原題は「JACQUOT DE NANTES」(ナントのジャコット)
ナントとはフランスのロワール河の河口にある都市で
ジャック・ドゥミ(=ジャコット)の故郷のこと
アニエス・ヴァルダが、病気を患い映画監督から離れたドゥミのために
ドゥミの少年時代を描いた作品
小さな男の子だったドゥミがどのようにして映画と出会い
映画を作るように至ったのかを優しく丁寧に伝えています
ドゥミの代表作といえばミューズ、カトリーヌ・ドヌーヴ主演作の
「シェルブールの雨傘」(1964)や「ロシュフォールの恋人たち」(1967)ですが
自分が生まれ育ったナントを舞台にした作品も多く
本作のロケーションもナントで、ドゥミの生家でも撮影されたそうです
幼い頃からオペラや人形劇に親しんできたドゥミは
自作で段ボールで人形を作ってみたり
ディズニーアニメに大きな影響を受け
やがて中古の手動式映写機を手にし
近所の子どもたちを集め芝居をさせた実写映画や
コマ撮りアニメを制作するようになります
上映会はリビング、観客は家族だけ
ほんの数十秒かも知れない動画を両親は称える
こういう子どもの頃の体験って大切なのだろうな
どんどん映画に夢中になっていくドゥミ
だけど父親の要望は、息子が堅実な職に就くこと
高等職業学校に進学させられることになります
普通の少年ならここで反発するのでしょうが
ドゥミは職業訓練を受けながら、映画の道も諦めてはいませんでした
工業学や整備士の資格もしっかり所得し、余暇には美術学校に通う
高校を卒業する頃には、ドゥミが映画の道を進むことに
父親が反対することはありませんでした
そうしてドゥミはパリの映画学校(ETPC写真撮影技術学校) に
通うことになるのです
物語の途中途中に挿入される、晩年のドゥミの顔のアップ
瞳、眉毛、皺、シミ、白髪・・
アンタどれだけ旦那フェチなの(笑)
ヴァルダにとってドゥミが自分の一部であることがよくわかる
ドゥミはこの撮影中に死去してしまい
ラスト、海辺の彼と寄せる波
回想するドゥミを回想するヴァルダ
人形劇が終わっても席を立たない少年は言う、「また幕が開くよ」
映画監督、アニエス・ヴァルダ
1962年 ジャック・ドゥミと結婚、1991年ドゥミと死別(59歳没)
ドゥミの希望で死因は白血病と発表
しかし死後数年後、ヴァルダは自身のドキュメンタリー映画で
夫はエイズだったと打ち明けます
1980年代、バイセクシャルだったドゥミは
ヴァルダと離れて暮らす時期がありました
再びふたりは近づき、お互い再発見しあいましたが
やがてエイズ発症
まだエイズや同性愛に対する風当たりは強く
ドゥミはエイズと知られるのを恐れ、その事に多くのエネルギーを使いましたが
ヴァルダは夫がエイズであることすら受け入れました
夫の自分の知らなかった部分までこんなに愛せるなんて
美しすぎて泣ける
これはシネフィルから、シネフィルへのラブレター
こんなふうになれたならな、と憧れます
【解説】映画.comより
「シェルブールの雨傘」など数々の名作を生んだジャック・ドゥミ監督の映画愛に溢れた少年時代を、ドゥミの妻アニエス・バルダ監督が愛情を込めて映画化。晩年の本人の姿や代表作の名場面を織り交ぜながら、ドゥミの創造の源となった幼い日々の思い出を優しいまなざしで描く。フランス西部の港町ナントで暮らす8歳の少年ジャコは、自動車修理工場を営む父と髪結いの母のもとで幸せな毎日を過ごしていた。ある日、ジャコは友人から映写機を借りたことをきっかけに、映画づくりに熱中するようになっていく。