ゴッドファーザーPART II(1974)

 
 
 
2代目ゴットファーザーとなったマイケルのその後と
父親であるビトーの若かりし日の姿が交差します
現代と過去をリンクする構成は今ではよくありますが
当時は革新的だったのではないでしょうか
 
それは、ビトーの人間としての温かさと
身内にまで対するマイケルの冷酷さを
効果的に対比することができ、成功したと思います
 
父親の葬式の日、目の前で兄を殺され
ドン・チッチオから自分を守ろうとした母親も殺されます
生きるためアメリカ行きの船に乗ったビトー
 
ニューヨークに渡り、大人になったビトーは
生活に苦労しながらも、真面目に働き
人々から信頼され、なによりも家族を大切にします
 
 
 
 
 
若かりし日のデ・ニーロがいいですね
マーロン・ブランドの雰囲気を十分に醸し出しながら
パチーノにもどことなく似ている
ここまでできるのは彼だけでしょう
 
製作者の、観客の、納得する演技を知っている
しかも控えめで、他の役者を喰ってしまうようなこともしない
 
人々の信頼を集め、偉大なコルレオーネ・ファミリーを作った父親
しかしマイケルは、兄のフレドには嫉妬から裏切られ
妹のコニーの私生活は乱れ、彼を困らせます
ついには、妻のケイまで家を出ていってしまう
上院の調査委員会からは犯罪を立証するための聴聞
 
信頼できる相手は誰もいない
ついには敵を抹殺していくだけになってしまうマイケル
 
ラストの枯葉舞う庭を見つめる
パチーノの表情にはゾクッとします
すべてを手に入れた、でもすべてを失なった
無の顔
 
長尺で、見るのには気力がいりますが(笑)
1作目に決して劣らない傑作でしょう
 
お気に入りで
 

 
【解説】allcinemaより
亡き父のあとを継ぎドンとなったマイケルの苦悩と復讐を、父ビトーの少年時代からやがて一大ファミリーを築くまでのエピソードを交えて描いた、傑作「ゴッドファーザー」の第2作。
 前作から5年後。ドン・マイケル・コルレオーネは、根拠地をニューヨークから西部のネバダ州タホー畔に移していた。近くに一家の収入源であるラスベガスを控えていた為である。ドンの椅子に座るマイケルの頭の中には、やがて父ビトーの事が巡ってくる--若き日のビトーの物語は、マフィアの親分ドン・チッチオに殺されたビトーの父の葬列の場面から始まる。悲しみに暮れる葬列の中、突然一発の銃声が轟いた。シチリア人の掟に従って復讐を誓い、山に隠れて機会をうかがっていたビトーの兄が逆にチッチオの手下に撃たれたのだ。そして母もまた、チッチオのもとに幼いビトーの命乞いに行き、殺されてしまう。天涯孤独となったビトーは、チッチオの手下に命を狙われる中、命からがらにアメリカに逃げ延びた。リトル・イタリアで成長した青年ビトーは、若き日のクレメンツァ、テッシオ、ジェンコらと知り合う。パン屋、八百屋、服屋など様々な職業をやりながら、イタリア移民の人々の信望を集めていき、次第に頭角をあらわすビトー。そんな中、彼の前にリトル・イタリアの街を牛耳っている悪玉ファヌッチが立ちはだかった。彼の横暴を見かねていたビトーは、考えた末、街がキリスト教の祭りで賑わう中ついにファヌッチを拳銃で仕とめる。そしてこの銃声が、やがて築かれるドン・コルレオーネ・ファミリーの始まりであった……。
 映画は、幼いビトーが青年となり、やがてファミリーを築くまでの物語と、父のあとを継ぎドンとなったマイケルの、父がそうであった頃と全く変わってしまった時代の中でのドンとしての苦悩と復讐の物語が、実に巧みに交差しながら展開してゆく。よく練り上げられた脚本、複雑な人間関係を重厚に描いた巧みさ、ゴードン・ウィリスの画調の美しさ、若きビトー役のロバート・デ・ニーロの卓越した演技、ニーノ・ロータの素晴らしい音楽と、本作も前作同様、映画全編全てが魅力の傑作である。
 いわゆる一般的に認識されている続編とは違って、前作と本作とを合わせると1つの壮大なオペラと化すような様相で、その事はこの後コッポラ監督が自ら再編集した、「ゴッドファーザー・サガ」や「ゴッドファーザー 1901-1959/特別完全版」を見れば分かる。このシリーズはその両作品共にアカデミー賞を受賞しているが、シリーズが2作品共受賞するというこの記録は未だに破られてはいない。