わが命つきるとも(1966)

原題は「A MAN FOR ALL SEASONS」(どんな状況でも頼りになる人間)

ユートピア」の著作で知られるイングランドの大法官(官職)、法律家

人文主義者のトマス・モアが反逆罪で処刑されるまでの物語

 

8年ほど前に鑑賞してレビューしているんですけど(笑)

この8年間、ヘンリー8世やキャサリン・オブ・アラゴン

ブーリン家の姉妹をテーマにした映画を見てきたおかげで

初見より理解できたような気がします

ことの次第

1501年兄アーサーが急死

1509年父ヘンリー7崩御、ヘンリー8世が即位

兄弟の妻と結婚することは教会法上禁止されていましたが

スペイン(カスティーリャアラゴン連合)の関係を保つため

ローマ教皇の赦しを得て2ヶ月後

ヘンリー8世は兄アーサーの妻キャサリンと結婚

キャサリン王妃は死産、流産を繰り返したものの

1516年ようやくメアリー王女(後のメアリー1世)を出産

ヘンリー8世(ロバート・ショウ)は利己的で好色家、多くの愛人を持ち

エリザベス・ブラントとの間に息子ヘンリー・フィッツロイをもうけ

(ヘンリーに認知された唯一の庶子で初代リッチモンド公およびサマセット公)

キャサリン王妃の侍女メアリー・ブーリンと関係を持ち

2人の子はヘンリーの子である可能性が高いが認知はされなかった)

次にメアリーの妹アン・ブーリンヴァネッサ・レッドグレイヴ)を求めますが

アンはメアリーとは違い愛人になることを断固と拒否し

正式な結婚を求めてきたのです

世継ぎとなる嫡出の王子を儲けるためにには

キャサリン王妃と離婚し、アンと結婚するのがてっとり早い

しかしカトリック教会から面倒な離婚の承認など受けたくない

ヘンリーは敬虔な信者としてカトリック教会からも

議員として国民からも信頼されているトマス・モア(ポール・スコフィールド

自由に離婚できる法案を認めてくれと詰め寄るのですね

しかしモアは「教皇が認めない限り離婚を正当化するいかなる根拠も無い」

とヘンリーの申し出を断るのです

そしてヘンリーによるモアへの復讐が始まります

査問委員会にかけられ、反逆罪ロンドン塔に幽閉され

153576斬首刑に処されます

遺体の首はロンドン橋に晒されたということです

ローマ教皇に離婚を認めてもらうのが面倒だという理由だけで

結果ヘンリーは6度の正式な結婚をしますが

どの結婚も幸せだったとは言えないでしょう

信念を貫く男を描かせたらこの人、フレッド・ジンネマン

豪華な俳優陣にセット、どれをとっても申し分ないですね

モアの妻はウェンディ・ヒラー、娘にスザンナ・ヨーク

巨漢の枢機卿オーソン・ウェルズ

出世のためなら魂も売るリッチにジョン・ハート

ヘンリーの側近の悪漢クロムウェル、レオ・マッカーン

大きな歴史の流れと裏切りに、たったひとりで立ち向かった男

悲しくも美しいドラマなのです

トマス・モアは没後400年の1935

カトリック教会と聖公会で聖人になったそうです

 

 

【解説】KINENOTEより

ドクトル・ジバゴ」のロバート・ボルトが彼自身の戯曲を脚色、「日曜日には鼠を殺せ」のフレッド・ジンネマンが製作・監督した作品で、アカデミー賞の作品賞に輝いているほか、数々の賞を獲得している。撮影は「モール・フランダースの愛の冒険」のテッド・ムーア、音楽は「カトマンズの男」のジョルジュ・ドルリューが担当した。出演は英国舞台俳優のポール・スコフィールド、「息子と恋人」のウェンディ・ヒラー、「モール・フランダースの愛の冒険」のレオ・マッカーン、「バルジ大作戦」のロバート・ショウ、「パリは燃えているか」のオーソン・ウエルズ、スザンナ・ヨークほか。総指揮はウィリアム・N・グラフ。

イングランド国王ヘンリー8世(ロバート・ショウ)は、若く精力旺盛であった。彼は王妃キャサリンと離婚し、王妃の侍女であるアン・ブーリンとの結婚を考えていた。しかしローマ・カトリックが国教であるイングランド国王の離婚には、ローマ法王の許しを得なければならなかった。王の2度目の結婚を法王に弁護できる者は、サー・トマス・モア(ポール・スコフィールド)をもって他にないと考えられた。モアは王の高等評議会の一員で信仰心あつく、ヨーロッパ中の人々から愛されていた。ある時、モアがチェルシーの領地で、妻のアリス(ウェンディ・ヒラー)、娘のマーガレット(スザンナ・ヨーク)や友人たちとの宴を楽しんでいると、ウォルジー枢機卿(オーソン・ウエルズ)からの使いが来て、ハンプトン宮殿へ召喚された。枢機卿はモアに、ヘンリー8世と王妃の離婚を法王が承認するよう取りはからうように依頼する。しかしモアはそれを拒否した。1年後、ウォルジー枢機卿は王の離婚実現に失敗し、大寺院で寂しく死んだ。ある夜ヘンリー8世がモアの館を訪れた。今や大法官の地位に就いているモアは、王に忠誠こそ誓ったがローマ・カトリックへの信仰から王の離婚に決して賛成しなかった。間もなく評議会がカンタベリー大寺院で招集され、国王はローマ法王に対する忠誠を放棄し、自ら英国教会の主となることが発表された。そうして王はキャサリンと離婚し、アン・ブーリンと結婚式を挙げた。大法官の地位を躊躇なく棄てて、一市井人として静かな生活を送っていたモアだったが、ヘンリー8世が発布した国王至上法に反対したため、大法官秘書クロムウェル(レオ・マッカーン)の策により、査問委員会にかけられる。遂にモアは反逆罪で逮捕され、ロンドン塔に幽閉された。やがて彼はウエストミン・ホールの裁判にて死刑宣告を受けモアは長い沈黙を破り、こう宣言した。「私は王の忠実な召使いとして死にます。だが王よりも第一に神のために死ぬのです!」と。