
太平洋戦争末期の戦いを描いた「東宝8.15シリーズ」の第5作目ということ
ちなみにシリーズは
「日本のいちばん長い日」(1967)
「連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968)
「日本海大海戦」(1969)
「激動の昭和史 軍閥」(1970)
「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)
「海軍特別年少兵」(1972)の6作で

このうち岡本喜八監督が手がけたのは第1作と本作
私が見ているのは第1作目の「日本のいちばん長い日」だけなのですが
なんていうか「日本のいちばん長い日」の続編のように感じました

「日本のいちばん長い日」納品宮城事件は1945年の8月14~15日で
沖縄決戦は1945年3月26日~6月23日
史実的には宮城事件のほうが後になるのですが
それよりもっと早く降伏すべきだった、というアンサー

とはいえ、そうすれば原爆も落とされなかったというような
(戦後だから知っている)直接的なメッセージを伝えているわけではありません

国を守ろうと戦死する者
手榴弾を抱えて自害する島民たち
青酸カリを与えられる負傷兵たち
次々と起こる悲惨な戦闘の中
娼婦から看護員になった辻町のしーちゃん
ユーモラスさも忘れない

だけど何よりも描きたかったのは、人間の生きていこうとする逞しさ
ラストシーンで水を飲む少女の姿だったのではないでしょうか

沖縄県民が戦闘に巻き込まれている中
沖縄に着任することになった牛島中将(小林桂樹)は
陸軍中枢から「沖縄戦は本土決戦のための時間稼ぎ」だと
玉砕(潔く死ぬこと)だけはしないように命じられます
この最初のエピソードだけで、陸軍幹部が
沖縄を日本国だとみなしていないことがわかります

それからわずか3か月で
対馬丸事件(疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃を受けて沈没 )
伊江島の戦い(住民を巻き込んだ6日間にわたる戦闘)
菊水作戦(日本海軍の特攻作戦)
坊ノ岬沖海戦 (戦艦大和の最期)
義烈空挺隊(日本陸軍の空挺部隊で編成された特殊部隊)
アメリカ軍からの攻撃や自決により命を落としていった島民や
ひめゆり学徒隊をはじめとする看護要員たちの姿が描き出されます

岡本喜八は女性や子どもの撮りかたがうまいですね
特に子どもは、そこらへんの子を集めただけだと思うんですけど(笑)
その無邪気な顔を見ただけで泣きそうになる

牛島中将は豪胆な(丹波哲郎)や
インテリな(仲代達矢)らと作戦を協議しますが
大本営(日本軍(陸海軍)の最高統帥機関)から
十分な部隊は送られてくることはありませんでした

八原参謀は沖縄県知事(神山繁)や上野参謀長(中谷一郎 )からの
勝利を信じ鍾乳洞を利用した陣地を構築して戦いに挑むものの
結果として南部に避難していた島民たちに多大な被害を与えることになります

事実上沖縄は占領され、自決することを決める牛島中将
そこに大勢の兵士たちが逃げ戻って来てしまい
騒乱の中、美学とは程遠い切腹が行われ
長参謀長も後追い自殺するのでした

司令部は孤立し、海軍壕内では太田中将(池部良)が
「県民に対し、後世特別のご配慮を賜らんことを」と書き残し拳銃で自決

組織的抵抗力のなくなった日本軍の(まだ中に兵士や民間人のいる)陣地に
爆薬を投げ込んだり、火炎放射器で焼き払う(掃討作戦)アメリカ軍
日本兵8,975名が戦死、2,902名が捕虜となり(アメリカ兵の戦死は783名)
1945年7月2日、アメリカ軍は沖縄作戦終了を宣告します

アメリカ軍の戦車が通る墓場の前で
老婆が「唐船ドーイ」を歌いながら踊っていました

沖縄返還協定が調印されたのが1971年6月
本作公開は同年8月
沖縄の日本復帰が果たされたのは1972年5月のこと

沖縄県民の目からすれば、戦争の悲惨さはこんなもんじゃないと
不十分なものだとは思いますが
それでもできるだけ史実に基づき、誰にも忖度することなく
2時間半でこれだけ描き切ったことは讃えたい

そうすることが、岡本喜八の自身の戦争映画に対する
「けじめ」だったのかもしれません
【解説】映画.COMより
沖縄戦を舞台に、十万の軍人と十五万の民間人の運命を描く。脚本は「裸の十九才」の新藤兼人。監督は「座頭市と用心棒」の岡本喜八。撮影は「学園祭の夜 甘い経験」の村井博がそれぞれ担当。1971年7月17日より、東京・日比谷映画にて先行ロードショー。
1971年製作/148分/日本
原題または英題:Battle of Okinawa
配給:東宝