この作品、場面場面は強烈に覚えているのだけど、ストリーが思い出せない・・
そんな理由で再見してみました。
もういちど観て・・・
やはり、場面場面は強烈だけれどストリーはよくわかりませんでした。
富豪の娘マッダレーナと寝たり、美貌の女優を口説いたり、
社交族と乱交パーティーをしたり。
マルチェロは、田舎出身のゴシップ記事のジャーナリスト。
一緒に暮らすエンマは言う。
「私が愛さなければ、誰もあなたを救ってくれないのよ?私だけなのよ!」
私個人の解釈としては、冒頭でキリスト像がヘリコプターで運ばれるシーンから
マリア様再来の金儲けのためのインチキなど
何か宗教的な意味合いがあるのではないか思います。
そういう宗教的なことを理解しないと
もしかしてこの作品は理解できないのかもしれませんね。
『甘い生活』というタイトルは、この作品にピッタリだと思います。
まさに、働かずに、遊んで暮らす生活。
他人のゴシップを利用したり、金持ちに取り入ったり、女を口説いたり。
マルチェロ憧れのスタイナー(アラン・キュニー)は自殺。
それと同時に、マルチェロが本物のジャーナリストになるという希望も
死んでしまいます。
スタイナーは彼の良心の擬人化だったような気が、私はします。
海辺の別荘での、乱痴気騒ぎ。
死んだ魚と同じように、腐敗したセレブな人たち。
それとは対照的に真面目に働く漁師・・
ポニーテールの少女だけは、暗闇から光へと導いてくれる
助けの言葉を叫んでいるようでした・・
でも、その声はマルチェロには聞こえないのです。
生まれながらにして、決してお金に困らない社交族。
ひたすら自らの仕事をこなす、労働階級。
そして、頭脳で世の中に変革をもたらす、知的階級。
労働階級の主人公は、知的階級に憧れながらも
社交族の核中に存在したいという願望・・
もしかしたら、それはフェリーニ自身の願いだったのかもしれません。
【解説】allcinemaより家志望の夢破れて、今はしがないゴシップ記者のマルチェロは豪華なナイトクラブで富豪の娘マッダレーナ(A・エーメ)と出会い、安ホテルで一夜を明かす。ハリウッドのグラマー女優(A・エクバーグ)を取材すれば、野外で狂騒し、トレビの泉で戯れる。乱痴気と頽廃に支配された街ローマ。同棲中のエンマは彼の言動を嘆く。二人で訪れた友人スタイナー一家の知的で落ち着いた暮らしぶりを羨むマルチェロだが、彼らも子連れの無理心中で突如死に、残るは絶望の実感のみ。いよいよ狂乱の生活に没入するマルチェロは海に近い別荘で仲間と淫らに遊び耽る。彼らが享楽に疲れ果てた体を海風にさらす朝、マルチェロは波打ち際に打ち上げられた怪魚の、悪臭を放って腐り果てるさまを凝視した。彼方で顔見知りの可憐な少女ヴァレリアが声をかけるが、波音に消されて聞こえない。かくて純粋な青春の時は終わったのか。