堀辰雄の同名小説の映画化
作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」(風が渡っていく、さあ生きていこう)
という詩句、はポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀本人が訳したもの
「私」の婚約者、節子のモデルは堀と1934(昭和9)年9月に婚約し
1935(昭和10)年12月に死去した矢野綾子という女性のこと
映画のほうは太平洋戦争真っただ中の1942~1944年ごろが舞台だと思います
軽井沢に住む元外交官の水沢(芦田伸介)は学生たちを家に招いては
食事や酒をふるまっていました
そのなかのひとり結城達郎(三浦友和)と
ひとり娘の節子(山口百恵)はお互い惹かれあっていました
(何がびっくりするって、若い頃の松平健 笑)
なのに百恵ちゃんの叔母は次から次へと
百恵ちゃんにお見合い話を持ってきます
友和さんは百恵ちゃんの父親に結婚を申し込みに行こうとしますが
家族から「お前は戦地へ行く人間だ。死地へ行く者が彼女を幸せにできない」
(死ぬこと前提 笑)と結婚に反対し
友和さんもそれを受け入れ遠く離れた大学に進学します
そのことを父親から知らされた百恵ちゃんは
いきなり「ゴホゴホ」と咳をしだして、倒れてしまいます
この瞬間結末はわかってしまうのですが(笑)
百恵ちゃんと別れ、酒に溺れていた友和さんは
百恵ちゃんが結核だと知り急遽帰省し
付ききりで看病するのでした
戦争中とはいえ、ふたりとも良家の子女なので
生活に困っている様子は全くありません(笑)
ただ今の新型コロナと一緒で当時の結核には特効薬がなかったんですね
回復するには安静と換気としっかり栄養を摂るくらいしかありません
それでも友和さんの献身的な介護で百恵ちゃんは元気になります
そこに日本軍から学徒出陣の命令が下され
友和さんも急遽戦場に向かうことになります
そこでやっと「戦地から生きて帰る希望を」と
友和さんの父親は百恵ちゃんとの結婚を許すのでした
しかし友和さんが旅立つその朝
百恵ちゃんは息を引き取ってしまいます
若い男女の悲恋物語ですが、 往生際はまったく映さないので
最後までしんみりとすることはありません
そんななか診療所の少年が亡くなって母親が泣き叫ぶのと
芦田伸介さんが電話口で娘の死を報告するのが(名演)
唯一”死”を感じるシーン
この時代は恋人や夫が戦死してしまう
または戦場から生きて帰れても、好きな人が死んでしまっていた
という話が山ほどあったんだろうな
そしてこういう病弱だったり、死んでしまう役ばかりの百恵ちゃんに憧れて
「身体が弱くなりたい」と願った多くの女の子の中の私もひとり(笑)
関係ないけど現在の百恵ちゃんも年齢不詳なんだろうか(笑)
【解説】スポンサーリンクより
『風立ちぬ』1976年製作の日本映画。山口百恵主演文芸作品第5弾。
前作『エデンの海』でコンビを解消したかのように思われた山口百恵と三浦友和コンビが復活して大ヒット。『絶唱』と同様、悲恋映画である。
山口百恵は当時の不治の病である結核で亡くなる役を熱演。若杉光夫監督作品。往年のスター芦田伸介、河津清三郎、宇野重吉らが出演。若き日の森次晃嗣と松平健が初々しい。