バリー・リンドン(1975)



美しいものも酷いものも皆同じ 今はあの世

 

キューブリックがこれだけの労力を払って伝えたかったのは

このラストの文章に集約されているのではないでしょうか

 

何の功名を立てたわけでもない、はったり男の人生

またもイギリス文学、またも3時間強()

 

のっけから始まる「私のリボンはどこでしょう」ゲーム

バリーの屈折の元凶はこの初恋の従姉でしょう

誘惑するだけして、貴族の男が現れたら手のひらを反され

バリーは故郷を追い出されてしまいます

 

このトラウマから自らも無意識のうち嘘に嘘を重ね

貴族の人間の世界を目指していくようになるのです

追剥ぎ、軍隊、脱走、また軍隊、スパイ、出国、賭博師

そしてレディー・リンドンとの結婚

バリーのモテ運と幸運は続いていました

 

しかし所詮はアイルランドの平民根本は変わらないのです

レディー・リンドンが死んだら、財産はすべて彼の連れ子ブリンドンのもの

母親は彼に爵位を授かるように忠告します

爵位のため、有力貴族らに惜しみなく金をばらまくバリー

リンドン家の財産あっという間に底をついてしまいます

 

しかしこんな男でも、愛息への気持ちは本物で

自分の愛情をすべて注ぎ込んでいました

その子が死んでしまう

 

死に際に嘘の武勇伝を聞かせる姿は

気弱で嘘つきのボンクラが、唯一人間らしく見えるシーン

 

小さな白い棺桶に行列する葬儀

酒浸りになるバリー

半狂乱のレディー・リンドン

ブリンドンとの決闘

 

バリーの運はすべて尽きてしまっていました

夫人の愛が本物だったことにも気が付かず

 

片足を失う代わりに多額の年金を得たバリー

彼がどの様な末路を辿ったかは分かりませんが

嘘にまみれ、酒に溺れ、孤独な死が待つ日々なのは確かでしょう

 

バリーの生涯で最も幸せだった時はいつだったのか

私は夫が戦争に行って留守な奥さんとの数日ではなかったかと()

そんな気がします
 

アカデミー賞の撮影賞、歌曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞を受賞

撮影や、レンズに関する多くののエピソードが残っているというだけあり

CGでは味わえないアナログな映像の美しさはため息もの

衣装や屋敷の調度品も18世紀の貴族の生活を

リアルに想像できる素晴らしさです

 

終わってみれば、意外にもあっさりとした後味

かの大帝国では、1人のアイルランド人の存在など
取るに足らぬものであったということ
 

何はともあれ、バリーは無事

故郷に帰還を果たすことができたのです

 


 

【解説】allcinemaより

 キューブリックほど文学の映像化に長けた作家もいなかろう。すべて原作に基きながら、それを読んで得られるイメージを遥かに凌駕したものを、彼の映画は突きつける。本作などその最たるもの。サッカレーピカレスク・ロマンが原作だが、その写実主義を的確に具現化しながら、より19世紀的な(それも抑制された)ロマンチシズムを醸し、更に20世紀の意識の流れ的表現にまで昇華させる、演出、撮影、編集の三位一体に陶然とさせられる(加えて、古典曲の頭脳的な使用も特筆に価する)。ナイーヴだが人好きのするアイルランド青年が、英国貴族として生きようと決意、迅速な日和見主義で成り上がる話だが、でくの坊役者オニールの没個性を逆手に取り、主人公のうすぼんやりした気性を巧妙に表現したのにも感心させられる。そして語り尽くされた名手J・オルコットのローソク光のみの室内撮影はやはり凄い。“頭は醒めているのに肉体は疼く”といった官能を、こうまで描けた映画はあるまい。