郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942)

「靴を履いて寝るのは死人だけだ」

原題は「Ossessione」(妄執

原作はジェームズ・M・ケインの「The Postman Always Rings Twice

郵便配達は二度ベルを鳴らす 1934

しかし原作者の許可を得ることなく、違法に映画化

公開数日で上映禁止となり

二次大戦中はネガをナチに没収され(戦後ヴィスコンティ自身が復元)

長らくヴィスコンティの「幻の処女作」と呼ばれたそうです

 

1946年版、1981年版はアメリカ映画だけに

終盤は裁判、弁護士の役割が大きいですが

こちらは法律抜き(笑)

自由を求める男と、安定を求める女

女の凄さと男の落ちていく感じのさすが

ヴィスコンティらしい同性愛的なシーンもあります

そしてジョン・ガーフィールドジャック・ニコルソンに比べて

マッシモ・ジロッティの色気のあること

マーロン・ブランド似で「馬のような肩」を持つ男(笑)

情欲に捕らわれた人妻が気を惹こうとするのもわかる

でもその彼が意外にも儚く、あっけなく壊れていくんですね

しかも自分だけじゃなく相手まで苦しめるダメンズ(笑)

北イタリア、ポー川沿いのガソリンスタンドに停まったトラックの

荷台から降りてきた放浪者がリストランテに入っていきます

厨房から聞こえる女の歌声、男を見たときの女のはっとした顔

男は食事はあるかと勝手につまみ食いして小銭を払い出ていきます

女は小銭を隠し太っちょの旦那に無銭飲食だと彼を追わせると

女の意思を悟った男は、飲食代の代わりに車を修理すると言いました

太っちょが部品を取りに行っている間(さらに釣りのため寄り道)

ジーノは女ジョヴァンナと寝室を共にします

なんて早い(笑)

ジョヴァンナは旦那のブラガーナが召使いのように働かせ

ケチだし気持ち悪いと愚痴をこぼします

確かにブラガーナは年上のデブで、家庭より男同士の付き合いを優先

モラハラなところはありますが、それほど酷い男じゃない

ジーノをしばらく雇おうとするお人好しだし

妻のことを考え(保険金をかけているニュアンス)

子どもも欲しがっている

日雇いで身銭を稼いできた根無し草のジーノは

広い世の中は知ってるかもだけど、結婚については無知

ジョヴァンナの言葉を真に受け、駆け落ちして旅に出ようとします

だけどジョヴァンナはすぐに引き返してしまう

いくら旦那のことが嫌いと言っても、彼女にとって大事なのは

安定した生活とリストランテだったのです

ひとり列車に乗るジーノ、だけどキップもお金もない

すると旅芸人で「スペイン人」と呼ばれる男が助けてくれます

彼はお金が入ったら困ってる人のために使う

宵越しの金は持たない主義

ジーノから女との事情を聞いたスペイン人は

一緒に仕事をしようと誘います

 

ベッドのランプを消しマッチをすり

ジーノの背中をそっと眺めたあとタバコに火をつけ消す

翌朝起きるとジーノがいなくなっている切ない表情

お祭りで偶然ジョヴァンナとブラガーナに再会したジーノが

友達を会うと言ったときそっとお札を1枚を渡し

そして祭が終わっても戻ってこないジーノを探すのでした

この一連のシーンは美しい(ホモ臭さ満開だけど 笑)

一方ブラガーナの「のど自慢大会」に付き合うことになったジー

ブラガーナの歌ったアリアは拍手喝さい、シャンパンを飲み気分も最高

帰り道、酔っ払ったブラガーナと車の運転を交代するジー

「どこだ」「500メートル先よ」

 

翌朝、横転した車とブラガーナの死体

警察の事情徴収を受けているジー

警察は目撃者のトラックの運転手の

車から飛び降りたというジョヴァンナが

「帽子をかぶりバックを持っていた」という証言を不審に思いますが

特に取り調べることなくふたりを放免します

ここからリストランテの経営に意欲を燃やすジョヴァンナと

罪の意識に苛まされるジーノに溝が生まれていきます

ジョヴァンナは働き者で経営の才能もあるんですね

音楽隊を呼んでパーティを開けば店は大繁盛

ジーノは完全にヒモ状態

だけど彼女の食事の仕方から育ちがわかる演出の巧さ

 

