鏡(1975)

原題は「ЗЕРКАЛО (鏡) 

  


ALWAYS四丁目 ギドラのお城
 

ギドラ伯爵からの名作DVDのプレゼント第二弾でございます

 

ですが、自分からリクエストしたとはいえ

これはどうレビューしていいものか(笑)

タルコフスキー本人でなければ理解することはできない自伝的私映画

タルコフスキー作品の中でもワケの解らなさでは一番(笑)

まず彼の父親アルセニー・タルコフスキーがどういう人物か知らないといけない

ロシアの詩人で翻訳家で大祖国戦争の参戦者

ソビエト連邦国家賞(死後)、トルクメニスタン社会主義共和国国家賞

カラカルパクASSR国家賞の受賞者というソ連ではすごい人で

(作中では父親の詩がナレーションとして使われている)

タルコフスキーの妹のマリーナ・タルコフスカヤも著名な作家ということ

さらにロシア革命後のソ連の近代史も知っていたほうがいいのでしょう

西欧(カトリックプロテスタント)とは異なる正教の流れ

大祖国戦争ハンガリー動乱プラハの春

ヒトラーの遺体、広島と長崎への原爆投下

毛沢東語録をかざして熱狂する中国人(中ソ国境戦争)

戦勝という国家にとっては誇り高い歴史的出来事にもかかわらず

そのことは他国との溝を深めてしまいます

作家(主人公アレクセイ=タルコフスキー)の鏡に映る自分の顔は

父親の顔であり、息子の顔

別れた妻の顔は、若き日の母親の顔(過去と現在と未来)

どの時代の映像も限りなく美しいけれど、苦悩と苦悶が込めらている

水の出ないシャワー、落ちてくる天井、鶏を潰して笑う

腐って蟲の湧いた井戸の板

タルコフスキーは難解だ、難解だと言われていますが

それが何なのかは、たった一言のセリフでわかります

 

「僕は幸せになりたかっただけ」

 

それを阻んだのは、戦争や社会主義国家による全体主義言論統制のせい

だから 「夢の中で子供に戻り、再び幸せを感じる」

そこには未来が可能性がまだある」から

公開当時ソ連では政治的文脈だ批判され、限定公開になったそうですが

タルコフスキー作品の最高峰であ

史上最高の映画のひとつとして認められたそうです

プーチン政権ではまた替わったかも知れませんが)

プロローグ

少年(主人公の息子イグナートテレビをつけると

吃音の青年が女医から催眠治療を受けている番組で

青年は「私は話すことができようになります

そこから1935年の田舎にタイムスリップ

女(マリア)が柵に座って煙草を吸っていると

通りすがりで医者だと名乗る男が近寄ってきます

マリアが夫がいるというと(本当は夫は出て行ってしまっている)

医者は煙草を一本もらい、煙草を吸おうと柵に座ると

柵が折れてマリアと共に倒れてしまい、笑いながら去っていきます

マリアが家に戻ると、近所の住民に納屋が燃えていると言います

息子のアレクセイと妹と共に火事を目撃します

1970年代(現在)に移るとアレクセイ

年老いた母親(マリア=監督の実母が演じている)とは

あまり関係が良くなくようで、妻のナタリアとは離婚

息子のイグナートはナタリアと暮らしています

ある日電話が来て、同僚が亡くなったことを母親から聞く

再び若い日のマリア、急いで雨の中を走り仕事場の印刷所に向かい

(政治的な意味のある)ある言葉がなかったか、印刷を止め校正を確認します

結果「ある言葉」はなかったことが判明しますが

「ある言葉」は職場の仲間の命も犠牲しかねない危険なものでした

同僚のリサはマリアが利己主義だと非難し

だから夫も出て行ったと彼女を罵ります

現在のアレクセイの部屋ではスペイン人たちが闘牛について話しています

テレビのニュースではスペイン内戦時代の様子や

ソ連初の成層圏飛行船の成功を祝う人々の姿が映し出されている

イグナートが母親に頼まれ、祖母マリアを待っていると

見知らぬ老婦人が、プーシキンからチャアダエフへの手紙の

一節を朗読するようイグナートに頼みます

それはかってロシア(ルーシ)がモンゴル(タタール)からの攻撃に抵抗し

ヨーロッパ・キリスト教を守ったことが書かれていました

なのにヨーロッパの人々はロシアに感謝さえない

玄関のベルが鳴り、祖母がやって来ますがイグナートを孫だと気づかず

「部屋を間違えた」と去っていきます

イグナートが玄関から戻ると老婦人の姿は消え

テーブルには紅茶のカップの跡だけが残されていました

その跡も(湯気のように)みるみる消えてしまいます

すると父親アレクセイから電話が来て

好きな女の子はいるのかという話になります

アレクセイは少年のころ初恋の、赤毛で唇の荒れた女の子を思い出します

それは戦時中の厳しい訓練で、軍事教官から射撃を学んでいる時でした

回れ右は360度回るのだと、元の位置に戻るややこしい男の子

タルコフスキーらしい 笑)

ひとりの訓練生がふざけて手榴弾を投げると

教官は手榴弾の上に覆いかぶさり、訓練生たちを守ろうとします

しかしそれは模擬弾で爆発しませんでした

黙って帽子を拾う教官

戦後少年アレクセイ久しぶりに父オレーグと再会します

現在のアレクセイは、息子のイグナートに(金銭的)恵まれた環境を与えるため

妻ナタリア再婚するか、自分がイグナートをひきとることを提案します

ナタリアに父アレクセイと暮らすかと問われたイグナートは

アレクセイと暮らすことを拒否します

それからしばらくして、アレクセイは病床に伏せてしまいます

再び若い日のマリア、少年アレクセイを連れて医者の妻を訪ねます

マリアはお金がないのでしょう、アレクセイは汚れた裸足で

マリアは夫人にイヤリングを売ろうとしています

医者夫婦の2歳になる赤ちゃんが、この映画に似合わず無邪気に笑う

鶏を差し上げるので斧で絞めてくださいと言う夫人

鶏の首を刎ね、お金を受け取らず帰ってしまうマリア

フィナーレ

若いマリアが幸せそうに、夫のオレーグ草原で抱き合い

男の子と女の子どちらがいいかと聞いています

アルクセイを身籠っている)

次に年老いたマリアが、アレクセイと妹と歩いています

でもそれはアレクセイと妹でなく、兄妹そっくりな近所の子どもでした

なぜ?

両親の愛が消えたのも、幼い兄妹が母親から愛されなかったのも

大人がわが身しか守れなくなった背後には

ソ連という国民への政治的弱肉強食国家があったから

タルコフスキーはそう信じていたのかも知れません

 

【解説】映画.COMより

ロシアの名匠アンドレイ・タルコフスキー監督が1975年に手がけた自伝的作品。木立に囲まれた祖父の家で、たらいに水を張って髪を洗う母。干し草置き場で火事があった年、父は家族のもとを去った。そして今、母からの電話で夢から醒めた“私”は、母が印刷所で働いていた頃の同僚が死んだことを知らされる。“私”も両親と同じように妻ナタリアと別れ、息子イグナートと離れて暮らしている。第2次世界大戦、中国の文化大革命中ソ国境紛争などの記録映像を挟み込みながら、過去と現在を巧みに交錯させ、母への思慕や別れた妻子との関係を浮かび上がらせていく。母の場面では、タルコフスキー監督が自ら実父アルセニー・タルコフスキーの詩を朗読。

1975年製作/106分/ソ連
原題または英題:Mirror
配給:日本海映画