無防備都市(1945)

原題は「Roma città aperta」(開かれた都市ローマ)

映画史を変えたと呼ばれている作品のひとつで

(新しい映画運動=ネオレアリズモのきっかけになった)

1カンヌ国際映画祭では(当時のグランプリ)特別賞を受賞

この作品と「戦火のかなた」に感銘を受けた

当時ハリウッドの大スターだったイングリッド・バーグマン

監督のロベルト・ロッセリーニ熱烈な手紙を書き

夫と子供を捨てて不倫関係に至った(のちに結婚)のは有名な話

英語は堪能、ドイツ語は忘れていない、フランス語はわからない

イタリア語は「Ti amo(愛している)」という言葉しか知らない

そんな女優でもよければ

私はいつでもあなたと映画を作るためイタリアに行きます

この「Ti amo」をロッセリーニ勘違いしたとも言われています(笑)

バーグマンほどではありませんが(笑)

私も10代の頃(テレビでですが)この映画を見たときに感動しました

特にファシストの地下運動を支えたドン・ピエトロ神父(司祭)の

「大切なのはどう死ぬかではない、どう生きるかだ」という意味のセリフ

感銘を覚えたものです

今思うと、若い時って何かと束縛が多いので

自由を求めるレジスタンスの姿に憧れるものがあったのかも知れません

第二次世界大戦終結目前の1944

同盟国だったドイツ軍に制圧され、ナチス占領下のイタリア、ローマ

地下活動を行うレジスタンスの共産党員で国民解放委員会の幹部である

マンフレディ(マルチェロ・パリエーロ)は

住んでいるアパートにやって来たゲシュタポから

家政婦と大家の女性の助けで屋根を伝って逃走

同胞の印刷工フランチェスコ(フランチェスコグランジャッケ)の家に

助けを求めに行くと

フランチェスコの婚約者のピナ(アンナ・マニャーニ)は

危険を厭わずマンフレディを匿いますが

マンフレディはレジスタンスへの協力者である

ドン・ピエトロ神父(アルド・ファブリーツィ)のところに行き

パルチザンのグループに大金(軍資金)を届けるよう頼みます

(聖職者はゲシュタポの捜査から逃れられる)

大金を運ぶ途中、偶然あったピナに相談を受けるドン・ピエトロ神父

ピナは未亡人で前夫と間に男の子がいて妊娠中

あまりにも人の良いフランチェスコとの結婚をためらっていたのです

(ピナが神父の大金の入った荷物を持ってあげるもんだから地味にハラハラ 笑)

神父やフランチェスコの優しい励ましで結婚式の日を迎えるピナ

ところが同じ日、ナチス司令官バーグマン少佐は

レジスタンスのアジトであるとしてフランチェスコのアパートを襲撃

フランチェスコは逮捕され、トラックで連れ去られてしまいます

叫びながらトラックを追いかけ、非常線を抜けてしまったピナは

息子が見ている前でゲシュタポに撃たれ死んでしまいます

ピナの息子は泣き叫び

(死にそうな高齢者を見舞うという名目でレジスタンスの兵器を隠しにいった)

ドン・ピエトロ神父は彼女を抱きしめ祈りを捧げます

この映画のクライマックス

フランチェスらを乗せたトラックがパルチザンに襲われると

(外国からの侵略などに対し抵抗運動をする正規の軍隊ではない武装勢力

捕らわれていたイタリア人たちは脱出し

マンフレディと再会したフランチェスコ

彼の恋人でナイトクラブのダンサー、マリーナの家に隠れますが

マンフレディはマリーナが薬物(鎮痛剤)依存症であることに気付き

激しく叱ります

マリーナはマンフレディのことを愛していましたが

贅沢と快楽を手放せない女でした

ゲシュタポの婦人隊長イングリットに買収されていて

毛皮と引き換えにマンフレディを裏切り

マンフレディとドン・ピエトロ神父のふたりが連行されます

フランチェスコピナの息子(孤児との別れを惜しんだことから

ゲシュタポも悪魔だけではない)憐れみを受け逮捕を免れます

助かるのは運しだいという現実

バーグマン少佐はパルチザンを奇襲し壊滅させるため

マンフレディを拷問し、ドン・ピエトロ神父にその様子を見せます

バーグマン少佐はマンフレディを無神論者、共産主義者

教会の敵だとドン・ピエトロ神父を揺さぶりますが

「正しい人生を送ろうと努力する人には、誰でも神の救いがある」と答え

さらにベルグマン少佐が

「拷問に耐えたら支配民族のドイツ人と同等とイタリア人を見直そう」

と豪語すると

「これが支配民族か」とつぶやいてしまう書記官

結局マンフレディは何も明かさないまま拷問死し

隣の部屋で行われていた将校クラブのパーティにいたマリーナは

死んだマンフレディを見せられると気を失ってしまいます

マンフレディから情報が引き出せなかった以上、マリーナに用はない

彼女から毛皮のコートを剥ぎ取るイングリット隊長

ラスト、反逆罪に問われ銃殺を言い渡されるドン・ピエトロ神父

サン・ピエトロ寺院見える丘で少年たちが見守る中

神父が最後にとなえた言葉は、「彼らを赦したまえ」でした

戦争を解決する唯一の方法は、戦争しないこと

土地や思想や宗教を侵略することは、可能なように見えても

実は何千年経っても不可能なことなのだから

 

 

【解説】映画.COMより

ロベルト・ロッセリーニナチスドイツに抵抗するレジスタンスの戦いを描き、イタリア・ネオレアリズモの原点にして代表作となった記念碑的作品。第2次世界大戦末期。レジスタンスの指導者マンフレーディは資金調達のため、ナチス支配下にあるローマへやって来る。ゲシュタポに追われているマンフレーディは同志フランチェスコの家に匿ってもらい、神父ドン・ピエトロに連絡役を頼む。フランチェスコとピーナの結婚式の日、彼らはゲシュタポに襲われ、マンフレーディは逃げ延びるが……。若き日のフェデリコ・フェリーニが脚本に参加。1946年・第1回カンヌ国際映画祭で、当時の最高賞にあたるグランプリに輝いた。

1945年製作/103分/イタリア
原題または英題:Roma citta aperta
配給:イタリフィルム