そんなときスペイン人が会いに来てくれました

嬉々として駆けだすジー

スペイン人は旅に出ようと誘いに来たのでした

でもブラガーナを殺したストレスと

「おまえは自分が分かっていない」と言うスペイン人のひとことで

カッとなったジーノはスペイン人を殴り、怒ったスペイン人は去り

我に返ったジーノは追いかけますが、彼に声は届きませんでした

一部始終を見ていた刑事はスペイン人を取り調べ

目撃者のトラック運転手(2人組)を、もう一度呼び証言させます

ジーノの逮捕の決め手にはなりませんでしたが

警察はジーノを尾行することにしました

 

町に出たジーノは編み物をするアニタという女性と知り合います

彼女は巡業でダンサーをしており、今は店(売春宿)にいるといいます

スペイン人と同じ、彼女も自分の分身の姿なんですね

一定の地に留まらない、常に新しい居場所を探してる

ジーノがアニタを見送ると、戻ってきたジョヴァンナは

ブラガーナの多額の保険金がおりたことを教えます

保険金殺人を手伝わされたと怒るジー

それはジーノの勘違いですが、ジーノはジョヴァンナを置いて

アニタに会いに行くのでした

 

ランチを買いに出たふたりの姿を見たジョヴァンナは

警察に全部打ち明けるとジーノを責めます

ジーノはジョヴァンナをビンタする

周囲の人たちがふたりに寄ってくる

(スペイン人を殴るシーンと反復する)

人ごみをかきわけてアニタのもとへ去るジー

人ごみがいなくなり、ひとり残されるジョヴァンナ

アニタとひとときを過ごしたジーノは

部屋の窓からカフェにいる刑事を見つけます

ジョヴァンナが密告したと思ったジーノは

アニタに「手配の男は1時間前に帰った」と

刑事に伝えてくるように頼みます

刑事は去り、アニタが部屋に戻るとジーノはいませんでした

アニタジーノと逃げるつもりで彼を助けたのに

彼女の瞳から涙がこぼれる

(残されたジョヴァンナと反復する)

駅は警察の見張りでいっぱいで

ジーノはジョヴァンナの部屋に逃げ込み彼女を罵倒します

その様子を鍵穴から覗く(突然現れた下働きの)幼い子ども

ジョヴァンナは警察に密告などしていませんでした

ジーノを責めることもしませんでした

なぜならジーノの子を妊娠したことがわかったから

お腹が膨れて醜くなった姿さえ愛しいと思える

 

「俺はひどい人間か」と問うジー

無垢な子どもも、彼のまた分身なのかも知れない

ジーノは生まれ変わり、ジョヴァンナを大切にする決意をします

ジョヴァンナも生活もリストランテも大事だけど

今は子どものために、ジーノを守ることが先決

彼と逃げる決意をします

だけど殺人を犯し、人の好意を裏切り傷つけてきたことを

神様は許してくれませんでした

 

車はトラックに衝突し川に転落

ジョヴァンナの首には大きな傷があり

すでに息絶えていました

 

そして二度目は警察も事故とは思わない

ジーノの死刑が確定した瞬間でもありました

 

郵便配達は二度ベルを鳴らす」というタイトルは

アメリカの郵便配達員が二度ベルを鳴らす習慣から

それによって住民もベルを鳴らしているのは配達人だとわかるわけです

本作の出版を13社から断られはジェームズ・ケインは

やっと採用が決まった14社目に「タイトルをなんとつけるか」と尋ねられ

出版社からの返事の手紙(2度のベル)を待ち続けたケインは

このタイトルに決めたそうです

なので映画にも郵便配達もベルも出てきませんが(笑)

タイトルにこじつけたと思われる

2度の反復がうまく起用されています

 

無知と愚かさ

ただ人並みに幸せになりたかっただけなのに

誰も幸せになれなかった

 

決して完成度が高いとはいえませんが、大戦中に撮影した勇気と凄さ

(当時のヴィスコンティは左翼派でファシズムだった)

そのことが「最初のネオレアリズモ映画」と言われている

所以のひとつかも知れませんね

 

 

【解説】allcinema より

戦中の、しかもイタリアでのJ・M・ケインのインモラルな犯罪小説の映画化は、より濃密な男女の欲望の彷徨を描いている。ネオレアリスモの先駆と言うよりも、その後のアントニオーニやベルトリッチの到来を予感させるような、ヴィスコンティの驚くべき処女作である。舞台はカリフォルニアから北イタリアのポー河沿いということになり、登場人物の名もそれぞれイタリア風に改められているが、物語の骨子は原作や後のハリウッドでの映画化作品とも変わらない。ただ、もっとむせ返るような官能に包まれて、不倫カップルの、夫殺しのサスペンスより、ただそうせねば愛を貫けない息詰まる情愛を丹念につづっている。陰影の強い黒白画面に呑まれそうだ