原題は「PERSONA」(人格)
「魔術師」(1958)も「口の利けない(利かない)」主人公だったので
気になって2度目の観賞(あらすじ、ネタバレあり)
映写機のカーボンライト、回るフィルム、子どもの手、どたばた喜劇
蜘蛛、生贄の羊、鳥の内臓、眼、釘を打ちつけらる手
海岸、老婆の顔、レールモントフの「現代の英雄」を読む少年
ヴェトナムの焼身僧、 ナチスに連行されるユダヤ人一家
ぼやけた女性の顔を手でゆっくりまさぐる少年
本作は冒頭から前衛的過ぎて(笑)
意味ワカンナイ系に思えるのですが
ベルイマンは1作につき2回以上見ないとだめですね
冒頭で女医がしっかりネタバレしていました(笑)
「(エリーサベット)は本来の自分でありたいが、演技しているので
本当の自分と仮面との間のギャップに苦しんでいる
本当はさらけ出して無になりたいが、そうはなれず
死ぬこともできず
かといって演技したくないから沈黙している
でも本当のあなたには誰も興味を持ってない」
いわゆる「ドッペルゲンガー」
極限状態に置かれた人間の相克と確執を描いたもの
なんでもビビ・アンデションが「私とよく似た女優がいるの、あなたの好みだわ」と
ベルイマンにリヴ・ウルマンを紹介したのがきっかけで
ベルイマンは本作の企画を思いつき、公私ともにパートナーとなり(事実婚)
10本の映画を製作したそうです
(ビビ・アンデションがスゲエ 笑)
恋人が映画初出演で、しかも主役に抜擢したとなると
まずは「口が利けない」ヒロインという設定も頷ける(笑)
芸術世界や哲学的な表現ばかり称えられているけど
ベルイマンって女好きのエロ全開に感じてきた
(ベルイマン様にそんな批評するのはオマエだけだ)
【ここからネタバレあらすじ】
舞台上で言語障害を起こした女優のエリーサベット(リヴ・ウルマン)と
彼女を介護することになった看護師アルマ(ビビ・アンデション)
アルマは女医にもっとベテランの看護師のほうが向いていると言いますが
女医の海辺の別荘でひと夏の間、転地療養することになりました
ふらりだけの生活、看護師の制服を脱いだアルマは
沈黙するエリーサベットの心を開かせようと常に語りかけていました
やがて看護師としてではなく、ひとりの女性として自分自身を語り始め
妻のいる男と5年もの間不倫していたこと
婚約者を愛していること
夏の海辺で少年との乱交を楽しみ、その後堕胎したこと
口の利けないエリーサベットをセラピーするつもりが
自分のほうが心に隠していたことを顕わにしてしまいます
エリーサベットとアルマは秘密を共有したことで親密になり
穏やかで充実した日々を過ごしていました
しかしある日、エリーサベットから女医への手紙を投函しに出かけたアルマは
封筒に封がされていないことに気が付きます
これは誘惑にかなわない(笑)
そこには、アルマがをエリーサベットを崇拝していること
堕胎したなど話してくれたことが書かれていました
エリーサベットは自分を観察して楽しんでいる
怒ったアルマは別荘に戻り
湯の沸騰した鍋をつかみエリーサベットにむかってかざすと
エリーサベットは恐怖でついには大声をあげます
さらにアルマは「あなたの心は病んでいる」とエリーサベットを激しく募り
彼女のほうも怒ってしまいます
さすがに言い過ぎたことを後悔して謝罪したアルマせしたが
エリーサベットが二度と口を開くことはありませんでした
ある嵐の深夜、エリーサベットの夫が訪れ
アルマのことをエリーサベットと見間違えます
アルマが自分がエリーサベットではないと言っても
「息子が会いたがっている」と話しかけ
アルマも夫に対してエリーサベットとして振舞うようになり
そして抱かれてしまいます
アルマは(アルマが知るはずのない)エリーサベットの物語を語るようになります
(演技で)母性が欠けている、というパーティー客の批評を気にして妊娠したこと
息子の死産を願ったこと、息子を憎んだこと
親類に息子を預けて女優に復帰したこと
ふたりの境界は曖昧になり
心と身体は感応しあい、同体感覚をもつようになる
アルマの顔がエリーサベットの顔にすり変わり
ふたりの顔が縦半分で合成され、一つの顔になる
自分はエリーサベットなのかアルマなのか
アルマは病院の制服に着換える、だけど混乱は終わらない
エリーサベットと対峙するアルマ
エリーサベットはアルマに噛みつき、アルマはエリーサベットをぶつ
アルマの鼻血をすするエリザベート
「みんな嘘と芝居なのよ」
ある朝アルマが目覚めると、荷物をトランクにまとめエリーサベットが去っていく
アルマは鼻歌を歌い、別荘の片付けが終わると
ひとりバスに乗り海辺の別荘を離れるのでした
ひとりは沈黙し、ひとりは常に語り続ける
ラスト、再び女の顔をまさぐる子ども
フィルムが焼ける、そして暗闇
現世と冥界の狭間のような美しさ
そして監督のカメラ
【ネタバレあらすじ終了】
実はベルイマン、出たがりだったのか!
ベルイマンがここで描いているのは「actrice」(女優)ではないか
というのが私の今回の解釈
エリーサベットという女優が、アルマという精神病棟の看護師の役を与えられ
どう演じるか模索し、その答えを見つける
そして当時の女優は実際、中絶や育児放棄することが多かったのでしょう
(BBなんて代表者みたいなもんだし)
「見るものは 見た、 知るものは 知った」
「魔術師」の魔女の言葉こそが、格言のような気がします
【解説】映画.comより
スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンによる心理ドラマ。舞台女優のエリザベートは仕事も家庭生活も順調で何不自由ない生活を送っていたが、突如として失語症に陥ってしまう。海辺の別荘で療養生活を送ることになった彼女は、献身的に世話をしてくれる看護師アルマと親しくなる。しかし共同生活を続けるうちに、互いの自意識の仮面が徐々に剥がれ落ちていき……。「野いちご」のビビ・アンデショーンがアルマ役、「秋のソナタ」のリブ・ウルマンがエリザベート役をつとめた。第2回全米批評家協会賞で作品賞・監督賞・主演女優賞(ビビ・アンデショーン)を受賞。日本では1967年に初公開。2018年の「ベルイマン生誕100年映画祭」(18年7月~、YEBISU GARDEN CINEMAほか)でリバイバル上映。