ゲームの規則(1939)





欧州ブルジョワのドタバタ・ラブコメディであり、悲劇
評論家にはかなり評判がいいこの作品
初見です

人物描写やグロテスクさ、そしてなにより
監督の自己満足のために作ったと思える点では
「8 1/2」(1963)に似ていました


大西洋を23時間で横断するという偉業を成し遂げたアンドレ
しかし愛人のクリスチーヌが迎えにこないと駄々をこね自殺未遂
親友のオクターヴは幼馴染で公爵夫人のクリスチーヌに
なんとかアンドレと会ってほしいと頼み込みます

そこで公爵の別荘で主催されるパーティに
アンドレを招待することになります
そこではフランスの上流社会の名士たちが集まり
狩りをすることになっていました

狩りのシーンは本物でしょう
大量のウサギや雁を次々と撃っていく
今では動物保護のため不可能なので
当時の狩りの風景を見るという点で貴重なフィルムだと思います

そこに、いくつもの恋愛事情が絡んできます





オクターヴ  誰からも好かれるのに、誰にも相手にされないお調子者
公爵夫人クリスチーヌ  公爵の浮気に嘆きオクターヴと駆け落ちしようとする
公爵ロベール  からくり人形にうつつを抜かす厚化粧の主催者
公爵の愛人ジュヌビエーブ  クリスチーヌの友人 公爵は別れようとも考えるが別れられない
飛行士アンドレ  クリスチーヌの愛人、振られてしまうが諦められない
サン=オーバン  パーティでクリスチーヌに愛を打ち明けアンドレに殴られる
リゼット  クリスチーヌの召使で夫との同居を拒む
密猟人マルソー  公爵に気に入られ召使になり、リゼットに手を出す
森番シュマシェール  リゼットの夫 浮気相手のマルソーを殺そうとするが仲直り 次にオクターヴを殺そうとするが、誤ってアンドレを撃つ





公爵には結婚する前から愛人がいて、誰もが知っていたのに
クリスチーヌだけに黙っていたことにショックを受けます
夫だけでなく、皆から嘘をつかれていたのです

そこでサン=オーバンと浮気するものの、アンドレが介入してきてドタバタ
今度はオクターブに、自分が本当に愛しているのはあなたと打ち明けるのです
しかしオクターブはリゼットに「お金がないと奥様を幸せにできない」と説得され
アンドレにクリスチーヌを譲ることにします
そこでアンドレを待っていたのは嫉妬にかられたシュマシェールの銃口でした

オクターブはそうして、公爵夫人の愛も
飛行士との友情も、公爵も、全てを裏切り逃げるように別荘を去りました

そしてこの事件のことを、ロベールもお客たちも
森番が職務に忠実なあまり起した事故で、何事もなかったと解決し
それぞれ自分の屋敷へと帰っていきました


解説に「観客たちはこの映画を拒み、最初の公開は大惨敗に終わる」
とありますが、そうだろうな、と思います

上流社会の人間は、遊び、愛人を作り、贅沢三昧
しかも下流の人間が死んでも何事もありませんでした
はい終わり、では怒ってもしょうがない

ルノワールにしてみれば
上流社会を風刺したつもりが
まさかこれほど反感を買うとは思ってもみなかったでしょう


しかし戦後、フランスで最も影響力のあった映画批評家である
アンドレ・バザンの高評価のおかげで再び陽の目を見ることが出来たそうです

素晴らしい構図に、モノクロの美しさ
その後の巨匠たちに大きな影響力を与えたのは確かでしょう
グロテスク映画のはじまりともいえます

私は残念ながら「お気に入り」とはなりませんでした
誰もが不道徳で、いい人がひとりもいないのですから(笑)
悪くもありませんでしたけど



【解説】allcinemaより
ルノワールが“バロック音楽の精神に則って登場人物が動き回るような映画を作りたい”と願って撮りあげた、映画によるフランス・バロックへのオマージュ。ミュッセの戯曲『マリアンヌの気まぐれ』が直接の発想のもととなっている。主人公クリスチーヌ(オーストリアの大公夫人で彼女自身が役柄のモデルとなったグレゴール)は貴族のロベール・ラ・シュネイの妻。飛行家アンドレ(トゥータン)はその愛人だった。一方で、ロベールにも別れようとしていた愛人があった。彼らの催すパーティに大勢の名士たちが集まる。もちろん、アンドレもその一人。だが、やはり同じ階級のド・サン・トーバンと夫人が親しくしているのを見て、彼は猛烈な嫉妬に駆られる。その陰では下々の者たち、彼らの領地の密漁監視人シュマシェールが妻リゼットに配下のマルソーが色目を使ったとして怒り狂って猟銃で追い回す。そうした上を下へのインモラルな騒動をそれとはなしに見つめるのは愛すべき食客オクターヴ。この狂言回し的人物をルノワール自身が見事に演じ、悲劇と喜劇の間を揺れ動く作品自体と同質化しており、素晴らしい。彼はこの群像劇で“ゲームの規則”に囚われながら、人間社会の構造を、そして、戦争へと傾いていく時代の風潮を暗に批判している。しかし、登場人物たちに“敗者となった自分たちの姿”を垣間見た観客たちはこの映画を拒み、最初の公開は大惨敗に終わる。59年になってようやく完全版ができる(日本公開は更に20年のち)まで、本国フランスでもまさに埋れた傑作となっていた呪われた作品で、ルノワールはあまりの不評に、一時は以後の映画製作を諦めかけた、と言う。