少年(1969)




「行ったよ。北海道には行ったよ」



19668月に報じられた「子供を使った当たり屋」事件
大島渚はこの事件に衝撃を受け
報道の十日後には同志と構想を練ったといいます

しかしメジャー会社はどこも映画化には乗り出してくれず
ATG日本アート・シアター・ギルド 1992年活動停止)
製作することになりますが
ATG作品は、ATGと製作者がそれぞれ
500万円ずつ出資、1000万円以内で
映画を作らなければいけないそうです

結果として倍の製作費がかかり
監督はもちろん、プロデューサー、脚本家などのメインスタッフ
メインキャストの渡辺文雄小山明子のギャラを切り詰め
資材や労力は現地で無償提供してもらい
食事は朝夕二食のみという過酷な節約をしたそうです



「少年」を演じた阿部哲夫は
「愛隣会目黒若葉寮」という養護施設にいた小学校四年生
父親はすでに亡く、継母や引き取り先を転々とさせられるという
複雑な環境に育ったのち、集団生活していたのを
大島監督は一目で気に入ったそうです

この阿部少年の顔が凄い
生まれ持ったその「顔」が、この映画の全てを語り
タイトルロールの黒い日の丸で、もうやられてしまいます



一家の「父権」で継母(小山明子)に当たり屋をさせ
運転手を脅しては示談金を騙し取る父親(渡辺文雄
やがて両親は少年に当たり屋をするように説得します

家族は高知から北九州、松江と移動しながら
高級旅館に泊まり、芸者を呼び、飲めや歌えやの生活

母は妊娠しますが、父に堕胎するよう命じられて福井へ
しかし母は少年に口止め料として腕時計を買い与え
産婦人科へは行きません

山形では、父に内緒で少年と母のふたりで仕事をするようになり
やがて北海道



一家が小樽へ着いた時、両親が喧嘩
父が少年の時計を投げ捨てると、チビが時計を拾おうと道路に飛び出し
チビを避けようと一台のジープが電柱に激突
助手席に乗っていた少女は、顔に一筋の血を流し死んでいました

少年は少女の赤い長靴を持ち帰ります


カラーの場面と、モノクロの場面が不思議とマッチ

少女の死に顔と、赤い血が美しすぎます
そしてチビの存在と画的な効果



父や母より、少年のほうがずっと冷静で
自分が「家族を守らなきゃいけない」と思っていたのでしょう

だけど大人も神もあてにならない
誰も助けてくれない
だからアンドロメダ星人に希望を託し、救いを求めるのです

そんな少年の願いがかなったのか
当たり屋稼業に潮時を感じた父母は
大阪でやっと普通の生活を取り戻そうとします
しかしその時、事件は発覚し一家は逮捕されてしまいます



少年はかたくなに犯罪を否定し
証拠写真は「自分ではない、それは宇宙人だ」
事件現場にも「行ったことない」と言いはります


だけど移動中の列車から海が見えたとき

「海が好きか、飛行機に乗ったんだってな、きれいだったろう」
と刑事が話しかると

突然少女の死を思い出し
自分たちのしてきたことが「犯罪」だったと気が付くのです
そのことは父親との決別を意味するものでした

涙を流す少年
子どもにこんな辛い思いをさせる親なんて



映画はここで終わりますが
その後継母は37歳で子宮がんで死去
父は出所後、行商をしながら24歳年下の女性と暮らしますが

長くは続かず、行方不明
チビ(弟)は職業訓練校に通う
16歳の時に交通事故死


少年は、中学校卒業後に運送会社に勤務

長距離トラックの運転手になり、14歳年上の女性と結婚し
ささやかに暮らしたということ

「少年」阿部哲夫は施設に戻り、映画界とは
これっきりになってしまったそうです




これはねー、只の雪だるまじゃないんじゃ、宇宙人ぜ
この宇宙人はアンドロメダ星雲から来たんだ
こいつはねー、正義の味方じゃ
悪いことする奴を、地球の悪人をやっつけるために来たんじゃ
怪獣じゃち怖わーない、鬼じゃち怖わーない
電車じゃち、自動車じゃち怖わーないんじゃ
突き当たったら、皆向こうが壊れるんじゃ
怪我はせんし、泣いたりせんぜー
はじめから涙なんてないんじゃー
宇宙人はねー、親はおらんし、一人じゃき
お父ちゃんも、お母ちゃんもおらんがや
本当に怖わーなったときは
星から別の宇宙人が助けに来てくれるじゃき
ぼくはそういう宇宙人になろうと思っちょる
なりたかったんじゃ
けんど、いかん
ぼくは普通の子供じゃき
死ぬこともうまいことできん
チクショウ!
宇宙人のバカヤロー!





【解説】ウィキペディアより
モデルとなっているのは、1966年に大阪西成警察署に逮捕された高知県出身の当たり屋夫婦の事件である。自動車の前に飛び出してわざと車にぶつかり、法外な治療費や示談金を取る当たり屋犯罪自体は当時既に珍しいことではなくなっていたが、この夫婦の場合、子供に当たり役をやらせていたことや、全国各地を転々とし、計47件、被害総額百数十万円(毎日新聞東京本社の独自調査に基づく数字)という極めて悪質な犯罪であったことから、新聞社会面は各紙とも連日このニュースの続報で騒ぎ立てた。
デビュー作の『愛と希望の街』(1959)以来常に犯罪を映画のテーマに据えてきた大島渚は、この事件に衝撃を受けて映画化を決意。脚本家の田村孟とともに綿密な調査を重ねてシナリオにまとめ上げた。『新宿泥棒日記』や『無理心中日本の夏』などで、全共闘時代の暴力性やアングラブームに支持を表明してきた大島だったが、全国縦断ロケの映像美や少年の繊細な心理描写が前面に押し出される『少年』では映画づくりの原点に立ち戻り、少年の目を通して見た家族と民族の崩壊劇という自身の一貫したテーマを織り込みながらも、それを誇張のないドラマとして描いてみせて、自身や当時の映画の傾向とは一線を画した。
大島はATG1000万円映画路線の制約下で全国縦断ロケを敢行するにあたり、スタッフ・キャストを最小限に絞り込んだ。映画完成後は、大島と小山明子夫人をはじめとする創造社のスタッフが全国の映画館を回って映画の上映を依頼し、販路拡大キャンペーンを展開した。
少年を演じる阿部哲夫は、養護施設に収容されていた孤児であった。阿部には映画公開後養子の申し出があったが、本人はそれを断り施設に戻り映画界とも縁を切っている。チビを演じた木下剛志は1970年に山田洋次監督作品『家族』に出演している。