原題は「Addams Family Values」
Value(バリュー)には価格のほかに、論理や価値観という意味もあります
前作に引き続き「他人と違うことを否定しない」がテーマですが
笑えるか引くかギリギリのところをついてくるギャグ
しかもやり返しは「半沢直樹」の倍返しどころじゃない(笑)
ゴメス(ラウル・ジュリア)とモーティシア(アンジェリカ・ヒューストン)の
あいだに次男ピューバートが生まれ
”新しい子どもが生まれると上の子はいらなくなる ”という
アダムス家の言い伝えを信じている
ウェンズデー(クリスティーナ・リッチ)とバグズリーは
ピューバート殺害を企てています
そこでゴメスとモーティシアは住み込みのナニーを雇い
ピューバートの面倒をみてもらうことにしました
やってきたのは金髪美女のデビー(ジョーン・キューザック)
実は彼女、遺産目当てに富豪の男と結婚する連続殺人犯
兄フェスター(クリストファー・ロイド)の持つ莫大な財産を狙い
屋敷にやって来たのです
もしかしたらこの映画が”キモかわいい”の元祖なのかも知れません
顔面蒼白の髭赤ちゃん、ピューバートがラブリーだし
クリストファー・ロイドも、悪女のジョーン・キューザック デビーも
主演作の中でいちばん可愛いんじゃないかな
そして我らがクリスティーナ・リッチ様
自分のイメージ作りのためには胸を小さくする手術までしたとか
(元が巨乳って言うのもズルいが)
デビーの策略によってウェンズデーとバグズリーが
ひと夏をサマー・キャンプを過ごすことになり
同じくキャンプに参加する(白人の)女の子や指導員から
事実上の差別や虐めを受けるのと
フェスターがデビーの魔性の虜になり、骨抜きにされついには結婚
財産を使われ家族と引き裂かれる様子が並行して描かれます
反省小屋でディズニーのアニメ
演劇の役決めは、ワスプかワスプ以外か(ROLANDか 笑)
一方のフェスタ―はデビーに白いスーツを着させられ
金髪のカツラをかぶせられる
アメリカでは政治と映画のテーマって
ものすごく強く繋がっているような気がして
この映画が製作された1993年は、大統領がジョージ・H・Wブッシュ から
クリントンになった年
(その後クリントンの不倫騒動を揶揄した「パーフェクト・カップル」(1998)
という映画も制作されましたが)
だけどアダムス一家は不死身、その理由はメンタルの強さ
保護者見学の寸劇でインディアンに扮したウエンズデーが先住民弾圧の歴史を語り
火を放って劇をめちゃくちゃにする気分のいいこと(笑)
「キャリー」(1976)をちゃっかりパクってるのもツボ
でもラストは、ちょっとハッピーエンドの予感
ウェンズデーには好きなってくれる男の子
フェスタ―にはフェスタ―そっくりな、運命を感じる女性が現れます
人気作品の続編としては、希少な前作にも負けない良い仕上がりで
(ハンドくんの出番が少ないのが唯一の不満 笑)
いかにも「アダムス・ファミリー3」ありき終わり方でしたが
ラウル・ジュニアが急死してしまったため(1994年54歳没)かないませんでした
自分の行動が周囲から浮いているのかも、とか
”変わっている”と嘲笑されているような気がする、とか
もしそんな悩みを持っている人がいたなら見てほしい
たとえ人と考えや、見た目が違っても
自分たちのアイデンティティー(自分は自分である)を貫く、という
強さと魅力を教えてくれるのだから
(現実には、度の過ぎたイタズラはダメよ 笑)
【解説】KINENOTEより
オバケ一家の奇想天外な日常を描いたホームコメディの続編。原作は『アダムスのオバケ一家』のタイトルでTVシリーズ化もされたチャールズ・アダムスの同名漫画。監督はカメラマン出身で前作で監督デビューした「バラ色の選択」のバリー・ソネンフェルド。製作は前作に続き、「ザ・ファーム 法律事務所」のスコット・ルーディン。撮影はドナルド・ピーターマン。音楽はマーク・シャイマンで主題歌はラップ・デュオのPM・ドーン。美術は「ロシア・ハウス」のケン・アダム。SFX はアラン・ムンローが担当。主要キャストも前作同様で、「推定無罪」のラウル・ジュリア、「グリフターズ 詐欺師たち」のアンジェリカ・ヒューストン、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのクリストファー・ロイド、「恋する人魚たち」のクリスティーナ・リッチなど。