋しいのです。
そして飼っていた犬のシッカンが元気でいるかどうか
とても心配でしょうがないのです。
 
それでもこの作品が暗くならなかったのは
イングマルが女の子にモテモテだったからでしょう。
あの手この手でイングマルの気を惹こうとする女の子たち。
おませです・・・苦笑
 
登場する男性はといえば、老いも若きも
みんながみんな頭の中がエロエロ。笑
女性の身体の事ばかり考えています。
男の子って、子どもの頃からこんなえっちなことばかり考えているのかと
ちょっとヒヤヒヤして見てしまいましたが。
 
不幸や辛いことがあったとき、男性を救うのはエロなのだと
監督が訴えたかったメッセージはそれなのだと
最終的に私が行きついた解釈はそうなってしまったのですが
間違っているでしょうか?
 
(感動の名作のレビューをこういう締めくくりにしてごめんなさい・・笑)
 

 
【解説】allcinemaより
主人公のイングマル少年は、兄と病気の母親、愛犬シッカンと暮らしている。父親は、仕事で南洋の海に出かけたままずっと帰ってこない。人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行者になったあのライカ犬の運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないと考えるのが彼の人生哲学だ。やがて夏になり、母親の病状が悪化。イングマルは一人、田舎に住む叔父の元に預けられることになる。その村の住人は、一風変わった人ばかり。街に置いてきたシッカンのことが気になるものの、男の子のふりをしている女の子・サガとも仲良くなり、毎日を楽しく過ごすイングマルだったが…。
 50年代末のスウェーデンの海辺の小さな町と山間のガラス工場の村を舞台にしたこの映画は、母親の死、愛犬との別れ、また家族はバラバラになってしまうという展開で進みながらも、実にあたたかい視線で描かれている。それはこのハルストレム監督の人間に対する眼差しによるものだろう。悲劇的な要素を交えながらも、主人公の友人や村の人々との出会いを通して、人生そのものをユーモア豊かに、みずみずしい美しさを全編に漲らせて、実に心温まる作品に仕上げている。主人公を演じるA・グランセリウス少年の、何とも言えない不思議な魅力溢れる笑顔が、この作品の持つ“人生”の楽しさ、悲しさをまとめて語っているのも、“温かさ”の大きな要因のひとつだろう。傑作である。